江原道(鉄原郡)

江原道鉄原郡(チョロングン)葛末邑(カルマルウプ)にある「三釜淵(サムプヨン)瀑布」は高さ20mを誇る滝です。1年を通じて水が枯れることがなく周辺には特異な形をした岩が自然景観とあいまり神秘さを与えています。特に滝の水が流れ落ちる所が3ヵ所ありますがその様子がまさにご飯を食べる時に昔、使った釜の形に似ていることが特徴で、三釜淵の名称もそこから由来しています。 この滝には昔、龍が空へ昇ったという伝説があり、近くには「龍華洞」という地名のところもあります。周辺に食堂や売店など便宜施設がないため環境はきれいなまま保たれています。 また1km圏内のところには、その昔キツネを弓矢で射て仕留めたある父親が息子の結婚相手に迎えようとした嫁が実はキツネだったという伝説が残る「ヨウコル(キツネ谷)」村という所があり、合わせて観光することをおすすめします。 三釜淵瀑布へのアクセスは、ソウルから新鉄原へ向う直行バスを利用、新鉄原里で下車、鉄原郡庁を通ってかなり歩かねばならないため、バス下車後はタクシーの利用が便利です。(タクシーで約10~15分程度) 問合せ: 鉄原郡庁 +82-33-450-5365


忠清南道(天安市 )

広徳寺(クァンドクサ)は新羅の善徳女王の時代(637年)に慈蔵律師が創建し、興徳王の時(832年)に珍山和尚により再建されました。牙山市と天安市の境界になっている広徳山(699.3メートル)の東南方向、太華山(455.5メートル)の西南側の山裾にあります。一柱門の表側には「太華山広徳寺」、裏側には「湖西第一禅院」と書かれた扁額がかかっていて僧の禅の修行道場であることを示していますが、それはひっそりとした雰囲気からも感じられることでしょう。朝鮮時代初期に第7代の王である世祖が病を治すべく通ったとも伝えられていて、壬辰倭乱以前は忠清、京畿地域で最も大きな寺の1つとして数えられるほどの勢力を誇っていました。しかし壬辰倭乱で寺は焼失してしまい、現在かつての栄華を直接確認することはできません。大雄殿、冥府殿、千仏殿など大部分の建物は近年になって再建されたものです。大雄殿の近くにある宝華楼の前には樹齢数百年になるクルミの木が、また尞舎の隣にも大きなクルミの木があることから、広徳寺には古くからクルミの木が自生していたことがうかがわれます。境内は品良く整備されています。特に参道横を流れる渓流のそばには高名な僧である法頂の手による「無所有」ということば書かれた立札が立っています。「私たちの目標は豊に所有することではなく、豊に存在することである。生の量が問題なのではなく、生の質こそを問わねばならない」という一節が広徳寺を訪ねる人びとの心をきれいにしてくれます。周辺の見どころ:独立記念館、柳寛順烈士史跡、天安慰霊城跡、牙山顕忠祠、孟氏杏檀


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嶺南アルプスの神仏山(1,157メートル)の裾にある「神仏山瀑布自然休養林(シンブルサンポッポジャヨンヒュヤンリム)」の渓谷は、奇岩怪石と様々な樹種の天然林が調和し、原始林の美しい姿が保たれています。清らかな水が流れる渓谷の途中にはパレソの滝があり、滝の真ん中に絹糸一玉を垂らしても底に届かないという伝説があるほど深く、青色を帯びています。また、神仏山の頂上から肝月山、霊鷲山へと続く広大な稜線で結ばれたススキ平原は、秋になると銀色に輝く素晴らしい景観を演出し、登山客は目を奪われずにはいられません。


全羅南道(木浦市 )

* 李舜臣将軍の戦術とカンガンスルレの伝説が宿る場所 * 露積峰(ノチョッポン)は全羅南道(チョルラナムド)木浦市(モッポシ)儒達山(ユダルサン)にある巨石の頂をいいます。 この頂は壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、忠武公(チュンムゴン)李舜臣(イ・スンシン)将軍が敵を撃退するため利用したことで有名で、李舜臣将軍の地形を利用した高度な心理戦が垣間見える場所です。 壬辰倭乱の際、李舜臣将軍率いる陣営は、軍事的に劣勢な状況を挽回するため、藁を編みこの露積峰の岩を覆うように被せました。この藁を覆った岩がまさに軍糧米の俵を積み上げた露積みの俵のように見え、あたかも軍糧米が大量に備蓄されているかのように敵陣に錯覚させたといいます。 このほかには、住民らに軍服を着させ、露積峰の周囲をずっと回るように指示し、この様子が敵陣にまさに大軍がいるかのように思わせたといいます。また同時に近くを流れる栄山江(ヨンサンガン)に白土の粉を撒き、米のとぎ汁が河口に流れていくかのように見せかけることで、下流にいる倭敵に李舜臣将軍率いる自軍の軍勢を誇示、これを見た倭将が兵士を転じさせ撤退したと言われています。 当時、露積峰の周囲を回る戦術はその後の文化芸術に昇華し、大勢の人で円を描き踊る韓国伝統舞踊・カンガンスルレに発展したという伝説が残っています。


江原道(旌善郡)

* 深く掘削された坑道の中に芸術の光が宿る * 三炭アートマイン2001年に廃鉱となった三陟炭座(石炭鉱区)施設を文化芸術団地に衣替えした施設です。 ここに世界およそ150ヶ国から収集した約10万点を超える芸術作品を展示し、芸術家支援プログラムを行っています。 古くなった施設と調和した芸術作品の独特な雰囲気を醸し出し、見どころも多く写真撮影にもおすすめの場所です。 レールバイクミュージアムツアー、ウッドキーホルダー作り、エコバック作りなどさまざまな体験プログラムがあります。廃品などを利用し再利用以上の芸術性まで加味して作品化するアップサイクルの好事例として評価されています。  


全羅北道(任実郡 )

四仙台観光地(サソンデ・グァングァンジ)は蟾津江上流の烏院川近くにある四仙台に造成され、1985年12月28日に国民観光地に指定されました。四仙台には伝説があり、鎮安郡馬耳山の2人の仙人と任実面ウンス山の2人の仙人とが一緒に遊んでいると、それを見た天女が美しい景色に惹かれて舞い降り、仙人と一緒に遊んだといわれています。 四仙台周辺は奇岩絶壁や森、清流のある景勝地で、四仙台の上にある森の中には雲棲亭(地方有形文化財135号)という東屋があります。1928年に金昇熙という人が父親の遺徳を偲ぶために建てたもので、日帝強占期、各地の憂国の士たちがここに集まり、亡国の恨みを慰め、国の未来を憂慮した場所だといわれています。また、四仙台彫刻公園には優れた彫刻家が近くの五弓里美術村で制作した彫刻作品が展示されており、様々な作品を鑑賞することができます。