忠清北道(丹陽郡 )

忠州ダムの建設により、水没していた地域を調査している途中に、忠北大学博物館により発見されたこの場所は、これまで発見されてきた韓国の旧石器時代の遺跡地のうち、もっとも広い面積を誇っています。さらに、旧石器後期の典型的な石器が大量に出土され、韓国はもちろんのこと、世界的にも有数の旧石器遺跡地として評価されています。垂楊介先史遺跡展示館では、旧石器時代の遺跡が発見された丹陽一帯の地図を見ながら詳細な説明を聞くことができます。


江原道(寧越郡) , 平昌

荘陵は、朝鮮第6代王であった端宗の陵墓です。端宗は、その叔父である首陽大君に王位を奪われた後、清冷浦に流され17歳の時に生涯を終え、その死体は東江に捨てられました。後難を恐れて誰も死体の処理をしませんでしたが、寧越戸長の厳興道が死体を荘陵まで運びました。粛宗の時代である1698年になり、端宗が再び王の座に戻り、王陵に埋葬され、死後の贈り物としての陵号が荘陵となりました。荘陵の周囲にある松の木は、全て陵墓に向かってお礼をするように曲がっており、その様子に圧倒されます。毎年4月の最後の週末には端宗文化祭が盛大に開催され、特に朝鮮時代の再現イベントでは1000人を超えるが参加する大規模な行事です。2009年6月30日に荘陵を含む朝鮮王陵40基がユネスコ世界遺産に登録されました。 


済州道(済州市 ) , 구 제주

山地川は済州市最高の繁華街である、東門市場の入口の向かい側に流れる川です。 産業化全盛期の1960年代、山地川を無くし住宅や商店街がつくられるようになると、環境汚染が問題になり始めました。1995年、山地川の文化と歴史をよみがえらそうと、復元作業が始められました。2002年、澄んだ水が流れる現在の山地川になりました。山地川にはアユ、ボラ、密魚、フナなどの淡水魚が生息しています。夏になると釣りを楽しむ人や、水遊びをする子どもたちの姿を見ることができます。 山地川の浦口には魚を獲るほかけ船、シラサギ、カモメなど、美しい風景があります。ここは瀛州(ヨンジュ)12景の一つである山浦釣漁です。つまり、海釣りで有名なところです。また、山地川の下流には「中国避難船」を復元・展示しているところもあり、誰でも観覧可能です。 その他、川辺に沿って散策路や公園、音楽噴水がつくられており、毎年夏と秋には地域観光の活性化のため、「山地川芸術広場」などの文化行事や公演が繰り広げられます。歴史生態河川である山地川は、イベントや散策などができる多くの人たちから愛される川です。


京畿道(南楊州市) , 南楊州

自然の美しさと神秘をそなえた天摩山を舞台に開発されたスターヒルリゾートは、1982年12月にオープンしたスキー場です。ソウルを基点に32キロの距離にありいつでも負担なくスキーや休息を楽しむことができます。また、スターヒルリゾートはオールシーズンスキーが楽しめます。(名称変更:天摩山スキー場→スターヒルリゾート)


慶尚南道(金海市 )

金海文化の殿堂は質の高い公演を楽しむことができる芸術劇場です。マルホールは収納式のオーケストラシェル(音響反射板)を備えた多目的劇場であり、音響施設が整っているのはもちろんのこと、二重回転舞台の可変システムで多様なジャンルの演出が可能です。また、多様なテーマを持つ実験的劇場であるヌリホールは現代的な四角形のブラックボックス形で、収納式客席と可変音響壁、天井の音響反射板によって演劇、リサイタルなど多様なジャンルの演出が可能な劇場です。そして、野外劇場でありながらも多様なジャンルの舞台公演が可能なエドルムマダンの他にユンスル美術館、映像メディアセンター、市民スポーツセンターなどの施設やカフェ、レストランもあります。 * 開館日:2007年11月25(日)


ソウル(広津区) , ソウル東部

ソウルと九里市にまたがる峨嵯山(アチャサン)は、標高287mの低い山で、山が険しくないため、近くの市民が軽く山登りをするためによく訪れます。40分ほど登山路を登ると漢江(ハンガン)やソウル市内が一望できます。朝鮮時代には、今の烽火山(ポンファサン)を始め、忘憂里(マンウリ)共同墓地地域、龍馬峰(ヨンマボン)などの広範囲の地域をすべてひっくるめて峨嵯山と呼んでいたものと考えられています。この一帯は三国時代に造成されたとみられる20以上の堡塁があり、発掘調査の結果、高句麗の軍事遺跡としての重要性が認められ、2004年に国家指定文化財に指定されました。


光州広域市(西区)

5・18記念公園は1980年5月18日に起きた光州(クァンジュ)民主化運動の教訓を正しく継承・発展される目的でつくられた市民の憩いの場所です。 大韓民国陸軍の教育訓練施設・尚武台(サンムデ)が1994年、全羅南道(チョルラナムド)長城郡(チャンソングン)に移転し、その跡地の一部を市民公園として無償譲渡されこの公園を造成しました。 5.18記念公園は面積20万4,985平方メートルの敷地を誇り、伝統池や様々な樹木が植えられ、子どもたちの自然学習の場としても広く利用されている場所でもあります。 * 記念公園の施設と見どころ 5・18記念公園には5・18資料室や公演・行事施設を兼ね備えた5・18記念文化館、市民軍彫刻像・追慕空間などからなる5・18現況彫刻及び追慕昇華空間、5・18精神を象徴的に表現し市民が一致団結して運動を起こした大同精神から名づけられた円形噴水公園がある大同公園(テドンコンゥオン)、5・18民主化運動学生記念塔、光州学生教育文化会館、公園の小高い丘の上には展望台のようになっている三階建ての楼閣・五月楼などがあります。 このほかにも、園内には寺院・無覚寺(ムガクサ)や芝生広場、散策路などがあります。


慶尚南道(巨濟市 )


全羅南道(求礼郡 )

華厳寺(ファオムサ)は求礼邑から東に5.4kmのところにある智異山(チリサン)の麓にある千年古刹で、544年に縁起祖師(ヨンギジョサ)が創建したといわれており、寺の名は「華厳経」の最初の二文字をとってつけたと伝えられています。当初は海会堂と大雄常寂光殿の建物しかありませんでしたが、その後643年に慈蔵律師(チャジャンユルサ)が増築し、875年にも道詵国師(トソンクッサ)が増築しました。文禄・慶長の役の際に焼失した建物を1630年より碧岩禅師(ピョガムソンサ)が再建し始め、1636年に完成しました。華厳寺では国宝4点、宝物5点、天然記念物1点、地方文化財2点を保有しており、20棟余りの建物が配置されています。覚皇殿は大変有名な建物で、国宝第67号に指定されており、現存する木造建築物としては韓国最大の規模で、その雄大な姿は見る人を圧倒します。覚皇殿の前の庭に建てられた石灯籠は高さ6.3m、直径2.8mでこれもまた韓国最大の規模であり、統一新羅時代の仏教中興期のきらびやかな彫刻芸術を見せる作品で、国宝第12号に指定されています。【文化財】華厳寺覚皇殿前石灯(国宝第12号)華厳寺四獅子三階石塔(国宝第13号)華厳寺覚皇殿(国宝第67号)華厳寺霊山会懸仏幀(国宝第301号)華厳寺東・西5階石塔(宝物第132号、133号)華厳寺大雄殿(宝物第299号)華厳寺円通殿前獅子搭(宝物第300号)華厳寺華厳石経(宝物第1040号)華厳寺江戸彼岸(天然記念物第38号)華厳寺普済楼(全羅南道有形文化財第49号)華厳寺九層庵石灯(全羅南道有形文化財第132号)


全羅北道(群山市 )

2005年に国家登録文化財第183号に指定されました。広津家屋がある新興洞一帯は日帝強占期に群山市内の富裕層居住地域で反物家を経営していた広津が建てた住宅で(旧)湖南製粉の李龍九社長名義で今日まで韓国製粉の所有になっています。映画「将軍の息子」、「風のファイター」、「いかさま師」など数多くの韓国映画とドラマがこの住宅で撮影されました。建物の形態は近世の日本武家の高級住宅様式になっています。木造2階建ての住宅で、柱と建物の概観、内部、日本庭園など建築当時の姿を維持しており、建築史跡として大きな意義を持っています。