忠清南道(牙山市 )

神井湖観光地は1993年牙山市の防築洞一帯に造られ芝生広場、野生花公園、彫刻公園などと共に8.45メートルの李忠武公の銅像があります。自然景観が秀麗で温陽温泉の近くということもあり多くの観光客が集まります。特に、彫刻公園内の彫刻作品と野生花公園は地域住民や青少年のための文化芸術体験の場に活用されています。観光地内の神井湖ではモーターボートを含む各種ボートなどにも乗ることができ四季を通して釣り場としても人気があります。 また冬でも彫刻公園内に幅8メートル、高さ3メートルにもなる大型の氷のオブジェを設置するなど見どころがあります。さらに近隣にはウナギ、フナ蒸しなどの土俗レストランなどが多くあります。


忠清南道(公州市 )

鶏龍山国立公園(ケリョンサン・クンニプコンウォン)は、大田市、公州市、論山市にまたがっている忠清南道一の名山です。1968年に国立公園に指定された鶏龍山は、海抜845.1メートルで雄壮で山並みが美しい山です。鷄龍山という名は稜線が鶏のとさかを頭にかぶった龍の姿に似ているということから付けられた名前です。風水地理の面では地理的によいとされているところで、巫俗信仰の面では神秘的な伝説のある山です。鶏龍山は主峰の天皇峰(845.1 メートル)をはじめ、三仏峰、神仙峰、観音峰など14~15の峰々があります。奇岩怪石と西側の龍門滝、東の隠仙滝、南側の雌龍滝、雄龍滝を合わせ、名所の多い山として有名です。また春は東鶴寺の進入路の桜のトンネルが、夏は東鶴寺渓谷の新緑が美しいので多くの人が訪れます。秋は甲寺と龍門滝の周りの紅葉が調和をなし、冬は三仏峰と自然の雪景色が壮観です。鶏龍山には美しい滝や珍しい動植物など、太古の神秘の中に伝説と遺跡があふれています。東側の東鶴寺、北西側の甲寺、南西側の新元寺、南東側の龍華寺があります。渓谷ごとに池と滝が絶景を織り成しています。


京畿道(水原市)

水原光教(スウォングァンギョ)博物館は、光教新都市造成時に出土した遺物を中心に光教の歴史を一目で見ることのできる「光教歴史文化室」、韓国現代史の政治・社会・文化など多方面にわたる寄贈史料が展示された「小崗・閔寛植室」、忠武公李舜臣や独島を含む領土関連資料など多様な寄贈遺物が展示されている「史芸・李鍾学室」で構成されています。沈温先生(高麗末・朝鮮初めの文官)の墓や恵寧君(朝鮮・泰宗の第九男)の墓といった歴史的な遺跡とともに光教歴史公園内に位置しており、水原市民の文化空間となっています。  


済州道(済州市 ) , 済州東部

サングムブリは、周囲が2kmを超える噴火口で、天然記念物に指定されています。噴火口の直径は650メートル、深さ100メートル、周囲が2,070メートルにも達します。サングムブリを空から眺めると、人工的に造られた円形運動場のように見えます。植物の種類が多様で、北側は暖帯性の樹木(アカガシ、ホオノキなど)と希少植物のフユイチゴが生えています。噴火口の南側の斜面には温帯林の代表的な樹木(アカシデ、カエデなど)が森をつくっています。限定された空間である噴火口の中に、それぞれ違う性質の樹木が共存しており、学術的にも注目を集めています。サングムブリでは石で作られた入口と壁、噴火口などが見どころです。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

山房山は済州島西南部の平野地帯に高くそびえ立っていて、どこからでも見ることができるつつりがねの形をした鐘状火山です。溶岩南側の崖の高さ150~300mの所には風化してできた色々な形や大きさの穴や落ちてきた岩石がたまってできた崖錐があり、海抜150m程のところに長さ約10m、幅・高さが約5mの山房窟と呼ばれる海食洞窟が海に向かって特色ある景観をつくりあげ瀛洲十景の一つになっています。山房山の入口の左手には山房寺、右手には普門寺寂滅寶宮という二つのお寺があり、その間にある石畳の階段に沿ってずっと上がって行くと山房窟寺が見えてきます。山房山前の道ばたには薪を焚き煙を上げることによって合図を送るのろしの台が立てられています。朝鮮世宗19年(1437)、倭寇の侵入に備えて作られたものと考えられていますが、1950年の韓国戦争の際に消えてしまい土台とみられる石だけが残っています。山房山は山自体の高さが高く海岸沿いにあるため山の斜面では平地とはまったく違う気候特性をもっています。このような山の特性の影響を受けて植生には変わった特徴が見られ、植物学的に重要な保護地域となっています。山頂にはコウボクの木やクスノキ科の海辺に生える常緑樹林が鬱蒼と茂っており、また特に岸壁に生えている植物が珍しく、天然記念物182号~5号に指定され、山房山で調査された植物は79科、186属、201種、33変種、1亜種の全255種類です。


京畿道(竜仁市) , 龍仁

法輪寺は文殊山の麓にある観音聖地です。現在、大雄殿を始め、極楽宝殿、観音殿、比丘尼禅院、三聖閣、祖始殿、梵鐘閣、寮舎などがあります。威厳のある130坪の大雄殿は、南方仏教様式をしており、白頭山に自生する朝鮮松で建築されました。本尊仏として53トンの石造釈迦牟尼が、その左右に33トンの石造の文殊、普賢菩薩像が置かれています。また、京畿道の文化財資料第145号である三層石塔を保有しています。


慶尚南道(金海市 )

伽倻の成立と展開を解明するのに最も適した遺跡、大成洞古墳群 大成洞遺跡は伽倻の建国説話が込められた亀旨峰と金海貝塚で有名な会峴里貝塚の中央に位置し、東方には金首露王陵が隣接しています。公設運動場の北後方にある標高22.6mの「ウェッコジ」と呼ばれる丘陵を中心に形成されています。この遺跡は慶星大学博物館で1990年から1992年まで3度にわたる発掘調査をした結果、金官伽倻支配者集団の共用墓地であったことが判明しました。立地条件がいい丘陵の稜線部には王の墓とこれに相応する支配者の墓があり、傾斜面には身分が低い者の墓が形成されていました。   大成洞古墳の歴史的意味 調査された墓は全136基で、種類は木棺墓、木槨墓、甕棺墓、石槨墓、橫穴橫口式の石室墓です。この中で木棺墓が墓祭の主流でした。丘陵の稜線部に形成された大型の木槨墓は埋葬主体部の大きさと副葬された遺物の量と質から見て、3世紀後半~5世紀前半にかけて形成された金官伽倻支配者たちの墓であると推測され、特にこの遺跡の大型木槨墓の調査を通して重要な事実が明らかになりました。3世紀末に初めて人と馬を殉葬し武器を副葬する習慣とともに、騎馬用の鉄製の鎧と兜、北方遊牧民族的な墓祭、馬具類、陶質土器、銅復など北方遊牧民族の習慣が反映された遺物が多く出土されたという事実です。それと、筒形銅器、巴形銅器、各種碧玉製の石製品など古代日本との交流の実態を究明することができる物が出土されたことです。このようなことから、大成洞遺跡は伽倻の成立と展開、性格、政治や社会構造を解明するのに最も適した遺跡だと言えます。  


忠清南道(扶余郡 )

落花岩を屏風のように映し出している白馬江の川岸に位置している皐蘭寺(コランサ)は、百済末期に建てられたものと推定されています。百済の王たちが休息を取るための東屋だったという人もいれば、百済が滅亡するときに落花岩で身投げした三千宮女の精神を後世に伝えるために建てられたという説もありますが、皐蘭寺についてのはっきりした記録は残されていません。寺の後方にある岩の間には皐蘭井という井戸があり、また井戸の上にある岩の間には皐蘭草が生えています。百済の王たちは1日に1回ずつ皐蘭井から湧き出る水を飲んでいましたが、水を汲みに行く家来たちは、皐蘭草の葉を水に浮かべることで皐蘭井からもってきた水だということを証明しました。この地は白馬江の美しい景色を観賞するのには、この上なく素晴らしい場所です。白馬江の遊覧船に乗って、水上の情趣を楽しむのも、よい思い出となるでしょう。


江原道(春川市)

春川市は依岩湖、春川湖、昭陽湖などに囲まれている湖畔都市であると言えます。ソウルに漢江の河川敷があるとすれば、春川には孔之川があります。春川市の孔之川の橋の反対側にある黄金の鱗テーマ公園は、小説家李外秀の長編小説「黄金の鱗」を素材にした公園です。春川の作家である李外秀において、孔之川と依岩湖は文学の本郷として李外秀のベストセラー小説「黄金の鱗」の背景となった地でもあります。水、湖、霧、思い出、憧れ、文学と芸術が込められた春川の象徴の空間である孔之川を地域の特性と芸術、環境を調和させて小規模のテーママークに作り上げました。テーマ通りを歩くと李外秀の絵が詩、童話などを見ることができ、思い出の文化テーマ空間として湖畔の周りが散策路になっています。周辺には、彫刻公園、噴水、ボート乗り場、河川敷、キャンプ場、戦跡記念館、子ども会館、エチオピア参戦記念碑などがあります。


京畿道(坡州市 ) , 坡州(ヘイリ村)

世界民俗楽器博物館は国内で最初の世界の民俗楽器を集めた専門博物館です。アフリカの打楽器やイスラム、北東アジア、南太平洋に浮かぶ島など約70ヶ国500点以上の楽器を保有しています。ここでは楽器を見て実際に触って演奏することができばかりでなく、楽器を深く学ぶことができる文化芸術体験の空間でもあります。また、地域文化の理解を助けるために各地域の伝統的な衣装を着た人形や絵画などが並んでいます。