済州道(済州市 ) , 신제주

梨湖テウ海岸(イホ海水浴場)は済州市内から一番近くにあり、アクセスも便利で便宜施設などもあります。また、傾斜の少ない白い砂浜が広がっていて多くの観光客達が訪れます。この海水浴場は夜景が美しいことでも有名で、夜間に訪れる観光客も多く、海水浴場の周辺には新鮮なお刺身を食べることのできるお店も並んでいます。※砂浜 - 長さ 250m、平均水深 1.2m、傾斜 5度


慶尚北道(安東市 )

安東河回村はとても有名な民族村です。洛東江が村を取り囲んでいてる河回村は豊山柳氏の発祥の地で、現在も村の住民の70%は柳氏です。豊山柳氏が河回村に定着したのは約600年前で、柳氏が定着する前は許氏と安氏がまずこの土地に入り、住んでいたといいます。言い伝えによると、河回仮面の制作作家が高麗時代中期の許道令であるという節が伝わっていて、河回村では河を渡った広徳洞にある許政丞の墓を、毎年柳氏の一族で草取りをしているといいます。河回村ではこれを例えて「許氏が基盤、安氏が門前、柳氏が背板」という言伝えがあり、先住民たちを追い出した安氏の娘が柳氏の家に嫁に行くことで、安氏の家の機運が柳氏に続き、一族の反映に繋がったといいます。河回村は1999年にイギリスのエリザベス女王が、2005年にはアメリカのブッシュ大統領が訪問したことで国際的にも注目されました。西厓・柳成龍の文禄・慶長の役の回顧録である『懲毖録』と河回仮面が国宝に指定されており、宝物が4点、重要民俗資料10点、史跡1ヶ所などがあり、1984年には村全体が重要民俗資料第122号に指定されました。河回タルチュム(仮面劇)として有名な別神グッ仮面劇は重要無形文化財第69号で、村の守護神を楽しませるための踊りです。国内の仮面劇の中で最も古く、1928年の日帝強占期に中断しましたが、その後再開しました。国宝121号である河回仮面は現在では9個のみ存在し、そのうち3個は紛失しました。河回村の旧家の中では養眞堂という住居は豊山柳氏の大宗宅である宝物第306号です。高麗時代と朝鮮時代の両方の建築様式が共存している住宅です。河回村のもうひとつの宝物である忠孝堂は宝物414号で柳成龍の門下生たちが柳元之と共に過ごし、曾孫の柳宜河によって改修された朝鮮時代の士大夫様式の建築です。忠孝堂の外にはイギリスのエリザベス女王の訪問を記念した記念樹があります。そのほかにも河回村には豊山柳氏の宗家である耳村古宅、村の北側の99間の家と呼ばれる北村宅、またひとつの99間の家である南村宅、屏山書院、花川書院、河を渡って柳成龍の玉淵精舎、李滉の謙唵精舎など、見所がたくさんあります。河回村は映画やドラマなどの撮影地としても有名です。ペ・ヨンジュン主演の「スキャンダル」、「爆裂野球団」、「韓半島」などの韓国映画史を彩った映画が、ここ河回村で撮影されました。セットが必要ないくらい、昔の伝統的な姿がそのまま残っているためです。伝統を保存しようとする村の住民たちの努力の賜物といえます。2010年7月31日安東河回村と慶州良洞村が韓国の歴史村としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。2つの村の登録により、韓国国内の世界遺産は10ヵ所となりました。*イギリスのエリザベス女王の訪問でより有名になった安東河回村*河回村は豊山柳氏が代々生活してきた村で、韓国の伝統家屋の美が息づいている村です。朝鮮時代の大儒学者である柳雲龍と柳成龍の出生の地でもある河回村は、1999年4月21日に訪韓3日目のイギリスのエリザベス女王が韓国の伝統のふるさととして訪ねたことでより有名になりました。ここ「河回」という地名は洛東江の水が東側に流れてS字型に流れ込んでいることに由来しています。東には太白山の支脈である火山があり、その裾野が村まで続いて低い稜線を作っています。家は稜線を中心に低いところに向かって配置されているので、東西南北それぞれ高さが一定ではないことが特徴です。村の中心部には柳氏の家である大きな瓦屋があり、原型がよく保存されている草ぶきの家が周囲を取り囲んでいます。村の前方には悠々と流れる洛東江、雄大に切り出している芙蓉台、際限なく広がっている砂浜、鬱蒼とした松林が絶景をなしています。一方、芙蓉台の前には水路には渡し舟があり、渡ることができます。.*河回村の多様な見所*河回村は見所が多い場所としても有名です。新羅時代に創建された鳳停寺、高山書院、錦来亭、鶏鳴山、自然休養林など様々な見所があります。特に2010年7月31日に安東河回村と慶州良洞村が「韓国の歴史村」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。2つの村の登録により、韓国の世界遺産は石窟庵・仏国寺、海印寺、宗廟(以上1995年)、昌徳宮、水原華城(以上1997年)、慶州歴史遺跡地区、 高敞・和順・江華支石墓遺跡(以上2000年)、そして済州火山島と溶岩洞窟(2007年)、朝鮮王陵(2009年)に続き、10番目となりました。河回村の代表的な食べ物は安東焼酎、チェサパプ(祭祀用ごはん)、安東サバがあります。毎年秋には「安東国際仮面劇フェスティバル」が開催されます。


済州道(済州市 ) , 구 제주

1988年9月に長崎と済州の間に定期航路が開かれたため、船舶利用者のために済州国際旅客ターミナルがつくられました。現在済州港内には沿岸旅客ターミナルと国際旅客ターミナルの2つの旅客ターミナル施設があり、済州島と他の地方を結ぶ定期旅客船が常時出入りしながら利用客や各種の貨物を輸送しています。<規模>(1) 敷地面積:2,660㎡(805坪)(2) 建物面積:2,660㎡(805坪)(3) 待合室:1,339㎡(405坪)


全羅北道(全州市 )

韓国伝統文化と韓スタイルのメッカ・全州! 韓国伝統文化殿堂は大韓民国固有の伝統文化を継承・発展、産業化・グローバル化を目的に設立されたセンターです。韓屋、韓食、韓紙、韓国の音楽、ハングルなどの韓文化を守り現代と融合させ、未来の文化産業を発展させる伝統文化産業を支援する本施設では、ご来場の皆様が参加できる韓文化に関連した教育・体験プログラムをご用意しています。 韓国伝統文化殿堂では韓紙産業支援センター、伝統文化創造センター、韓食創意センターを運営、各センターにて展示・観覧及び体験が可能です。


大田広域市(中区)

大田広域市中区の心臓部には宝文山、バンファ山などがあります。 宝文山は大田広域市中心部の南側に位置し、昔は宝物が埋まっていたという言い伝えから宝物山と呼ばれていましたが、現在は宝文山と名前をかえ、1965年には公園として指定されてさらに市民から愛される憩いの場となりました。湧き水があり、春にはつつじと桜がたくさん咲き、秋にはきれいな紅葉を見ることができます。また野外音楽堂、展望台、遊戯施設、ケーブルカーや約10コースの登山路もあり運動するのには最適な環境です。


江原道(束草市) , 束草・雪岳山

束草灯台展望台(ソクチョ・トゥンデ・チョンマンデ)は雪岳山、東海、束草市内を展望することができる展望台。ここから東海側には束草海水浴場や鳥島が見える他、雪岳山側には大青峰と蔚山岩なども見ることができます。そしてなんといってもここから見る東海の青い海が美しいため多くの観光客がここを訪れます。白くてロマンティックな印象を与えるこの展望台には、望遠鏡も設置されています。また、近くには霊琴亭という東屋のような場所があり、ここもまた日の出の名所として有名です。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

国立民俗博物館では子どもたちが韓国の伝統生活文化に直接触れたり感じたりできるように、体験を主とした子ども博物館を運営しています。子ども博物館は多様な組み立て模型や映像資料などを使って、小学校の社会の教科書に出てくる民俗に関する内容について目で見て、手で触って直接確認することができます。展示テーマは衣(clothing)食(food)住(shelter)と社会生活、遊びなどで構成されており、特に磁石を使ったチャレ(陰暦の元旦や秋夕、毎月1日・15日などに祖先の位牌が置かれている廟などで行う簡単な祭祀)や子どもが一歳を迎える誕生日の際にしつらえる食事の準備体験、家の建築、映像でキムチ作り、コヌという昔の遊びなど、子どもたちが民俗生活を直接体験できる空間が用意されています。また、子どもたちに関連した遺物や資料の収集、管理も行っています。


ソウル(鍾路区) , 大学路・城北洞

駱山は、ソウルの観相を成していた内四山(南山、仁王山、北漢山、駱山)のうちの1つで、風水地理上、主山である北漢山の左青龍に該当する山です。このように、貴重な自然環境と文化遺産を持つ駱山ですが、日帝強占期を経て現在に至るまでにその大部分を破壊・喪失し、特に60年代以降は、近代化の過程で無分別な都市計画によりアパートや住宅が建てられ、歴史的遺物としての諸機能を失ってしまいました。 そこで、ソウル市は公園緑地拡充5ヶ年計画の一環で、駱山を近隣公園として指定し、周辺の緑地との融合を目指し、駱山の本来の姿と歴史性を復元する事業を推進しました。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

野獣派的な強いタッチで頭をもたげる『黄牛』、強い骨格を露にし尻尾を振る『白牛』を描いた李仲燮は、韓国戦争真っ只中の1951年、約1年余りを西帰浦で過ごしました。一坪半程の部屋で日本人の妻と二人の子どもともに暮らし、現在まで彼の代表作に数えられるほとんどの絵がここで描かれました。戦争避難民としての一時的な滞在でしたが、つらく不遇な彼の人生において最も安定した時期であったとされています。西帰浦市は、彼の暮らしていた家を買い取って復元し、李仲燮記念館を建てました。そして、彼が朝晩散歩していた家の前の通りを「李仲燮通り」に指定しました。李仲燮通りに立つと、避難生活として暮らしていた家が原型そのままに復元されており、家の裏には生前に描いた絵が展示されている「李仲燮美術館」があります。李仲燮画家の作品はカナアートセンター代表のイ・ホジェ氏が西帰浦市に寄贈したもので、李仲燮の8点の原画作品と韓国を代表する52点の近現代画家の作品など、全部で60点の作品が所蔵されています。


全羅南道(潭陽郡 )

映画「ワニとジュナ」でワニが父親と一緒に車に乗って通り過ぎるシーンを撮影したのがまさに淳昌から潭陽に続くメタセコイアキルです。韓国竹博物館から15番国道を走り出すと童話の中のような美しい並木に思わず見とれてしまうほどです。潭陽には竹林以外にも街路樹としてメタセコイアが植えられており、異国的で幻想的な風景を作り出しています。 メタセコイア(Metasequoia)は元々中国が産地ですが、アメリカに渡り改良され、潭陽(タミャン)郡では1970年代初期の全国的な並木造成事業当時、内務省の模範並木に指定され、3~4年ものの苗木を植えたものが現在の並木をつくっています。2002年、山林庁と生命の森栽培国民運動本部により「最も美しい並木」に選ばれた場所でもあります。