ロダンギャラリー
 
ソウル(中区)
ロダンギャラリーは、ロダンの名作を鑑賞することができる世界で8番目に建てられたロダン専門の美術館。常設展示場「クレス・パビリオン」と2つの企画展示室があり、展示場全体が半透明のガラス張りの「クレス・パビリオン」では、ロダンの名作である「地獄の門」や「カレーの市民」を自然光のもと鑑賞することができる点に表されるように、単に作品だけでなく建物自体もロダンの芸術魂を生かすように企画展示室では他の芸術家の作品も展示されており、主に近現代美術史において業績を残した韓国の作家の作品を鑑賞することができる。また音楽や舞踊公演なども企画・公演されており、真正な文化芸術の空間としてさまざまな文化のジャンルの公演を行っています。主に展示に関連する映像を上演するビデオ室やロダンの作品模型、陶磁器、生活用品などが展示・販売されているアートショップもあります。また周辺には、中央日報の建物内にある湖巖美術館や湖巖アートホール、市庁の向かい側にある徳寿宮、徳寿宮内にある国立現代美術館(徳寿宮本館)、宮中遺物展示館、貞洞劇場など、歩いて行けるアートスポットが数多くあります。

懿陵[ユネスコ世界文化遺産]
 
ソウル(城北区)
懿陵(ウィルン)は朝鮮20代王・景宗(1688-1724、在位 1720-1724)とその継妃、宣懿王后(1705-1730)の陵です。 景宗は粛宗と禧嬪張氏の長男で、幼いころから身体が弱く王位について4年後に治績(政治的な業績)を残せないままこの世を去りました。宣懿王后は1718年に皇太子の妻となり、1720年に景宗が即位すると王妃となりました。記録によると彼女は全ての事柄に慎重で温和な性格だったと言われています。一般的に双陵は左右に造られますが、懿陵は王と王妃の墓を前後に配置した陵です。このような配置形式には風水地理的な理由があり、自然の地形を破壊せずに陵を造ろうとする韓国民俗の自然観が現れています。

湖林アートセンター
 
ソウル(江南区)
ソンボ文化財団の湖林博物館は、2009年6月に文化芸術を愛する人のために冠岳区新林洞に新林本館を、そして文化の中心となっている江南区新沙洞に湖林アートセンター内に新沙分館を開館しました。湖林博物館 新沙分館は、韓国の古美術の展示のために、2・3・4階の展示室とミュージアムショップや休憩スペースからなっています。陶磁器と櫛目文土器をモチーフに建物がひとつの芸術作品のように地域のランドマークとなっています。また多くの人かさらに気軽に文化遺産の美しさを享有できる機会を提供しています。

奉元寺
 
ソウル(西大門区)
ソウル西大門区奉元洞鞍山の麓にある「奉元寺」は、韓国仏教の太古宗の総本山として、長い歴史と伝統を守ってきた歴史のある古い寺です。新羅真聖女王3年(889年)に道詵国師が、現在の延世大学校(衍喜宮)に創建し、当時の名前は般若寺といいました。その後、 壬辰倭乱の際に焼失しましたが、朝鮮英祖24年(1748年)に賛汁、増巌の二人の僧により今の土地に移転し、また建て直されて「奉元寺」に改名されました。奉元寺では、毎年6月6日に世界平和及び、南北統一を祈願するために、仏教儀式の一つである重要無形文化財第50号に指定された「霊山斎」が行われます。霊山斎は2009年にユネスコ世界無形遺産に登録され、霊山斎が行われる際は梵唄(寺で法事が行われる時に唄われる仏教音楽)と踊りなど、仏教芸術を見ることができます。また、夏になると「ソウル蓮の文化祭り」が開催され、ひっそりとした休息の場で家族と共に、仏教の象徴である美しい蓮の花を観賞できます。

草田繊維・キルト博物館
 
ソウル(中区)
今や消え去りつつある韓国の伝統繊維芸術を保存し、また海外の伝統繊維をつかった芸術作品も一緒に展示することにより繊維芸術の未来を開拓することを目的としています。 南山のふもとに位置した草田繊維・キルト博物館は1998年に開館し、国内外の多様な繊維芸術作品を保有した国内唯一の繊維芸術博物館です。博物館の設立者である第一文化院のキム・スンヒ院長は消えゆく韓国伝統のチョガッポ(パッチワークのように布の端切れを縫い合わせて作るふろしき)技法の伝承と韓国繊維芸術の世界化という目標を念頭にこの博物館を開館しました。韓国の伝統装身具と女性の婚礼服、ポジャギと生活小物、各国のキルトとテキスタイル作品、中国のミャオ族の伝統服飾など草田繊維博物館には東西を問わず世界の女性たちの生活と愛のこもった美しい芸術作品が集まっています。特に普段見られない百年以上も前の海外のキルトや韓国伝統のチョガッポを同時に鑑賞でき、国内のキルト愛好家や外国人観光客が多く訪れています。

妙覚寺
 
ソウル(鍾路区)
妙覚寺は、ソウルの中心、鐘路区崇仁洞にある駱山の東側にある大韓仏教観音宗の総本山です。1930年5月、泓宣和尚が創建し、これまで2回に渡る増築、改築がありました。現在の場所にお寺を建てると、ソウルの街が平和になり、市民の生活に安定をもたらすという風水地理学の説により、この場所が選ばれたと言われています。2002年の世界ワールドカップから、伝統仏教文化のテンプルステイが体験できるお寺に指定され、都心で味わう伝統寺院として多くの観光客から人気を集めています。

文化駅ソウル 284~旧 ソウル駅舎)
 
ソウル(中区)
ソウル駅舎は東京大学の教授だった日本人塚本靖が設計をし、1922年6月に着工して1925年9月に竣工しました。当時、新築された建物は規模も大きく、ドーム型の独特な形をした外観は注目の的でした。建築資材は赤いレンガを使用し、1階の中央ホールの床には花崗岩を敷き詰め、中壁は石材、壁には人造石を使用しました。建物内部の貴賓室の廊下はすべて檀木が敷き詰められています。光復節(独立記念日)以降、京城駅だった駅名がソウル駅と改名されました。韓国戦争で駅舎の一部が破損してしまいましたが修復されました。その後、ソウル駅舎は首都ソウルの急激な発展と共に増加した輸送量を消化しきれなくなり、1960年代に南部と西部に駅舎を新設、本駅舎と区分して使用されました。2004年1月に新しい駅舎が多建てられて旧駅舎は閉鎖されましたが2011年に復元工事を経て複合文化空間「文化駅ソウル 284」という名称で生まれ変わりました。ソウル駅舎1階の中央ホールは公演、展示、イベント、カフェなどの空間で2階は公演、展示、セミナー、会議などの多目的ホールとして使用されています。

ガナアートセンター
 
ソウル(鍾路区)
ガナアートセンターは、北漢山に位置する韓国で最も広い展示空間を誇るギャラリー。建物は世界的な建築家のジャン-ミッシェル・ヴィルモット(Jean-Michel Wilmotte)が設計したモダンな建築様式で、建物自体がひとつの芸術作品だといえるグレードの高さです。内部は作品が最も引き立つよう設計されており、照明なども高級感を漂わせています。2階建ての建物に3つの展示場があり、展示はもちろんイベントも行うことができる実用的な空間も兼ね備えています。また第1展示場は既に亡くなった作家たちの作品の世界を展示しており、記念館的な常設展示場で、第2、3展示場は企画展を主に行っています。また最先端の音響施設も備え、クラシックや大衆音楽、著名人の招待講演なども行われています。さまざまなイベントを行うことのできる屋外空間は約3000席の規模で、最高の音響と照明施設を完備しています。その他さまざまな料理や世界各国のワインが揃ったレストランや休憩室、資料情報室もあり、都会の雰囲気とは一味違った美しい景色のもとリラックスできるでしょう。

阿且山城
 
ソウル(広津区)
阿且山城(アチャサンソン)は六角形で全周1キロほどで渓谷を抱きかかえたような形になっています。海抜200mの山の頂上から漢江に向かって東南に築城されており、漢江と周辺の景色を一望できるスポットととして人気。城の名称は、朝鮮太祖(1392~1398在位)が阿旦(アダン)を阿且(アチャ)に直し、阿且城と呼ぶようになったという経緯があり、長漢城、広壮城とも呼ばれています。この城は三国時代(4C-7C)の戦略要衝地として、高句麗・百済・新羅が熾烈な領土争いを通して奪い奪われる激戦を繰り広げた所。このような戦闘の中で百済・蓋鹵王(455~475在位)は、高句麗・長壽王(413~491在位)が送った大軍によって陥落した後ここで弑逆され、また高句麗・温達将軍は590年、新羅軍と戦う中戦死した所として歴史的な意義が大きいとされています。今では自然公園として造成され、登山道(1,500m)、バドミントン場、相撲場、洋弓場、アドベンチャー遊び施設、ベンチ、八角亭などが整備され、市民たちの憩いの場となっています。

華溪寺
 
ソウル(江北区)
華渓寺は、ソウル特別市江北区水踰洞三角山にある寺院で、曹渓寺が管理している小さなお寺です。ソウル市内にありますが、山から流れてくる水がとてもきれいで、また鬱蒼とした森に包まれており、都市の中にある寺院とは思えない静粛を保っています。華渓寺は、朝鮮中宗17年(1522年)に信月僧が創建しましたが、1618年に火事で全焼し、1866年(高宗3年)興宣大院君が施主となり再建しました。境内には、初期の建物である大雄殿(有形文化財第65号)以外に冥府殿、三聖閣、千仏五百聖殿、梵鐘閣、宝華樓、鶴棲樓などがあります。華渓寺付近にある華渓寺谷には、烏啄泉がありますがこの薬水は昔からすが岩を啄んでできたもので皮膚病や胃膓の病気に特効があると言われています。