シンツリー公園(신트리공원)
 
仁川(富平区) ,
富平は周りを桂陽山と鐵馬山、満月山に囲まれた盆地形状からなっています。 現在の富平が都市としての形を整えたのは、京仁鉄道の開通と6.25戦争直後、米軍部隊の配置による人口の流入によるものとされています。 富平4洞のシンツリー公園は総面積58,594㎡を誇り、サッカー場やテニスコート、バトミントンコートの他、子ども達の遊び場や遊歩道、噴水などが整備されています。 教養施設として7,869㎡(1,500席)規模の図書館が公園内にあり、住民の憩いの場所として親しまれています。

テディーベアミュージアム ソウルタワー(테디베어뮤지엄 N서울타워)
 
ソウル(龍山区)
「テディーベアミュージアムソウルタワー」は、ソウルの一番美しい姿を一目で見渡すことが出来る「ソウルのシンボル」ことソウルタワーにあります。 「テディーベアミュージアムソウルタワー」では、テディーベアと共にソウルの過去から現在までの姿を見てみることができます。また、世界的な国際都市に変わりつつある韓国の首都「ソウル」の変化や発展の過程もテディーベアを通して理解することができます。 「テディーベアミュージアムソウルタワー」を楽しんだ後には、ソウルタワーの展望台も観覧することができます。南山の一番高い所に位置するソウルタワーの展望台からはソウルを一望できます。テディーベアミュージアムは年中無休で、夜9時まで入場が可能です。ソウルタワーまでは、ソウルシティーツアーバスを利用することもできます。

江陵文化芸術館(강릉문화예술관)
 
江原道(江陵市) ,
「江陵文化芸術館」は、江原道江陵市にある複合文化施設です。1992年1月30日、地域の文化芸術の発展と住民の文化へのふれあいを目的に江陵市が設立しました。大ホール、小ホール、展示館、野外展示コーナーなどの施設が完備されており、演劇や音楽、舞踊などの公演イベントをはじめ、多種多様な展示会や教育プログラムが実施されています。

神光寺
 
世宗市() ,
神光寺(シングァンサ)は世宗特別自治市鳥致院邑の露積山に位置する寺院です。創建年代は約160年前とされており、1920年に住職が復元したという記録が残っています。創建当時はトゴル寺、修養寺(スヤンサ)などと呼ばれていましたが、1980年に現在の寺院名に変更されました。  

農業博物館(농업박물관)
 
ソウル(中区) ,
農業博物館は1987年に開館し、2005年7月リニューアルオープンしました。農業博物館は農業歴史館、農業生活館、農業広報館の3つの展示室に約2,000点の農業に関する遺物をはじめ、農村の姿をそのまま再現したかのような田畑、伝統農家や市場の様子、農業遺跡地などを立体的に展示している博物館です。  

慶州掛陵(경주 괘릉)
 
慶尚北道(慶州市 ) ,
この陵は新羅第38代・元聖王(在位 785∼798 金敬信)の墓です。慶州市内から蔚山方面に約12キロの距離にあります。円周70メートル、直径21.9メートル、高さ7.7メートルで、稜の周りにある護石には十二支神像が浮き彫りにされており、その周囲を石の手すりで取り囲んでいます。 封墳から若干離れており左右に華表石・文人石・武人石、石獅子が向かい合って立っています。武人石は西域人の顔立ちをしており目を引きます。この墓は唐の陵制度を手本としていますが、護石・十二支神像・手すり・石人・石獣など全ての面で新羅の陵の中で最も完備された形式を備えています。彫刻の手法は新羅王陵の中で最も優れたものとして評価されています。「掛陵」と呼ばれるのは墓の穴を掘る際に水が溜まり棺を掛けて埋めたという伝説からだと言われています。

擲板庵
 
釜山広域市(機張郡) ,
*元暁大師伝説の発祥地「擲板庵」* 澄んだ水や自然の音色が流れる山寺。適度な坂道と稜線の起伏、遠くには東海が一望できる絶景が広がる仏光山。青く茂った広葉樹林に入り30分ほど行くと森の奥深くにある奥ゆかしい香りと読経の声が鳴り響く千年古刹の擲板庵が現れます。 仏様のようなふくよかな形をした頂上のすぐ下にあるこの場所は、元暁僧侶が673年(新羅文武王13年)、長安寺とともに創建した土窟で元暁僧侶が神通力で中国唐泰化社の数多くの大衆を助けた「海東元曉拓板救衆」という逸話が発祥したとされています。「元暁僧侶が卓を投げて大衆を救った」(初暁擲板救衆)という宋高僧伝の記録は擲板庵の由緒正しい歴史を伝えると同時に元暁僧侶の仏力の深さが広く外国まで伝わったという事実を物語っています。ある日の朝、西側万里の外にある唐の国の法運寺の四部大衆が梅雨で崩れかけた山の前に座っているのを神通力で知り、卓を投げて彼らを救ったという逸話はこの周辺一帯の創建との関連性を表しています。擲板庵は創建当時、談雲寺と呼ばれていましたが、1938年鏡虛僧侶によって重修された後、長安寺の付属庵として維持され、最近になって独立したお寺です。 聡明な空の下、繰り広げられた擲板庵の物語は長い歴史と創建説話に引けを劣らない程、美しい風景をみせてくれます。境内いっぱいに差しこむ日を受けながら、長年その場所を守り続ける擲板庵は登山客にこの上ない憩い場となるだけでなく、この一帯で最高の甘露水がほとばしる佛道場があることでも知られています。静かに目をとじてみると1400年前の仏光の深さを感じることができるでしょう。

【江華ナドゥルキル第3コース】陵墓へのキル  [강화 나들길 제3코스] 능묘 가는 길
 
仁川(江華郡) ,
【歴史と文化が息づく江華ナドゥルキル】 江華ナドゥルキルは海岸に沿って1.3kmごとにある墩台と、江華山城を結ぶ道です。そして、高麗王陵を張り巡らすように造られた道を指します。また、山と野原、海と文化財を楽しみながら歩く道です。 江華島は島の全体が博物館と言えるほど多くの遺跡があります。支石墓や、青銅器、モンゴルの侵略に対抗するために江華島に移ってきた高麗の跡が見られる高麗宮址や高麗王陵が残っています。また、江華山城と海岸に設置された朝鮮時代の遺跡もたくさん残っています。そして、西海岸の美しい夕日や干潟、摩尼山、高麗山、のどかな農村の風景などを各コースで楽しめるようになっています。 江華ナドゥルキルの背景には、江華島の地域の由来と風景、人物などを歌にした江華島のソンビ(学者)である高在亨(1846-1916)が記した「沁都紀行(シムドキヘン)」という詩集があります。沁都紀行は高在亨が1906年桃の花が咲き乱れる春の日に、故郷のドゥドゥミ村(現 仏恩面 斗雲里)を出発し江華島全域の約100の村を旅行しながら書き記した紀行詩が綴られた詩集です。高在亨が大韓帝国の 暗鬱の時代に急速に消えていく風俗を嘆き、自分が生まれ育った故郷で歩いた道を約100年過ぎた今、江華郡が生態文化探訪路として新しく誕生させたのです。江華ナドゥルキルは高在亨が故郷を思い詠った詩の道であり、歴史と文化の跡が残っている道です。 【江華ナドゥルキル第3コース】陵墓へのキルは、温水公営駐車場から嘉陵までの16.2㎞を結ぶ区間で、高麗王陵を見ることが出来ます。 伝燈寺の東門を出発し、伝燈寺境内から、三郎城の北門へと抜け、散策路を過ぎ、温水聖公会から吉亭貯水池へと向かいます。高麗最高の書き手である李奎報の墓を過ぎ3基の高麗王陵を見て回るコースです。王陵の間にある森の散策路がおすすめです。

国立大田顕忠院(국립대전현충원)
 
大田広域市(儒城区) ,
* 殉国烈士を称える場所、国立大田顕忠院 * 国立大田顕忠院は大田広域市儒城区にあり、敷地面積322万2001平方メートル、6万3250人を埋葬することができます。韓国の伝統美と現代美の調和、自然景観を最大限に保存し、既存の国立墓地にはなかった点を補い、護国公園化を基本として造られました。祖国守護と国家繁栄のため、尊い命を国に捧げた殉国烈士と護国英霊が眠る民族の聖地として1979年に着工し、1985年に竣工しました。100万坪にいたる広い敷地に墓域は愛国の志士、国家有功者、将軍、将校、警察官および一般墓域として造形され、参拝のための顕忠塔と顕忠門、告別式と護国映画上映のための顕忠館、各種護国写真と遺物を展示する護国館、そして戦闘装備などが展示してある野外展示場があります。その他に、美しい自然景観を背景に護国噴水塔、天馬雄飛像などの造形物、自然石で作られた韓半島(朝鮮半島)の形をした人口池の顕忠池、亭子、各墓域周辺にある休憩室などがあります。1982年8月27日に初めて兵士の埋葬が行われ、その後1985年2月に将校および警察官、1986年11月に将官級の将校、1989年10月に国家有効者、1994年12月に消防官(一般墓域)が埋葬されました。