江原道(鉄原郡)

江原道鉄原郡(チョロングン)葛末邑(カルマルウプ)にある「三釜淵(サムプヨン)瀑布」は高さ20mを誇る滝です。1年を通じて水が枯れることがなく周辺には特異な形をした岩が自然景観とあいまり神秘さを与えています。特に滝の水が流れ落ちる所が3ヵ所ありますがその様子がまさにご飯を食べる時に昔、使った釜の形に似ていることが特徴で、三釜淵の名称もそこから由来しています。 この滝には昔、龍が空へ昇ったという伝説があり、近くには「龍華洞」という地名のところもあります。周辺に食堂や売店など便宜施設がないため環境はきれいなまま保たれています。 また1km圏内のところには、その昔キツネを弓矢で射て仕留めたある父親が息子の結婚相手に迎えようとした嫁が実はキツネだったという伝説が残る「ヨウコル(キツネ谷)」村という所があり、合わせて観光することをおすすめします。 三釜淵瀑布へのアクセスは、ソウルから新鉄原へ向う直行バスを利用、新鉄原里で下車、鉄原郡庁を通ってかなり歩かねばならないため、バス下車後はタクシーの利用が便利です。(タクシーで約10~15分程度) 問合せ: 鉄原郡庁 +82-33-450-5365


江原道(平昌郡) , 平昌


慶尚北道(高霊郡 )


慶尚北道(盈徳郡 )


仁川(中区) , 仁川市街地

仁川の歴史探訪:仁川内洞聖公会聖堂 韓国を代表する歴史的観光スポット:仁川内洞聖公会聖堂 韓国の仁川を訪れる際にぜひ立ち寄りたい観光地の一つが、仁川内洞聖公会聖堂(인천내동성공회성당)です。この聖堂は、歴史と文化が融合した場所であり、韓国における聖公会の発展において重要な役割を果たしてきました。 仁川内洞聖公会聖堂の歴史 仁川内洞聖公会聖堂の歴史は、1890年9月29日に英国の宣教師たちが仁川港に到着し、朝鮮における宣教活動を開始したことに始まります。翌年の1891年9月30日には初代の聖堂が完成し、地域の人々に福音を伝えました。1902年には一時的にロシア領事館として使用され、1904年から1956年までは聖公会神学院として機能していました。しかし、韓国戦争(1950~1953年)の際に建物は破壊され、1956年6月23日に再建されました。 建築の特徴 仁川内洞聖公会聖堂の建物は、中世風の石造りで、外壁と主要構造材には堅固な花崗岩が使用されています。屋根の木造トラスを除き、建物全体が堅牢な作りとなっており、韓国の伝統的な木構造の軒様式も取り入れられています。また、窓や壁面部分のデザインも素晴らしく、訪れる人々に深い印象を与えます。この聖堂は、韓国の伝統と西洋の建築技術が見事に融合した代表的な建築物です。 見どころ * 歴史的意義:韓国初の聖公会教堂として、宣教師たちの努力と信仰の象徴です。 * 建築美:中世風の石造りと韓国伝統の木造軒様式が融合した美しいデザイン。 * 文化交流:宣教師たちが韓国文化とキリスト教を融合させた努力が感じられます。 アクセスと追加情報 仁川内洞聖公会聖堂は、仁川広域市中区内洞に位置しており、仁川の中心部からもアクセスが容易です。公共交通機関を利用して簡単に訪れることができ、周辺には観光客向けの施設や案内所も整っています。聖堂の見学時間やイベント情報などについては、事前に確認すると良いでしょう。 まとめ 仁川内洞聖公会聖堂は、韓国の歴史と文化を深く理解するための重要な場所です。韓国旅行の際には、この歴史的な聖堂を訪れて、その美しさと歴史的背景を堪能してください。仁川内洞聖公会聖堂は、訪れる人々に忘れられない感動を提供することでしょう。


全羅南道(珍島郡 )

下鳥島灯台は、南海岸と西海岸を繋ぐ航路の要衝水路である長竹水道の安全な船道案内役としての責任を担っており、灯台の明りは39kmです。珍島と下鳥島の間の航路は、潮の流れが速く、ここを通る船舶たちの安全な航海のための道案内として役割を果たしています。 下鳥島灯台は、1909年2月に建立、数年前に100周年を迎え、灯台の高さは12mで傾斜が険しい48mの断崖絶壁の上に建っており見ごたえがあります。 下鳥島の魅力は、海と陸の美しい調和にあります。青い海の上に浮かぶ島々と湖のように穏かな海を音もなく走る漁船の姿が見えるかと思えば、物静かな田舍の農家の田園風景も広がっています。新田海水浴場とモラケ海水浴場から眺める日没が、とても美しく近隣の竹項島のいわし漁と鳥の群れのように密集している小さな島たちを見回す島旅行の楽しさは格別なものです。


江原道(襄陽郡)

「エアロマスターフライトクラブ」は韓国で最も多くの飛行機を持っています。 パイロットトレーニングから飛行機の乗り物、航空写真、イベントまで、AeroMasterはさまざまなサービスを提供しています。 京畿道華城市と全羅南道「潭陽」には合計2つの飛行場があります。 賃貸料 飛行機乗車コースA(15分):平日85,000ウォン/週末100,000ウォン 飛行機乗車コースB(30分):平日17万ウォン/週末20万ウォン プログラム活動 *飛行機に乗る コースA-潭陽ツアー(15分):メタセコイアが並ぶ道路-グァンバンジェリムの森-チョンノグォン竹園-潭陽山-潭陽湖 コースB-潭陽+淳昌または内蔵山ツアー(30分):Bコースにはパイロットと一緒に飛行機を飛ばすチャンスが含まれています-事前の通知が必要です 予約 オンラインまたは電話経由


全羅北道(群山市 )

* 日本強占期に建立された寺院、東国寺 * 東国寺(トングクサ)は1909年から群山(クンサン)で布教を始めた曹洞宗の日本人僧侶・内田仏観(善応仏観)が1913年に建立した寺です。 日本強占期(1910~45年)の間、日本人の住職によって寺は守られてきましたが、1945年8月15日、日本の植民地支配から解放される日を迎え、大韓民国の懐へ戻ってきたという苦難の歴史を持つ寺です。 東国寺は韓国に残された唯一の日本式の寺で、大雄殿と寮舎の建物が渡り廊下でつながっているのが特徴です。 韓国の伝統家屋に見られる原色鮮やかな丹青(タンチョン)で彩られた韓国の寺院とは異なり、装飾がない軒や大雄殿の側面には多くの戸があり、日本的な雰囲気を醸し出しています。 東国寺は曹渓宗第24教区・高敞(コチャン)禅雲寺(ソヌンサ)の末寺に当たります。 東国寺の大雄殿は2003年7月、国家指定登録文化財64号に指定されました。 東国寺の元々の名称は錦江禅寺(錦江寺)と言われていました。この錦江禅寺は1909年、内田仏観という日本人僧侶が群山に布教所を開設し創建した曹洞宗の寺でした。 日本の仏教は1877年、釜山(プサン)の開港とともに、日本政府の要請により流入してきました。 一番最初に浄土真宗大谷派が布教を開始し、1904年群山にも布教所を開設し、日蓮宗が続きました。 日本の仏教が韓国に進出した理由ですが、純粋な仏教布教が目的ではなく、韓国を日本に同化させようとした日本政府の意向をそのまま反映したものと言われています。 その後、朝鮮総督府は日本の仏教を普及するため、1911年6月3日付で寺刹令も発布しています。 寺刹令を契機に、日本の仏教界は全土に別院・出張所・布教所などを設立しました。 錦江禅寺が建立される前、群山には本願寺、群山寺、安国寺がすでにありました。錦江禅寺を創建した内田仏観は布教を始めた1909年当時、すでに77歳の高齢で、群山地域を布教活動している途中、群山の一条通りにあった家屋を借り、布教所を開設しました。1913年7月に現在の場所に移り、現在の東国寺の建物を新たに建立しました。 * 東国寺の意義 * 東国寺は日帝強占期に建立された寺です。日帝強占期に建てられ現在まで残っている日本式の寺はすべて壊され、唯一残っているのが東国寺です。特に、東国寺大雄殿は2003年登録文化財第64号に指定されました。


江原道(寧越郡)

江原道寧越郡の高氏窟(コッシグル)は長さおよそ6kmの石灰岩の洞窟で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に高氏の家族が身を隠したことから高氏窟と呼ばれるようになりました。 約4億年前から形成が進み、内部には多様な鍾乳石と石筍、4つの池と3つの滝、6つの広場があり24種の微生物がいるほか、高氏の家族が避難生活で火を燃やした痕跡が今も残っています。洞窟の周りには遊戯施設、土産店、郷土料理店、宿泊施設などがととのっています。