仁川(甕津郡)

仁川から145キロメートル離れた延坪島(ヨンピョンド)は、西海(ソヘ)の最北端にある島で船でのみ行くことができる離島です。海を隔てて北韓側の甕津(オンジン)半島の釜浦里(プポリ)まで、わずか10キロメートルほどと大変近く、また西海最大の漁港がある島としても有名です。 黄海道(ファンヘド)海州(ヘジュ)の首陽山(スヤンサン)から数えて7番目にあるこの延坪島は、昔ながらの姿を残す、もの静かな島で、平坦に広がる地形ということで「延坪島」と名付けられています。 また、北韓が目と鼻の先にあり前哨防衛基地としての役割を果たしている島です。 特に1999年の延坪海戦以降、一般の人々にも広く知られる島となりました。現在では夏の避暑地としても脚光を浴びている島です。 このような環境にある延坪島は島全体が安保体験場となっている島です。北韓からの砲撃を受けた延坪砲撃の現場がそのまま残され、また延坪海戦の戦死者を追悼する平和公園もあり、南北分断の痛みを直接感じられる場所です。 このほか延坪島平和祈願トゥルレキルというトレッキングコースも整備され、トレッキングとともに安保観光地を歩いて巡ることができます。島の北側のトゥレキルからは対岸の北韓の地も一望できます。 延坪島はかつて韓国一のイシモチの漁場として名を馳せ海上で魚の取引が行われる波市(パシ)で有名なところでした。それもそのはず、この島は、朝鮮時代の名将・林慶業(イム・ギョンオプ) 将軍が丙子胡乱(1636-1637年)のときに清を討つため明へ赴く途中、延坪島にしばし滞在し、 茨の木を使ってイシモチ漁を行ったという逸話が残されているほどイシモチが獲れたといいます。 林慶業将軍を祀っている祠堂・忠愍祠(チュンミンサ)で島の漁民らが村の祠や船の安泰を願い、太鼓や鉦などを鳴らし船の安全を祈願する豊漁祭(文化観光商品)を毎年3月ごろに行っています。村の入口にはこのイシモチの島を記念する銅像があり、 展望台やイシモチ歴史館を開館し、島に残る伝統文化に再び焦点を当てる努力を行っています。 [大延坪島] 朝鮮時代の仁祖14(1636)年、林慶業将軍からイシモチ漁を教えたもらったと伝えられ、1968年までイシモチの波市が盛んに行われていました。現在では島の周囲の海域では、ワタリガニや牡蠣、アサリなどを主に獲っています。大延坪島周辺には小延坪島や4つの無人島があり、豊漁祭などの伝統的な民俗伝統文化が口伝てで伝承されています。 [小延坪島] 島の全域がスズキ、クロイソ、ヒラメ、ボラの釣り場として有名で、また島全体が巨大なチタン鉱山となっています。島に残る民俗芸能としてはニナニ打令(タリョン)が口伝えで伝承されており、また豊漁祭を毎年行っています。 [おすすめの観光スポット] * 安保教育場 -延坪里にある安保教育場は安保教育館と攻撃を受けた建物の保存区域の2ヶ所から構成されています。地上2階・地下1階建ての安保教育館は三つの展示室と3D映像館、防空壕体験室などがあり、様々な見学や体験ができます。1階には砲撃被害展示及び追慕室、2階には安保体験及び教育室があります。安保教育館の内部と外部(2階)では当時の砲撃で被害を受けた建物が現状保存されており見学も可能で、延坪島砲撃当時の惨状を知ることができます。 * 九里洞海水浴場 - 九里洞(クリドン)海水浴場は延坪島の北西にある天然の海水浴場で、北韓の海岸が対岸に見える白い砂浜が幅200m・全長1kmに及び続いています。奇岩怪石、白石、砂浜が広がる海岸で砂がさらさらで海辺にある海松とともに素晴らしい景色をなしており、真夏の海水浴を楽しむのにおすすめの場所です。 * 忠愍祠 (郷土遺跡第1号)- 朝鮮時代中期の名将・林慶業将軍の祠堂で、林慶業将軍が丙子胡乱の恥辱を受け、清を討つため明に行く途中、延坪島に立ち寄り水と食糧を確保するため、大量の茨の木を刈り、延坪島の南にある小島・現在のタンソム(堂島=タンド)の南のアンモクという場所の海に差し、引き潮時に名も分からない魚を沢山獲ったという言い伝えがあり、これが延坪島でのイシモチ漁の始まりと言われています。いまでは毎年春になると島民総出で豊漁を祈願する豊漁祭を行っています。 * 観光展望台(イシモチ歴史館) - 延坪島の歴史やイシモチ漁に再び焦点を当て、これからの延坪島を背負う若者達の教育の場所として活用する目的で、2001年に建設されたのがこの場所です。北韓の地の空を赤く染める夕焼けが大変美しく、故郷を追われて南へやってきた失郷民の人々のこころをしみじみとさせる場所です。展望台からは1999年6月15日勃発した南北韓の間での交戦・西海交戦の現場を臨むこともできます。 * 屏風岩(鳥石海岸) - あたかも屏風のような岩であることから屏風岩と名名付けられたこの岩。周辺にはチタン鉱山もあるほか、周囲の岩石が磨耗し石となり海辺に円石(丸石=鳥石[オソク]/黒曜石)が集まる、別名「鳥石海岸(オソクヘアン)」が広がっています。引き潮の時に現れる黒石は水石を愛好する収集家も一目置くほどの名物となっています。表面が熱せられた石で埋め尽くされる海岸を裸足で歩くと。指圧効果や温浴効果も期待でき、おすすめです。 * オルグルパウィ(顔岩) - 大延坪島南方6.4kmにある小延坪島の東南方向にあり、人の横顔に似ていることからオルグル=顔、パウィ=岩、顔岩と呼ばれています。延坪島を代表する岩礁としてよく知られています。旅客船に乗って小延坪島にやってくると、まず最初に観光客の目に入ってくるのがこの岩です。


江原道(襄陽郡)

休休庵(ヒュヒュアム)は建てられてまだ10年ほどしか経っていない寺院です。寺の裏側から海を見下ろすと、亀の形をした広い岩と、横たわる仏様の形をした岩があり、亀の形をした岩が仏様に向かってお辞儀をしているような姿に見えます。仏様の形の岩の右にある絶壁の上には、チュン岩とよばれる大きな岩が2つ並んでおり、木魚を置いたまま下の仏像に向かって合掌し、お辞儀をしている僧侶のような形をしています。


京畿道(高陽市) , 一山

京畿道高陽市にある元堂種馬牧場は競馬用の馬を飼育している牧場で、1997年に一般に開放されてから、毎年訪問客が増え続けています。種馬牧場への道は、気軽に散歩できるように整備されており、だだっ広い草原や丘で草を食べる馬ののどかな風景を楽しむことができます。映画「角砂糖」をはじめとする各種CMのロケ地としても知られています。 また、放牧された馬にさわってみるユニークな体験ができるほか、近くのベンチに座り、ゆっくりくつろぐこともできます。種馬牧場の横には睿陵、孝陵、禧陵の西三陵や元堂ハーブランドがあります。


慶尚北道(高霊郡 )


京畿道(楊平郡) , 楊平

パタンゴル芸術館(イェスルグァン)は山と川に囲まれ、多くの人が訪れる楊平に位置する文化施設。単なる劇場や展示場ではなく、訪れる人たちが直接創作活動に参加したり、体験したりできるところで、外国人観光客には韓国文化を身近に感じられるところです。パタンゴル芸術会館内にある陶磁器工房では、直接土を練って焼きものを作ることができます。また工作室では、いろいろな染料を利用して絵を描くことができたり、韓紙室では、楮で作る韓紙をすく面白い体験をすることができます。他にも劇場では、演劇やミュージカル、コンサートなど、ジャンルに関係なくさまざまな公演を鑑賞することができます。ギャラリーで美術作品を鑑賞した後は、おしゃれなカフェへ。美しい自然を望む眺めのよいカフェではお茶の味も格別。会館内にある「ウェガッチブ パプサン(母の実家の食膳)」では韓国の伝統料理であるクッパも味わうことができ、ラーメン、トッポッキなどの軽食も豊富です。


慶尚北道(慶州市 )

南山は慶州市の南側にそびえる山で、新羅の人々の信仰の対象でした。金鰲峰(468m)と高位峰(494m)の二つの峰から流れ落ちる、40の渓谷と山脈でなる南山は南北8km、東西4kmと、南北に長く伸びた楕円形で、少し南側にかたよった頂上でなり、直角三角形の山です。 100ヶ所の寺跡、80の石仏、60の石塔が点在する南山は屋根のない博物館です。 南山には40の谷があり、新羅の聖地である西南山、弥勒窟・塔窟・釈迦無二窟などたくさんの岩の中に埋まった仏様がいる東南山にわけられます。 南山の西にある蘿井(ナヂョン)は新羅の初代王である、朴赫居世の誕生神話が宿る場所で、陽山斎は新羅建国以前の徐羅伐(ソラボル)にあった始祖を祭った祠です。 鮑石亭は新羅千年の幕を閉じた悲劇の場所です。東南山には韓国の美と慈悲でいっぱいの菩提寺の石仏座像、9mの高さの四角の岩に塔や仏像などを彫った佛無寺の釈迦無二岩、アーチ型に掘った穴の中の釈迦無二窟の石仏座像などがあります。南山には弥勒窟(菩提寺)の石仏座像、龍蔵寺址の三層石塔、七佛庵の磨崖石仏をはじめとした12の宝物、鮑石址、蘿井や三陵をはじめとした12の史跡、三陵窟の磨崖観音菩薩像、入窟石仏、薬水谷の磨崖立像をはじめとした9つの地方有形文化財、1つの重要民俗資料があります。 南山は遺跡だけでなく、自然の景観もすばらしいところです。たくさんの渓谷、奇岩怪石、そしてたくさんの登山道があります。南山が最高だと言う人は「南山に登らなければ、慶州に来たとは言えない」と話します。自然の美しさ、新羅の歴史、新羅の人々の美意識と宗教意識が芸術として昇華したところがここ南山です。


全羅北道(淳昌郡 )

剛泉山は1981年1月7日に全国で最初に郡立公園に指定されました。淳昌邑から10kmほどの距離にある高さ583.7mの剛泉山は、湖南の小金剛とも呼ばれるほど至る所に珍しい形の峰がそびえ立っており、大小の岩の間に滝ができており、渓谷と渓谷を覆うように青々とした森が広がっています。また、剛泉寺や剛泉山五重石塔、三印台などの文化遺跡も至るところに散在しています。 古寺の剛泉寺と三印台の間を通り、興化亭の横の道を歩いて行ったところに高さ50m、長さ75mの釣り橋が架かっているのが見えてきます。橋を渡り展望台に上がると秀麗な剛泉山の景色を一望することができます。流れる水の音や小鳥のさえずりを聞きながら3~4分ほど歩いて行き右に曲がると、8合目付近の高さ300mの地点に大きな貯水池があります。再び渓谷に沿って山を登っていくと400mの頂上に至ります。この渓谷に沿って植えられている紅葉の木は品種改良されたものではない天然の紅葉の木で葉が小さく色も美しく、また霜にも強く紅葉期間も長いため、冬に渓谷に沿って色づく紅葉はまさに壮観です。


慶尚南道(居昌郡 )

慶尚南道居昌郡渭川面黄山里黄山集落の前の亀淵洞に位置する捜勝台は、三国時代には新羅と百済の国境地帯であり、朝鮮時代には安義県に属していましたが、日帝強占期に行政区域の改編により居昌郡に編入されて今日に至ります。捜勝台は三国時代の百済と新羅が対立していた頃、百済から新羅に行く使臣を送別した所であり、初めは戻って来られないのではないかと心配していたので、心配するという意味の「愁」、送るという意味の「送」の字を使って愁送台(スソンデ)と言いました。愁送台とは俗世間の気掛かりや心配を忘れるほどに景色が素晴らしい所という意味であり、仏教の名前に比喩されることもあります。その後、朝鮮中宗の時に楽水慎権が隠居して亀淵書堂をここに建立し、弟子たちを養成しました。台の形が亀のようであることから岩亀台といい、境内を亀淵洞といいました。今の名前は1543年に退渓李滉が安義県三洞を遊覧のために来た際に始まったものとされています。退渓李滉は馬利面迎勝里(マリミョン ヨンスンニ)に停まってその名の由来を聞きましたが、急務により帰還してここへ来ることはできず、名前が美しくないとして同じ音である「捜勝台」と直すことを勧める律詩を送り、楽水慎権が台の面に彫ったことから始まりました。境内には亀淵書院、祠宇、内三門、観水楼、典祠庁、楽水亭、涵養斉、旌閭、山高水長碑、遺跡碑、岩亀台などがあり、これらは儒林と居昌慎氏楽水一族が共同管理しています。松林と水と岩が調和して景色が素晴らしく、またチャゴ岩とその周辺には皐蘭草をはじめとする貴重植物が自生しています。


慶尚北道(盈徳郡 )

「コレブル海水浴場(コレブルヘスヨクチャン)」は、盈徳から北側に24キロメートルを中心とした寧海面の大津海水浴場に近い海水浴場で、鬱蒼とした松林に囲まれています。黄金色の砂粒は大きく、体につかないため、昔からここで砂風呂をすると心臓や循環器系の疾患に効果があるといわれています。砂浜が8キロメートルにもなることから、大津海水浴場とともに東海の名所20里と呼ばれています。長く白い砂浜、浅い水深、きれいなエメラルド色の海、鬱蒼とした松林がつくる涼しい日陰は、家族で楽しむ避暑地として最適です。また、海水浴場内には、シャワー室、トイレ、給水場、売店、駐車場などの便利な施設も揃っています。


京畿道(南楊州市) , 南楊州

京畿道南楊州市榛接邑富平里にある光陵(クァンヌン)は朝鮮第7代世祖(1417-1468、在位期間:1455-1468)とその妃、 貞喜王后(1418-1483)尹氏の陵です。 光陵は王と王妃をそれぞれ別に奉安しました。左の封墳が世祖の陵で、右の封墳が貞喜王后の陵です。二つの稜の中間地点に一つの丁字閣を立てる形式で造られました。世祖は世宗と昭憲王后の間に生まれました。文宗が死に幼い甥の端宗が王位につくと1453年、癸酉靖難(政権を奪い取る目的で反対派を厳しく取り締まった事件)を起こし朝鮮7代王に即位しました。光陵周囲にはさまざまな生物の自生する森が形成されており、山林庁の研究機関が管理を行い、樹木園を造成しました。光陵は天然記念物第11号に指定されているキタタキの生息地として有名です。また、稜の周辺の森はチョウセンマツやモミ、マツ等の老木が広がり、ドライブコースとしても知られています。