()

蔚山市北区に位置する蔚山空港(ウルサンゴンハン)は、1970年11月に蔚山飛行場として開港し、大韓航空の蔚山⇔ソウル定期路線が開設されました。1973年に休航し、1974年に飛行場は閉港となりましたが、1984年に大韓航空により再び蔚山⇔ソウル定期路線が開設されました。1992年3月にアシアナ航空が蔚山⇔ソウル路線を開設し、1993年2月に大韓航空が蔚山⇔済州路線を開設、1993年5月にはアシアナ航空の蔚山⇔済州線が就航しました。1997年12月にターミナルビルを増築、年間6万本の航空機運航が可能であり、旅客処理規模は年間240万人、駐車場は約500台収容できます。  


京畿道(楊平郡) , 楊平

楊平郡は京畿道の東の端に位置しています。東は江原道の洪川郡、横城郡、原州市、南西は驪州郡、広州市、 北西は南楊州市、加平郡に接しています。郡の中央部の北に位置する龍門山を中心に、山岳地帯をなしています。主な山には道一峰、白雲峰などがあり、この他に北の郡境には通方山、小理山、南の郡境には婆娑山、牛頭山などがあります。北漢江は北西市域を南西に、南漢江は南西地域を北西に流れ、両水里付近で合流、漢江の本流へとつながっています。郡の面積は京畿道内の市郡のうちでも、広いほうです。龍門山一帯は1971年5月20日、国民観光地として指定され、1983年から管理されています。龍門寺、龍門寺のイチョウの木、正智国師浮屠及び碑、龍門山地邱戦跡碑など文化遺産が多くあります。龍門寺は秋には天然記念物第30号のイチョウの木の紅葉を見ることができ、四季を通して観光客の絶えない観光地です。* 龍門寺のイチョウの木この木は現在韓国に生存している、イチョウの木の中で最も大きく古いものとして、龍門寺の大雄殿の前に立っています。樹齢は推定約1,100年、高さ60メートル、幹の胴回りは12.3メートルで、アジアでは最も大きなイチョウの木です。言い伝えによると、新羅時代の最後の王である敬順王が、先生の大鏡大師に会いにきたときに植えられたものと言われています。またこれ以外の言い伝えに、敬順王の息子であった麻衣王子が国の滅びる悲しみを抱え、金剛山に行く途中で植えたもの、新羅時代の高僧である義湘大師が使っていた杖をさしておいたところ、根が生え大きくなったものとも言われています。多くの戦乱により、寺院は何回もの被害を受けました。特に丁末義兵が起こったとき、日本軍が義兵の本拠地だと言い、寺院を燃やしてしまいましたが、このイチョウの木だけは燃えずに残ったことから天王木とも呼ばれました。また、朝鮮時代の世宗王のときには、正3品という官職をもらった木でもあります。また、この木にはもう一つの伝説があります。昔、ある人がこの木を切ろうとノコギリをあてたところ、ノコギリから血がながれ、晴れていた空は曇り、雷が鳴り始めたため切るのを止めたと言います。また、国にとって大きな出来事が起こるときには音が鳴ったと言われており、朝鮮時代第26代王の高宗が崩御したとき大きな枝が一本落ち、1945年に日本の支配から解放された後に韓国戦争のときには、この木から不思議な音がしたと伝えられています。※ 見どころ – 龍門寺のイチョウの木、龍脚岩、マダン岩、将軍薬水、自然渓谷、龍門寺上院寺、正智国師浮屠及び碑、ウンピル岩、龍門山地邱戦跡碑


京畿道(加平郡)

清平駅の清平は、その名の通り澄んだ水の平野を意味しています。清平ダムや湖があり、清平川の澄んだ川は、韓国でも特に美しい景色を誇ると言われています。川辺公園や虎鳴山、虎鳴湖だけでなく、韓国情緒溢れる庭園を再現した「アチムゴヨ樹木園」やドラマ「ベートーベンウィルス」のロケ地となった「プチフランス」などの観光スポットにも隣接しており、常に観光客で賑わいを見せています。 清平駅は1939年7月25日、京春線の開通により、普通駅として営業を開始しました。2009年9月1日、新清平駅へ移転、2010年12月21日、京春線複線電鉄が開通しました。


京畿道(抱川市 ) , 抱川


済州道(済州市 ) , 신제주

プシケワールドは約3千種類の蝶を10万匹以上展示している博物館です。プシケはギリシア語で蝶を意味し、ローマ神話に出てくるキューピット(エロス)の恋人としても有名です。 プシケワールド観覧館は蝶と昆虫の標本で、人生を表現したパロディワールドやインコ、うさぎ、ハムスター、チョウセンハリネズミ、長寿コガネムシ、クワガタ、子どもたちの大好きなペットや昆虫、蝶、蚕の卵などを観察し、体験できるライブワールドがあります。スタディーワールド観覧館では蝶と昆虫の意味をはじめ、蝶の一生にいたるまで、たくさんの見所と情報であふれています。外部観覧館のクリスタルハウスでは、飛び回る蝶や昆虫を見ることができます。その他、休憩コーナーもあります。 パロディワールド、ライブワールド、スタディワールド観覧館では、外国人のための英語、中国語の解説サービスもあります。プシケワールドは済州空港から中文観光団地方向に15.3㎞離れた、済州競馬公園の向かい側に位置しています。アクセス方法は済州空港からタクシーに乗り、プシケワールドまで直接移動します。料金は約9,500ウォン~10,000ウォンです。


忠清北道(清州市 )

韓国で3番目に大きなダム、大清ダム大清ダムは、高さ72m、長さ495m、体積123万4,000㎥の重力式コンクリートダムと石塊式ダムからなる複合型ダムです。錦江河口から150㎞の上流地点にあり、大田市から東北側に16㎞、清州市から南側に16㎞の位置にあります。錦江は韓国中部内陸から西海に流れる河川で、長さ401㎞、流域面積は国土面積の約10%に相当する9,886㎢ほどになります。大清ダムの主要施設としては貯水容量14億9,000万㎥の本ダムと調整池ダムがあり、本ダムの周辺には貯水池の水が他の地域に溢れないようにする3つの補助ダムがあります。 また大田と清州地域に用水を供給するための導水路や施設容量9万㎾の水力発電所があります。このダムは1975年3月に工事に着手し、5年9ヶ月の工事を終えて1980年に完成しました。ダムの完成により、ダムの下流地域の洪水被害を軽減すると共に、下流地域の農業地に農業用水を供給し、さらに経済成長と人口増加により急激に増加している大田、清州、全州、群山などの忠清、湖南地域に生活用水と工業用水を供給しています。年間2億4,000万kwの電気を生産し、中部地域に郊エネルギーを供給することをもって、経済発展の原動力になっています。展望台に上がると、大清湖をより美しい形で眺めることができ、大清ダムの左岸にある大清ダム水文化館では、水の大切さを伝える多様な展示物を見ることができます。大清湖のもうひとつの楽しみ、ドライブ 大清湖のドライブコースは2つのコースからなっています。そのうちのひとつは、清州と新灘津をつなぐ大清湖の北側のコースで、もうひとつは報恩と沃川をつなぐ大清湖の右側のコースです。2コースのうち清原郡文義面と賢都面オガ里の間の景観が美しいといわれています。


江原道(高城郡)

金日成の別荘として知られている「花津浦(ファジンポ)の城」は、1948年から1950年まで金日成と共産党の幹部がリゾートとして使用した建物です。花津浦の城の上がり口の階段には、1948年に当時6歳だった金正日がここで撮った写真や、金正日の家族が使用した応接セットなどの各種の遺品の模型が展示されています。花津浦の城の内部には、北韓関連の資料を始め、昔の別荘の写真、金日成の家族が使用していた応接セットなどの各種の遺品の模型が展示されています。


江原道(原州市)

1984年12月に国立公園(クンニプコンウォン)に指定された雉岳山(チアクサン)は総面積182.1平米で、毘盧峰(1288m)が最高峰となります。雉岳山南の南台峰(1182m)から北側の三峰(1072m)に至る稜線の長さは24kmに達します。昔から高くて険しいことで有名な山である雉岳山は山並みが雄壮です。昔の名前は赤岳山でしたが、ヘビに食われようとしていたキジを助けた旅人が危機に遭うとそのキジが恩を返して命を救ったという伝説から雉岳山に代わりました。その伝説がある上院寺の南側には天然記念物である城隍林があります。西側には世尊台、万景台、戸岩・息子岩などがあり、戦乱の歴史がある領願山城、海尾山城、金頭山城などが見られます。主峰である毘盧峰周辺には耘谷・元天錫の魂がこもった石逕寺、立石台、神仙台、太宗台、老姑沼などがあり、その後にセリョム滝、梯子兵站、槍柄岩、などの優れた景色がつらなります。また毘盧峰のてっぺんには雉岳山の名物である3つの石塔(高さ10m)があります。亀竜寺は新羅の文武王(在位661〜681)の時代に義湘(625〜702)が建てた古い寺で、大雄殿(地方有形文化財24号)があり、周囲には亀竜滝、亀岩、虎岩、竜岩などがあります。雉岳山には昔から寺が多かったですが、現在は亀竜寺をはじめ8カ所が残っています。亀竜谷には樹齢数百年の松の木が生い茂り、山での伐木を禁止したという黄腸禁標が鶴谷に残っています。雉岳山は主な稜線西が急傾斜を成していて東は比較的緩慢な傾斜となっています。


江原道(高城郡) , 束草・雪岳山

花津浦(ファジンポ)は湖岸にハマナスが咲きほこることからついた名前で、韓国最大の自然湖です。江原地方記念物 第10号に指定されています。周囲16kmの広い葦原で、冬は渡り鳥と白鳥の群れが舞い下りる渡り鳥の渡来地です。また、周辺には先史時代の遺跡がありますが、およそ10個のドルメン(支石墓)が分布しています。まわりの景色が優雅で、解放直後(1945年)は北韓の金日成主席(1912-1994)と韓国の大統領だった李承晩(1875-1965)がここに別荘を建てていました。湖を中心に向い合いあっていたふたつの別荘は今もその跡が残っていて、観光資源として活用されています。この別荘は花津浦歴史記念館となっており、一般観光客達に安保展示館として開放しています。


慶尚南道()

巨済島(コジェド)は秀麗な自然と歴史が調和した観光名所で、韓国で二番目に大きい島。長坪里から伸びた大橋をわたるとすぐの巨済島には南海の名所が集まっている所でもありますが、そのうち南海の金剛山と称される海金剛、夏には海水浴場として有名な鶴洞モンドル海岸、44,000余坪に3000種余りの樹木と地中海式の建物などが調和し韓国のパラダイスと呼ばれる外島海上農園などが人気です。壬辰倭乱(文禄の役1592)で初めて勝った玉浦海戦(1592.5.7~5.8)を記念して作られた玉浦大捷記念公園では忠武公(李舜臣)を称えるための祭礼行事が毎年開催されており、6・25(朝鮮)戦争国際連合軍側最大規模の捕虜収容所だった巨済島捕虜収容所も遺跡地として再現してあります。