京畿道(広州郡)

*山に囲まれた咽かな場所で堪能する伝統料理。南漢山城伝統料理村*三国時代から韓国の主要軍事要地として活躍してきた南漢山城は、朝鮮第14代国王の宣祖から第23代国王の純祖に至まで、国防の砦としての役割を果たしてきました。第16代国王の仁祖時代に完成し、300年以上の歴史を持つ文化遺産として高く評価されています。ここには伝統韓屋の建物が並び、白米やトトリムク(ドングリのところてん)、地鶏水炊きなどの伝統料理を味わうことができます。 南韓山城について京畿道広州市中部面山城里南漢山にある朝鮮時代の山城で、1963年1月21日、史跡第57号に指定されました。北漢山城と共にソウルを南北から防御する山城の1つで、新羅文武王の際に建てられた晝長城跡が活用され、1624年(仁祖2年)に建築されました。


全羅南道(霊岩郡 )

三韓時代(初期鉄器時代~原三国時代)から続く2200年の長い伝統を持つ鳩林(クリム)伝統村は、全羅南道霊岩郡にある月出山(ウォルチュルサン)の西側の麓に位置しています。鳩林村は多くの歴史的説話と人物を生み出したところで、手付かずの自然と文化観光資源が豊富な美しい村です。村の中には、有形文化資源の会社亭(亭子(あずまや))、国岩祠(祠堂)など12の楼閣や亭子、伝統家屋、石垣、古木などが昔の姿形そのままに残っています。 特に、鳩林村内には96の韓屋民宿があるため韓屋での宿泊体験ができると共に、紙工芸、伝統婚礼、餅つき、藁工芸、魚捕り、水遊びなどの様々な体験もでき、さらに毎年開催される王仁桜祭りや菊祭りを楽しむこともできます。  


慶尚南道(居昌郡 )

工業用水の供給のために造られ、水質保全と安全を理由に1.2㎢の流域面積の全域に鉄線が設置され他地域に比べて相対的に立ち遅れ、人々の往来が少ない疎外地域となり40年余り。現在は、鉄線が撤去されて貯水池周辺には自然を活かした散策路とテーマ施設が造られました。


慶尚北道(安東市 )

《韓国固有の味が感じられる安東河回味噌村》 安東河回味噌村は、安東市豊川面河回里にある河回村と屏山書院との分かれ道に位置しています。この村は河回仮面や柳成龍で有名なところで、味噌の深い味わいを継承し続けています。 休業日  年中無休 所要時間  1時間前後 入場料  無料 利用可能施設  展示場 トイレ  あり


全羅北道(益山市 )

王宮里五重石塔(ワングンニ・オチュンソッタプ)は馬韓時代の都として知られる益山(イクサン)の王宮面から南に2㎞ほど離れた丘に位置している石塔です。高さは約8.5mで、国宝第289号に指定されています。この石塔から発見された高麗時代の遺物はすべて国宝第123号に指定され、国立中央博物館に保管されています。発掘された遺物では「益山王宮里五重石塔舎利荘厳具」が有名で、蓮の花の蕾の形のふたがついた緑色のガラス製の舎利瓶や、金剛経の内容を19枚の金の板に刻み、たたんで2つの金の紐で結んだ純金金剛経板があります。


京畿道(抱川市 ) , 抱川

平康植物園は2006年5月に開園し2009年環境部から生息地の他保全機関に指定されました。海抜2,500m以上の高山地帯で発育する珍しい高山植物1,000種余りを保有していることでも有名です。


仁川(江華郡)

2007年5月にオープンした「オットッキ宇宙センター」は、学習・探険・遊びを同時に楽しめる体験型テーマパークです。 約2千坪の室内展示空間と約1万6千坪の室外展示空間を有する科学体験空間は、子どもが現場体験学習するだけでなく、家族連れがレジャー感覚で楽しめる空間となっています。展示場の各所において展示ガイドの解説を聞くことができ、航空宇宙産業の歴史や発展過程などを知ることができる他、宇宙を間接的に体験できるさまざまな体験器具も用意されています。また、野外公園には10万本のサツキが咲き、樹木園も顔負けの多様な種類の木や花も見られます。宇宙の神秘と自然生態公園の共存する「オットッキ宇宙センター」は子どもに科学の神秘と宇宙に対する夢や希望を抱かせ、大人は童心に返って余裕ある時間を過ごすことのできるところです。


ソウル(鍾路区)

彰義門(チャンイムン)は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。


慶尚南道(昌寧郡 )

釜谷(プゴク)温泉は昔、村に温泉が湧き出る井戸があったことから、湯治のために大勢の人が訪れたと伝えられています。また、釜谷温泉は1970年~80年には新婚旅行先として人気がありました。 現在、温泉観光客は1日平均1万~2万人、年間で400万人に達します。釜谷温泉は国内有数の温泉の中でもっとも高温の78℃を維持しています。釜谷温泉は1973年に発見された硫黄アルカリ性温泉で、1日の湧出量は6000トンになります(国内最大量)。 釜谷温泉観光特区にはホテルやコンドミニアム、ゴルフ場など、温泉関連の総合リゾート施設や、24ヶ所の温泉スポットがあります。温泉スポットでは「釜谷ハワイ」が有名で、観光ホテルの屋内外にプールや公演ステージ、チムジルバン、サウナなどの様々な便宜施設が揃っています。 毎年4月には温泉がいつまでも湧き出ることを祈願して「温井祭(オンジョンジェ)」が開催されます。


忠清北道(報恩郡 )

俗離山国立公園(ソンニサン・クンニプコンウォン)は俗離山と華陽、仙遊、双谷など三つの渓谷が集まって作り上げられた国立公園です。韓国八景のうちの一つである俗離山は、太白山脈から南西方向に広がる小白山脈の中にあります。忠清北道報恩郡、槐山郡、慶尚北道尚州郡の境界になる山でもあり、海抜1,057mの俗離山は花崗岩を基盤としてできています。花崗岩の峰は鋭くそびえており、堆積岩部分は深く削られ、峰と渓谷が絶景を作り上げています。俗離山は別名、小金剛山とも呼ばれます。 俗離山には大きな寺院の一つである法住寺があります。法住寺には岩に彫られた「磨崖如来倚像」がありますが、「倚像」とは座っている釈迦の像を言うもので、この磨崖如来倚像は蓮の花の座台に座っている姿を彫ったものです。長い歳月が経ち、磨耗がひどかったのですが、原型をそのままとどめています。また法住寺の写真には必ず登場する高さ33mの巨大な「青銅弥勒仏」は、世界最大の単一仏像です。このように俗離山には法住寺という素晴らしい寺院があり、千五百年の歴史にふさわしく数多くの宝物や国宝があります。優れた遺物の中で開花した仏教文化に出会うことができるのが法住寺なのです。 俗離山の深い渓谷は、絶えず登山客が訪れます。また、山中の数多い天然記念物は観光の名所を作っています。春には山桜、夏には青い松、特に秋には紅葉が絶景を極める素晴らしい山です。