京畿道(竜仁市) , 龍仁

韓国美術館は1983年3月に嘉会洞に設立されて以来現在の位置に移るまで、韓国現代美術に大きな関心を持ちつつ、現代美術の発展と大衆のための美術文化の普及に力を注いできました。現代美術を中心とした特別展や常設展示があり、会員のための美術理論および実技講義なども行っています。


江原道(平昌郡)

標高850m~1470mの高地に位置する大関嶺一帯の600万坪の高山遊休地を開拓してつくられた東洋最大規模を誇る「エコグリーンキャンパス(旧大関嶺三養牧場/テグァンリョンサミャンモクチャン)」は、広大な青い草原が広がり、遠くには江陵や注文津市内、そしてさらに東海の海まで見えます。牧場の頂上である黄柄山からは東に江陵の鏡浦台、注文津、連谷川、小金剛渓谷が見え、西には大草原がパノラマのように広がっており、牧場の全景が一目で見渡せます。 


仁川(中区) , 仁川市街地

いらっしゃいませ、'1883年仁川開港'歴史文化ツアーへようこそ!仁川は、朝鮮時代最大の港であり、首都ハンヤンに最も近い港として、19世紀に世界からの影響を受けるハブとなりました。その結果、仁川は様々な国々の芸術と建築の影響を受けて発展し、韓国で初めて世界的な文化を受け入れたパイオニアの都市となりました。 仁川内港に停泊している大きな船を見渡すと、この港が韓国近代化の重要なゲートウェイであったことを象徴しています。広さ約2.76km²のこの港は、一度に最大48隻の船を収容し、鋼材から穀物まで様々な商品を取り扱う8つのドックを誇っています。1914年に建設された仁川内港の石造りは、歴史的な遺物であるだけでなく、近代化と共に進歩と挑戦を象徴しています。 そしてここに、アジア最大の穀物倉庫(1978年~2016年)が多機能文化施設へと生まれ変わった壮大なプロジェクト、「仁川・想像プラットフォーム」をご紹介します。8番埠頭に位置するこの4階建ての文化施設は、海と市民とのより密接な関係を育むことを期待されています。仁川内港と旧市街地の活性化は、海洋文化ゾーンの開発や仁川駅の複合プラットフォームの開発だけでなく、仁川トラムの建設を通じて具現化されています。 今年、想像プラットフォームの開館を記念して、在韓外国人観光客、在住者、学生を対象としたチマック(チキンヌゲット&ビール)パーティーを開催します。仁川広域市と仁川観光公社が主催するこのイベントでは、仁川の名物である無料のチキンとビールはもちろん、様々なアクティビティやパフォーマンス、セレブリティの出演も楽しむこみいただけます。 公式パートナーの'Trippose.com'は、このチマックパーティーを伝統的な韓紙(ハンジ)の工芸体験と仁川の歴史ツアーと組み合わせた特別なパッケージを提供します。これらのアクティビティは、名人職人の指導のもと、韓国の伝統的なハンボクを身に着けながら行われます。韓国で忘れられない思い出を作るこの貴重な機会をお見逃しなく。 強烈な感動と深い印象に満ちた体験をお約束します。この特別なパッケージを今すぐ予約し、魅力あふれる歴史と文化の世界へのゲートウェイ、仁川での旅を開始してください。 日本語でもお気軽にお問い合わせください。あなたが韓国の心を旅する旅の始まりは、ここ仁川から始まります。それでは、仁川での素晴らしい体験と共に、貴重な思い出作りをお楽しみください。   贅沢の極み、無料のチマック(チキン&ビール)パーティで至福のひと時をご堪能ください! 韓国の名工の手ほどきを受け、ハンジ工芸の深淵に身を委ねましょう! ハンボクを身に纏い、手触りから韓国の無形文化遺産の美を掴み取りましょう! 独特の視点で仁川の歴史の奥深さを巡る、特別なツアーをご提供します! ※出発時刻を過ぎると他のお客様へのご迷惑となりますので、時間厳守をお願い申し上げます。出発の20分前には必ずお越しいただくようお願い致します。予約時に必ず現地で連絡可能な連絡先をご記入ください。 *10:00 地下鉄4号線明洞(ミョンドン、Myeong-dong)駅3番出口  / 명동역 3번출구 출발 ▶▷HERE(Google Map)   *11:30 月尾島 (월미도)     *12:10 仁川チャイナタウンでのチャジャン麺ランチ(차이나타운 짜장면 점심) *13:00 *韓国ドラマのキャラクターになりきり、伝統的なハンボクをまとってみましょう。この文化的な宝物の魅力を体験しましょう! / *한복 및 전통의상으로 환복 ※韓国の無形文化遺産の管理者によって個別にスタイリングされたハンボクの優雅さを体験しましょう。       *13:30-14:30 大仏ホテル展示館·中区生活史展示館、仁川開港博物館、仁川アートプラットフォーム、仁川中区庁       *15:00 J韓国伝統の韓紙工芸名匠と共に創り出す一生の記念 - 韓紙で織り成す手鏡作り *한지공예 만들기 체험       *16:00-18:00 仁川想像プラットフォームで、お好みに合わせたチマック(チキンヌゲット&ビール)パーティーを堪能し、華やかなパフォーマンスがその喜びを一層引き立てます。 各参加者への特典として、仁川開港場ビールと新浦国際市場の人気メニューであるタッカンジョンがセットで提供されます。 *18:30 公演終了後、バス搭乗(※他の人に迷惑がかからぬよう、現場のガイドの指示に従ってください。 車両乗車の時間及び集合時間を必ず守ってください。) *20:00 明洞駅到着後、解散 パッケージに含まれるもの: 往復の交通費、プロのガイド、アルコール代、入場料、チマックセット、体験プログラム(ハンボクとハンジ工芸体験を含む)、チャジャン麺のランチ、駐車料金、チップなど。 パッケージに含まれないもの: 旅行保険と個人的な出費。 Notice * このツアーは19歳以上限定とさせていただきます。当日、現場にてIDのご提示をお願い申し上げます。 * アーへの参加は必須で、'仁川チマック(チキンヌゲット&ビール)パーティー'のチケットは個別には配布されません。 * チケットの紛失や損傷については、お客様ご自身が責任を持つこととなります。再発行はされませんので、チケットなしでの'仁川チマック(チキンヌゲット&ビール)パーティー'への入場は厳格に禁止されています。 * 他のお客様にご迷惑をかけないよう、時間通りにご搭乗ください。出発時間の20分前には到着していることを推奨いたします。 * 乗客の人数により、輸送手段は12人、25人、または45人を収容します。 * 予約時には、現地での連絡が取れる確実な連絡方法を提供してください。私たちには座席は先着順となり、予約制の座席はありません。 * 車両に搭乗する前に、バウチャーと身分証明書を提示するようにご準備ください。モバイルと印刷されたバウチャーのどちらも受け入れ可能です。 * 搭乗時にバウチャーを提示することが必須です。 * 予約のメールは代替手段として受け入れられません。 * チケットは一括販売され、個々のアイテムは別売りはされていません。 * 予約確認後のキャンセルや変更は許可されていません。 * 不正な予約や韓国国民による予約は自動的にキャンセルされ、払い戻しの資格はありません。 * 旅行に関するお問い合わせは、お気軽にtrippose888@gmail.comまでご連絡ください。 ※본 티켓은 외국인 전용 예매 티켓입니다. 여권 또는 외국인등록증을 통해 본인 확인 후 티켓이 발권됩니다.(한국인 티켓 수령불가) ※부정 예매나 해당 대상이 아닌 경우(내국인), 예매는 강제 취소되며, 환불 또한 불가능합니다. ※Cancellation policy: non-refundable   ​



Sold Out
全羅南道(康津郡 )

高麗青磁博物館は、康津高麗青磁窯址(国家史跡第68号)や高麗青磁を文化遺産として体系的に保存・継承するため、1997年に開館されました。さまざまな展示や教育プログラムを展開し、高麗青磁研究のメッカとしての役割を担っています。また、2015年には高麗青磁の色、形態、模様をモチーフにデザインされた展示スペースと現代デジタル技術の融合を試みた「高麗青磁デジタル博物館」が開館し、高麗青磁がより身近に感じられるよう工夫されています。


慶尚北道(慶州市 )

月城良洞村(ウォルサンヤンドン・マウル)は雪蒼山(ソルチャンサン)を主峰とし、稜線と渓谷が広がる姿は漢字の“勿”に似ています。この村は朝鮮時代(1392-1910)に驪江李氏と月城孫氏によってつくられた両班村(貴族の村)で、朝鮮時代の性理学者である李彦迪(イ・オンチョク/1491-1553)をはじめとする数多くの著名人を輩出しています。村には家屋およそ150棟が保存されていますが、瓦屋根の家屋は大部分は高いところにあり、茅葺の家はほとんどが平地にあります。また重要文化財3点、重要民俗資料12点、慶尚北道有形文化財3点などが保存されています。韓国国内には6つの民俗村がありますが、規模、保存状態、文化財の面において月城良洞村はその価値が高く評価されています。1984年12月24日には村全体が重要民俗資料第189号の指定を受けました。<代表的な家屋>香檀 丘の上にあるうえ、屋根の構造が華麗なため村で一番目を引く香檀は李彦迪が慶尚監司(朝鮮時代の官職のひとつ)であった時、母の看病をするようにと王であった中宗が建て与えたものです。もともとは99の部屋に仕切られていたと伝えられていますが、一部消失し現在は50あまりの部屋が保存されています。ここから月城良洞村全体を眺めることができます。宝物第412号。無忝堂 驪江李氏の本家である無忝堂は質素ながらも洗練された建築日が目を引く家屋です。別堂(離れ)として応接、読書、休息などに利用されました。ハングルのカの字型の構造をしており、オンドル部屋、大広間、板の間などがあり、丸い柱と四角い柱がともに使われていることが特徴です。宝物第411号に指定されています。観稼亭 観稼亭は文臣であった孫仲暾(1506-1529)が暮らした家で、格式をもたせながらも質素に建てられており、敷地の中央には庭があります。男性の主人の生活の場であり、また客をもてなしたサランチェという建物と、女主人の生活の場であったアンチェという建物などが“ロ”の字型に配置されています。観稼亭という名には穀物が成長するように子孫が繁栄する様子を見たいという意味が込められています。宝物第442号に指定されています。講学堂 1870年に建てられた書堂です。書堂とは現在の学校にあたります。全体として素朴な印象の講学堂はハングルのカの字型の建物で、大広間、アンバン(主婦部屋)、コンノンバン(主婦部屋と向き合った部屋)などがありますが、門や塀は見られません。大広間の上には“講学堂”と書かれた額がかかっています。ここからは丘の上にある香檀がよく見えます。


光州広域市(東区)


忠清南道(礼山郡 )

全国に散在している国宝・宝物級の古建築文化財が1/10、1/5の縮小サイズで展示されており、韓国建築の発達史を一ヶ所で見学することができます。先祖の精神文化の高揚をはかり、建築文化教育の場として活用するために設立された博物館です。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

済州特別自治道にある「ダヴィンチミュージアム」はアジアで唯一ダヴィンチのライセンスを保有している体験型博物館です。レオナルド・ダ・ヴィンチと言えば「モナリザ」、「最期の晩餐」を連想しますが、彼の生涯最高の傑作は古文章であると言えます。レオナルド・ダ・ヴィンチの「秘密ノート」と呼ばれる7,000ページ以上の古文章を再現した作品約200点が常設展示されています。また、多様な展示品を通してルネッサンス時代の代表的な科学者、解剖学者、発明家としての姿まで見ることができます。


慶尚南道(南海郡 )

683年、元曉大師はここに草堂を建てて修行をすることで勧観世音菩薩に親見することができたので、山の名前を普光山、草堂の名前を普光寺としました。その後、太祖李成桂は、この場所で百日祈祷をして朝鮮王朝を開いたとされ、その感謝の意を込めて660年に玄宗がこの寺を王室の願堂(死んだ人の冥福を祈るために建てた建物)とし、山の名前を錦山、寺の名前を菩提庵と変更しました。錦山の頂上にある菩提庵は錦山の奇妙な形をした岩石と青い海の景色を一目で見ることのできるお寺です。 境内には元曉大師が座禅を組んでいたという座禅台岩が目を引き、「雙虹門」と呼ばれる洞窟は錦山38景のひとつとして知られています。 江原道の洛山寺紅蓮庵、江華島の普門寺と共に韓国3大祈祷場のひとつで、信徒たちが連日訪れています。 * 文化財 菩提庵殿三層石塔(慶南有形文化財74号)-新羅時代の石塔と類似しているが高麗時代初期の作品と推定


全羅南道(霊岩郡 )

王仁博士遺跡地(ワンインパクサユジョクチ)は鳩林村(クリムマウル)の東、ムンピル峰の麓にあり、王仁(ワンイン:百済の学者)が脚光を浴びたことにより彼に関連する遺跡物を復元した場所で、王仁墓(祠堂)、内三門、外三門、文山斎、養士斎、展示館、王仁像などから成っています。この中でも王仁墓(約82.5㎡)には、肖像画と位牌が安置されており、毎年祭祀が執り行われます。王仁博士の誕生した地である聖基洞や博士が飲んだと伝えられている聖泉もあり、誕生した地の横には遺虚碑が建っています。また、月出山の中腹には博士が勉強をしたと伝えられている冊堀や文山齋、養士齋があります。文山齋や養士齋には博士が勉強をしながら故郷の人材を育てた場所で、毎年3月3日には王仁博士の追慕祭を行ったといいます。冊堀の前にある王仁博士の石人像は博士の厚徳を称えるために建てたものといわれています。聖基洞の西にあるトルジョン峠は博士が日本を発つときに同僚や門下生たちとの別れを惜しみ、故郷を振り返って見たことからその名前が付けられました。上台浦は博士が日本から船に乗った場所で、当時の国際貿易港でした。王仁博士は百済人として日本の応神天皇の招待により、論語10冊、千字文1冊を持って日本に渡り、その経書の知識により応神天皇の信任を受け皇太子の師匠になったといわれています。これが日本文化を開く重要な契機となりました。日本の古事記には和邇吉師、日本書紀には王仁という彼の名前が登場します。王仁博士は論語や千字文を伝えただけでなく、技術工芸の伝授、日本歌謡の創始などに貢献し、政治顧問となり百済文化の伝授を通し、日本の飛鳥文化に影響を与えました。この遺跡地は1985年から1987年の祠堂を始めとする遺跡地浄化事業を始め、王仁公園など聖基洞文化観光事業を継続して行っています。