全羅北道(井邑市 )

「羽化亭(ウファジョン)」とは穏やかな湖と紅葉が調和して絶景をなす「あずまや」のことで、内蔵山チケット売り場の入り口(観光案内所一帯)に行く途中にあります。「あずまや」で羽が空に舞い上がって行ったという伝説があることから「羽化亭」と名づけられました。こちらは湖にある紅葉が美しく、多くの写真作家たちが訪れる所です。


忠清北道(丹陽郡 )

古藪洞窟(コスドングル)は丹陽郡にある石灰岩洞窟で、天然記念物に指定されているところ。長さは1,300mで、規模が大きく美しいことで有名です。古藪洞窟の名前は昔、高い草がたくさん茂っていたので、「コス(古藪)」と呼ばれるようになったことに由来していると言われています。洞窟が発掘された当時、入り口から石器が発見され、ここが先史時代の住居地だったことが明らかになりました。古数洞窟の内部は常に15度に保たれており夏は涼しく、冬は暖か。洞窟内には約25種の生物が生息しており、動物の形をしたライオン岩、たこ岩、わし岩などの岩や人の形をしたマリア像などもあり、見所となっています。約120個のさまざまな鐘乳石や石筍などは学術的にも価値が認められているもの。内部は気温が低くパイプの手擦りをつたって移動するので、冬には手袋が必要でしょう。


京畿道(水原市) , 水原

ユネスコ世界文化遺産「水原華城」の中には錬武台(東将台)があります。錬武台は華城の東門である「蒼龍門」と北側の守門である「華虹門」の間の高い丘にあり、四方が開けており、華城の東側から城の中を見回すのによい軍事要地となっています。1796年に水原の華城が完工された後、錬武台は兵士たちの訓練場でした。刀と槍、弓を扱う空間として200年を超す評判高い場所です。錬武台はまた、水原市シティツアーのコースでもあります。錬武台で伝統衣装を着て伝統武芸であり昔の文化である弓道を体験でき、さまざまな韓国の文化祭りに接する機会を提供しています。また、錬武台は社稷公園の黄鶴亭や南山の石虎亭、全州の穿楊亭とともに、由緒ある場所として知られています。


忠清南道(扶余郡 )

百済歴史再現団地内に建てられた「百済歴史文化館(ペクチェヨクサムンファグァン)」は、出土遺物の展示ではなく百済時代の重要な遺跡や歴史的事実を縮小模型やグラフィック展示、映像などによってより分かりやすく説明しています。例えば、聖王の泗沘遷都行列、泗沘都城、弥勒寺、艇止山の祭祀遺跡などは縮小模型で、金銅大航路、日本のなかの百済遺物、恩山別神祭、無量王陵などは映像とともに説明がされています。


京畿道(竜仁市) , 龍仁

京畿道こども博物館はこどもたちのために建てられた体験型の博物館です。こどもたちが独自に学ぶことができる相互作用的な展示と教育プログラムを提供することで学ぶことの楽しさを知ることができるようにした場所です。博物館ではこども達が各自の興味と成長段階に適した学習が行われており、多様なテーマと概念を知り、想像力と創意力を向上させることができます。 * 開館日:2011年9月26日


ソウル(冠岳区)

ソウル大学美術館は、三星グループが出資し、オランダの有名建築家のレム・コールハースが設計したもので、美術館は展示室や大講堂、講義室、教育施設が備わった複合文化空間となっています。大学の美術館であるという点を活かし、教育プログラムに特に力を入れており、市民が美術に気軽に接することができる文化教育の場となっています。今後も国内外の近現代美術作品をはじめとし、建築、図書資料など多様な展示物が展示される予定で、さらに美術に音楽、文化、映画、演劇が合わさった複合文化空間としても機能する予定です。 


江原道(江陵市)

鏡浦台から1km離れたところにある鏡浦海岸(キョンポヘビョン)は、鏡浦湖と海の間にある砂浜で、約6kmの美しい砂浜が広がっています。ここは韓国で最もよく知られている観光地の一つで、自然と文化遺跡が調和をなす海水浴場です。また日の出と日没が美しいスポットとしてもよく知られており、海岸の周りにある4kmの松林や所どころに咲いている花々も非常に美しく見どころになっている他、沖合いには海釣りを楽しむことができる小さい岩があり、ボートで釣りを楽しむ人の姿も見られます。春には鏡浦入口から鏡浦台にわたって桜祭りが行なわれ、夏には海岸祭りやさまざまな文化イベント(伝統文芸行事、海岸舞踊祭など)が行われ数多くの観光客で賑わいます。


大邱広域市(中区)

鳳山文化通りは大邱を代表する文化芸術の通りです。鳳山洞の大邱学院から鳳山ユッコリに渡って広がるこの通りには、大小20余りのギャラリーが並んでいます。ギャラリーが何店舗か集まっている路地が文化芸術の通りとして変貌し始めたのは1991年のことです。日に日に増える大邱市民の文化的欲求を受け入れる空間としてこのギャラリー通りが選定されました。その後、この通りは道路が整備されてアンティーク様式の街路灯と花壇が続いています。鳳山文化会館、青少年文化の家が建てられ、訪れる人も美術の専門家から一般市民へと、その幅を次第に広げていきました。鳳山文化通りは1年中、作品展が開催されていて、鳳山美術祭が開かれる10月になると通りは祭りの雰囲気に包まれます。 


ソウル(松坡区) , 蚕室(ロッテワールド)

「風納洞土城(プンナプトントソン)」は百済初期の土築城郭です。元々は周囲4キロメートルに達する大規模な土城でしたが、1925年の洪水で南西側の一部が遺失し、現在は約2.7キロメートルが残っています。土城の形態は南北に長く伸びた楕円形で東側に4ヶ所、門と思われる跡が残っています。風納里式無文土器・新羅式土器・網につける錘・糸車・紡錘車・瓦など先史時代から三国時代に至る遺物が出土したことから百済以前から人が住んでいたことがわかります。城の性格については都城である慰礼城とするものと防御城とする二つの見解があり今後も研究・調査が必要です。百済初期の重要な城として当時の姿を知ることができ、夢村土城や石村洞古墳群と関連して歴史的にも非常に価値のある遺跡です。