江原道(三陟市)

剣峰山(コムボンサン)は、山の稜線が壮麗で、特にマウンテンバイクマニアたちには絶好のサイクリングロードとなっています。 剣峰山の頂上からは東には海が見え、南には應峰山(998.5m)が、西には四金山が見えます。また、臨院海水浴場までは車で5~10分と近いため、夏は山と海の両方を楽しんでみるのも良いでしょう。


慶尚南道(固城郡 )

太白山脈の最南端に位置する蓮花山(ヨンファサン)は景色が秀麗で見どころがたくさんあり、1983年に道立公園(トリプコンウォン)に指定されました。蓮花山という名前は山が蓮の花の形をしていることに由来しており、玉泉寺(オクチョンサ)、蓮台庵、白蓮庵、青蓮庵などの寺刹と文化財があります。中でも玉泉寺は676年に建立された華厳宗10代寺刹の1つで、年中を通じて一定の水量と水温を保つ玉泉があることでも有名です。マツタケとイチゴは蓮花山の特産物となっています。


忠清南道(礼山郡 )

礼山の華岩寺は秋史・金正喜ゆかりの寺です。朝鮮時代末期の代表的な文人である秋史は礼山出身で、この寺院からあまり遠くないところに古色蒼然とした彼の生家、秋史古宅があります。オソク山の裾野に位置する華岩寺は、金正喜の祖父の父にあたる金漢藎が創建したものです。金漢藎は英祖王の娘婿であり、英祖王の次女で思悼世子の妹である和順翁主と結婚して月城尉を与えられ、金漢藎・和順翁主夫婦は死後、ヨン山の麓にあるエンム峰に合葬されています。生きているときに縁のあった寺とは死後もなお縁が続いています。 現在の華岩寺は寺院入口にこぎれいな寮舎棟があるため、近づいてもみても寺院のような感じがあまりしません。古建築の落ち着いた感じの寮舎棟を通り過ぎて初めて寺院に入ることができ、寺の中には秋史との縁を感じさせる様々な遺物が散在しています。この頃は尼僧の修道の場となっており、田舎の寺院らしくひっそりとした雰囲気です。


忠清南道(錦山郡 )

錦山邑から約6kmほど離れた進楽山(732m)南東側の麓にある宝石寺は、866年(新羅時代BC 57~AD 935)に祖丘大師が創建した歴史あるお寺です。教宗(仏教で禅宗以外の宗派の総称)の総本山で韓国仏教31本山のひとつとして全羅北道の仏教の寺中樞機官であり、現在は忠清南道の教区傘下となりました。宝石寺という名前は、寺院の前にある山の中腹の岩石から金を掘り出し、仏像を鋳造したことから由来しています。寺院に入ると、鬱蒼とした森や岩石が透き通った小川の水と調和して、俗世を離れたような気分になります。寺院には大雄殿、騎虚堂、毅禅閣、山神閣などの建物と附属庵子があり、近隣には絶景の12瀑布(滝)があります。特に高さ40m、円周10.4mになる樹齢1100年を誇る銀杏の木(天然記念物第365号)があります。また200~300mほどのモミの木の道があり、ひっそりとした雰囲気の中散歩を楽しめます。


全羅北道(扶安郡 )

蝟島(ウィド)は辺山半島の西の海上にある島で高麗時代[AD918∼1392]から官吏の流刑の地となっていた。蝟島は釣りの名所として有名ですが、その自然の美しさについてはあまり知られていません。いまだ訪れる人が少ないため自然のままの美しさが保たれています。 広々とした砂浜が自慢の蝟島海水浴場があり、毎日2回ずつモーゼの奇跡を起こすチド村のほかにもいまだ一般には知られていない絶景の海岸が島のいたる所にあります。海沿いに島を一周する道があるので、車で来れば紺碧の海を見ながらのドライブが楽しめます。


全羅南道(長興郡 )

全羅南道 長興郡にある天冠山(723m)の麓に造られた天冠山文学公園は2002年2月に完成されました。 長興は文学の地と言っていいほど有名な文人を多く輩出した地域で、天冠山文学公園にはこの地域出身の文学家である宋基淑(ソン・ギスク)、韓勝源(ハン・スンウォン)、李清俊(イ・チョンジュン)などの韓国文学界を代表する詩人や小説家、随筆家たちの作品が刻まれた54個の文学碑が立てられています。また、高さ15mの7階建ての文塔には韓国の有名な文人39人の作品と肉筆の原稿などが保管されています。


全羅南道(長興郡 )

チャンスプンデンイ(カブトムシ)村は、長興(チャンフン)ダムの上流に位置する自然豊かな村で、シイタケ栽培を主な収入源としています。キノコ学習場、生態体験場、カブトムシ飼育場などの施設があり、子どもや青少年の教育の場としても活用されています。 農地面積:82.3ha 山林面積:31.5ha