江原道(江陵市) , 江陵

大関嶺博物館は江原道江稜市城山面に位置しています。全体的な建物の形が石支墓の形をしており韓国建設協会の選定した優秀建築賞と江原道最優秀賞を受賞するほど周辺の景観とも調和をなす優れたデザインです。大関嶺博物館には計6つの展示室があります。「青竜の部屋(東側)」では青磁や陶磁器、「白虎の部屋(西側)」では仏教美術品や木彫りの人形などが観覧できます。「朱雀の部屋(南側)」では新婦が結婚式をあげるときに乗っていくかごを始め、民画や文字、「玄武の部屋(北側)」では青銅が展示されています。その他、「土器の部屋」では先史時代の穴蔵や土器、「ウリ(私たち)の部屋」では木材で作った家具や民俗工芸品が観覧できます。また、野外展示場では石で作った塔や彫刻を始め、藁ぶきの家や水車などが展示されています。


江原道(高城郡) , 束草・雪岳山

花津浦(ファジンポ)は湖岸にハマナスが咲きほこることからついた名前で、韓国最大の自然湖です。江原地方記念物 第10号に指定されています。周囲16kmの広い葦原で、冬は渡り鳥と白鳥の群れが舞い下りる渡り鳥の渡来地です。また、周辺には先史時代の遺跡がありますが、およそ10個のドルメン(支石墓)が分布しています。まわりの景色が優雅で、解放直後(1945年)は北韓の金日成主席(1912-1994)と韓国の大統領だった李承晩(1875-1965)がここに別荘を建てていました。湖を中心に向い合いあっていたふたつの別荘は今もその跡が残っていて、観光資源として活用されています。この別荘は花津浦歴史記念館となっており、一般観光客達に安保展示館として開放しています。


江原道(三陟市) , 三陟

甑山海水浴場(チュンサン・ヘスヨクチャン)は小奇麗で静かな海水浴場で、日の出で有名な東海市にある湫岩(チュアム)海水浴場の「チョッデバウィ」を近くで見ることが出来ます。又、平均水深が1~2mで、夏休みには泳ぎを楽しむ人々で賑わいます。 特に周辺には願い事をすると叶うという「ドラゴンボール」の造形物や「水路婦人公園」があり、冬の海の浪漫と趣を思う存分味わうことができます。 アクセス方法: 三陟ターミナルから市内バス(10-1番)を利用。約20分所要。 お問い合わせ) +82-33-1330(英・中・日)


江原道(襄陽郡)

義湘台(ウィサンデ)は洛山寺から紅蓮庵の観音の観音洞窟に行く海岸の丘にあります。新羅時代(BC57~AD935)の義湘大師(625~702)が文武王676年(661~681)に洛山寺を建てた時、ここに座って修行をしたところに建てた東屋として知られており、現在の東屋は1925年に建てられたものです。八角形の義湘台にある紅蓮庵は、洛山寺が創建された5年後に建てられたもので、義湘大師が修行を積んだ洞窟。この紅蓮庵は義湘大師が7日間祈祷をした時に海で赤い蓮が咲いたので紅蓮庵と名づけられたと言われています。海の近くの岩の洞窟の横にある絶壁に建てられておりその勇壮な佇まいが印象的です。またここから見る日の出は美しく、朝鮮(1392~1910)中期の詩人だった松江鄭澈(1536~1593)は、関東別曲に義湘台からの日が昇る光景を「梨の梨はすでに散って、コノハズクが悲しげに泣く時に、洛山東側の丘に義湘台に登って座り、日の出見ようと真夜中に起きて、縁起が良さそうな雲が消えては出る6匹の竜が太陽を支えるよう、海から太陽が去る時には世の中のすべてのものが揺れるので、天に昇っていく羽も測りきれないほどとても明るい」と詠った詩が伝わっています。


江原道(襄陽郡)

雪岳山(ソラクサン)は、韓半島の中枢にある太白山脈で一番高い(大青峰1,708m)山です。春はつつじなどの様々な花が咲き、夏は谷間に澄んだ水が流れ、雪岳祭の期間を前後して秋は紅葉、冬は真っ白な雪に覆われた雪景色が見られ、四季のいつでも美しい景色が楽しめます。 寒渓嶺と弥矢嶺を境に東海側は「外雪岳」、西側は「内雪岳」と呼ばれており、寒渓嶺から南側の五色地区は「南雪岳」に区分されます。 南雪岳地域は昔から五色薬水と温泉が有名で、鋳銭谷一帯の龍沼瀑布、十二瀑布、女深瀑布なども名所です。点鳳山(1,424.2m)も南雪岳地区に属しています。南雪岳地区では、五色-大青コース、寒渓嶺-クッチョン-大青コースなどが主な登山コースです。  


江原道(江陵市)

青鶴洞小金剛渓谷の途中3kmにわたって9つの大小さまざまな滝が連なっており、九龍濠から出た9匹の龍が一匹ずつそれぞれの滝に住みついたとされ、九龍の滝といいます。その中でも6つ目の滝は他の滝に比べ静かで厳かな雰囲気があるとして、君子の滝とも呼ばれています。滝から2km離れた所には万物像という、その名の通りさまざまな形をした岩が見え、巨人像、鬼面岩、ろうそく立て岩などと呼ばれ多くの人から親しまれています。


江原道(東海市) , 三陟

江原道東海市の名所の一つである湫岩燭台岩(チュアム・チョッテバウィ)は空を突き刺すように高くそびえ立つ奇岩怪石で、その形が燭台に似ていることから、その名前が付けられました。東海の海を背景に燭台岩ととも10余りの奇岩怪石が調和をなす景観には感嘆してしまうほどです。周辺の奇岩怪石群は形によって亀岩、夫婦岩、兄弟岩などと呼ばれています。特に、太陽が燭台岩にかかる姿は壮観をなし、日の出の名所としても脚光を浴びています。また、燭台岩の日の出はテレビで放送される韓国の国歌の背景に登場するほどです。*燭台岩の伝説湫岩に住んでいたある男が妾(めかけ)を得た後、本妻と妾との間では喧嘩が絶えませんでした。それを見ていた天の神は怒って雷を落とし、男1人だけが残りました。男は二人の女を想いながらその場に立ち続け、石になったと言われています。


江原道(平昌郡) , 平昌

大関嶺平昌郡道岩面横渓2里にある風の村 ウィヤジは、海抜750~800mの大関嶺の頂上部分に位置しています。いち早く雪が降ることからスキーの発祥地でもあります。草原で草を食べる羊たちの姿は国内でもそう簡単には目にすることができない光景です。サミャン牧場とハニル牧場がある大関嶺のふもとには国内最大の草地が広がり、そこを通る風を利用した風力発電団地もあります。高地にあることから国内の高冷地農業の始まりの地でもあり、ジャガイモ、白菜、ニンジン、玉ねぎなどが特産品です。


江原道(平昌郡) , 平昌

真如院という名前を持つ上院寺は、月精寺から北側に8kmほど離れた所にあります。上院寺は、新羅善徳女王12年(643年)に慈藏法師(590~658)が月精寺と一緒に建てたという説と、新羅31代の王である神文王(在位681~692)の息子達である宝川と孝明によって作られたという説があります。聖徳王4年(705年)に再建されましたが、1946年に焼失し、1947年に新たに建てられました。今は鐘閣だけ残っており、建物は韓国独立の後にまた造られたものです。現在残っている遺物の中には、銅鐘(国宝36号)と文殊童子像、上院寺を作りかえるために朝鮮7代の王である世祖(在位1455_1468)が直接書いた重創勤善文があります。上院寺入口には、世祖が入浴する際に冠帯をかけておいたことから「冠帯かけ」と呼ばれる所があります。また世祖と文殊菩薩の伝説がある文殊童子像があります。国宝第221号に指定されており、正確な名称は上院寺文殊木彫童子座像です。上院寺には文殊童子像のほかにも有名な上院寺銅鐘があります。上院寺銅鐘は新羅聖徳王24年(725年)に鋳造された、高さ1.67m、直径91cmの鐘です。鐘が響かせる澄んだ音と繊細に陽刻された奏楽飛天像が有名ですが、今は鐘を保護するために鳴らすことはできません。上院寺から五台山毘盧峰方向から寂滅宝宮に至る中間には中台庵があります。南西2キロメートル地点には庵がありますが、ここが漢江の発源地と言える隅統水という泉があります。寂滅宝宮は新羅の慈蔵律師が中国の王朝である 唐からもたらした釈迦の整骨舍利を祀ったところです。


江原道(鉄原郡)

1977年国民観光地に指定された孤石亭(コソクジョン)は新羅・真平王(在位579~632)の時代に建てられた10坪あまりの二層楼閣です。現在の孤石亭は韓国戦争の時に焼失したものを1971年に鉄原の有志が再建したものとなっています。孤石亭は亭そのものより川の真ん中に高さ10メートルの奇岩がそそり立っている景色が有名です。この一帯は韓国で唯一の玄武岩産出地であり、孤石亭岩に上がれば眼下にS字型にうねる漢灘江と奇岩怪石を鑑賞することができます。船遊び・釣り場として知られていますが水泳は禁止されています。尚「鉄の三角地」の見学は、見学申請書を提出した後に孤石亭を見物すれば時間に合せて戦跡地をまとめて見ることが出来ます。見学コースは第2トンネル-鉄の三角展望台-「鉄馬は走りたい」という看板とともに列車の残骸が残っている月井里駅-白馬高地戦闘戦跡碑-労働党社廃墟などで3時間30分程度。入場料を支払うと戦跡館管理事務所で民統線出入証が発行され、ガイドの案内に従って車で午前10時30分、午後1時、午後2時30分に出発するコースとなっています。