済州道(済州市 )

牛島の珊瑚海岸(サノヘビョン)(西浜白沙海水浴場)は、エメラルド色の澄んだ海と、珊瑚礁でできた白い砂浜が広がります。水深によって海の色が違って見えるため、南太平洋や地中海にも劣らない美しさを誇ります。


忠清南道(泰安郡 )

忠清南道泰安郡にある青浦台海水浴場は、夢山浦海水浴場の南方の泰安海岸国立公園にあります。海岸の傾斜が緩やかで、波も静かで水温も高いため家族連れにお勧めです。


慶尚北道(浦項市 )

ロボライフミュージアムは韓国ロボット融合研究院1階に位置し、第1展示室は知能ロボット興味館、第2展示室は知能ロボット体験館、第3展示室はKIRO広報館、ロボカフェ、知能ロボット教育室で構成されています。ロボライフミュージアムは知能ロボットとの出会いというテーマで便利な住居生活と未来のロボット環境を提示し、現在と未来のロボットに出会いロボットを構成する多様な機能の体験を通して今後出現するであろうロボット世帯の体験展示空間です。


仁川(中区) , 仁川市街地

仁川開港博物館は、韓国の近代化の歴史を学べる文化施設であり、開港を契機に発展した仁川の歴史を紹介する博物館です。建物は1899年に建設され、もともとは日本第一銀行仁川支店として使用されていました。後期ルネサンス様式の石造建築であり、現在は仁川広域市の有形文化財に指定されています。この博物館では、近代韓国の発展と国際交流の歴史を知ることができます。 展示内容 博物館には4つの展示室があり、仁川開港とその後の都市の変化をテーマにした展示が行われています。 * 第1展示室 – 仁川港の開港と近代化の歩みを紹介 * 第2展示室 – 開港期の仁川の都市発展と建築の変遷 * 第3展示室 – 交通、通信、インフラ整備を中心とした仁川の発展 * 第4展示室 – 19世紀末から20世紀初頭の仁川市民の生活 ここでは、当時の写真、新聞記事、貨幣、日用品などを通じて、韓国の近代史と仁川の役割について理解を深めることができます。 訪問情報 * 開館時間: 火曜日~日曜日 9:00~18:00(最終入場 17:30) * 休館日: 毎週月曜日、元日、旧正月、秋夕(チュソク)。月曜日が祝日の場合は火曜日が休館。 入場料: * 大人(19歳以上):500ウォン(団体 300ウォン) * 青少年(13~18歳):300ウォン(団体 200ウォン) * 子供(12歳以下):無料 * 共通観覧券(5つの博物館に入場可):大人 3,400ウォン、青少年 2,300ウォン、子供 2,100ウォン 施設案内 * 1階 – 案内デスク、第1~4展示室 * 2階 – セミナールーム、名誉館長室 周辺の観光スポット * ジャージャー麺博物館 – 韓国風中華料理「ジャージャー麺」の歴史を紹介する博物館 * 仁川開港場近代建築展示館 – 近代建築の保存と歴史を学べる施設 * 韓中文化館 – 韓国と中国の文化交流に関する展示やイベントを開催 まとめ 仁川開港博物館は、韓国の近代化の歴史と開港による都市発展の軌跡を学ぶことができる貴重なスポットです。近代韓国の発展と国際交流に興味のある方には、ぜひ訪れていただきたい歴史的な博物館です。


ソウル(江北区)

三角山(北漢山)の麓にある国立4.19墓地は李承晩政権打倒を叫び1960年4月19日に起きた4.19革命(民主化運動)の際、犠牲となった224人の合同墳墓です。犠牲となった人々を称える記念塔が建てられ、記念塔の中央には志半ばで犠牲となった人々を讃える碑文がきざまれています。 135,901平方メートルの墓地の境内には松やイブキ、イチイやカエデなどが多く美しい景観で、1,752平方メートルの広さを持つ記念館や韓国式の木造建築で331平方メートルの規模を誇る犠牲者の遺影を祀る遺影奉安所などがあります。 その他、象徴門、民主の根、正義の火花なのど彫刻作品や蓮池があり、歩道のブロックをきれいに敷詰めた散策路や野外ベンチなどもあります。 桜が咲く春、公園から臨む三角山は母親の胸のような温かさと華やかさを同時に感じることができ、夕陽が沈む光景も素晴らしい場所です。  


全羅南道(麗水市 )

旬のグルメをはじめ、ちょっと驚きのグルメまで、さまざまな料理を味わえ、麗水(ヨス)の夜景や公演も同時に楽しめるのがここ、浪漫屋台・ナンマンポチャ。 現在、屋台は18軒ほどあります。 屋台提供料理:刺身、海鮮鍋(ヘムルタン)、海鮮蒸し(ヘムルチム)、海鮮サムハプなど


忠清南道(公州市 )

公州の石荘里にある旧石器遺跡は、韓国の旧石器時代を代表する遺跡で、公州市から直線距離で約6㎞のところにあります。史跡第334号に指定されており、この遺跡の調査は1964年から1974年まで10回に渡って延世大学博物館により実施されました。その結果、地層は27の層位で形成されており、遺物が含まれている文化層も11の層位があるということが分かりました。その後1990年と1993年に再び具体的な発掘調査が実施され、より様々な文化遺跡が確認されたことにより、この遺跡の際立った性格が明らかになりました。


仁川(甕津郡) , 仁川市街地

茅島のペミクミ海岸にあるペミクミ彫刻公園です。茅島が船の底にある穴(ペミックミ)の形をしていることから名づけられたそうです。彫刻家のイ・イロ氏が個人の作業空間として、庭の芝生に作品を展示するようになったのがきっかけで、彫刻公園になりました。海と作品が絶妙なハーモニーを奏でています。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

西帰浦自然休養林は、漢拏山の西側に広がり、済州市と西帰浦市中文観光団地を繋ぐ1100道路東側の観光スポットにあります。 暖帯、温帯、寒帯樹種が多種多様に生息する鬱蒼としたヒノキ林が山林浴場を形成しており、キジやノロジカなどの希少動物も生息しています。 また、最新設備が完備された休養林館や水遊び施設、山林浴が楽しめる散策路などが人気を集めています。 さらに、済州ワールドカップ競技場と済州国際コンベンションセンターをはじめ、3,562천㎡ほどの広さの中文観光団地が一望できる展望台もあります。


全羅南道(麗水市 )

麗水市三日洞と上岩洞にまたがり位置した霊鷲山は、海抜510mとあまり高くない山です。山の姿が秀麗であるわけでもなく、山が高いわけでもない霊鷲山が全国的に有名な理由は、春になると山全体を赤く染めるチンダルレ(ツツジ)を韓国国内で一番最初に見ることができる山だからです。慶尚南道昌寧の火旺山、慶尚南道馬山の舞鶴山と共に全国三大ツツジ群落地のうちの1つに数えられています。30~40年間咲き続ける数万本のツツジが33万㎡にわたり群落をなしており、毎年4月になると山全体を赤く染めます。 霊鷲山の登山は山が低いだけあり、どのコースを行っても4時間程度で家族皆で登山を楽しむことが可能です。ツツジを最も楽しむことができるコースは、湖南精油の上の林道や上岩小学校を基点にし、450m峰を登り霊鷲山の頂上に上がりポンウ峠を下った後、チンレ峰をまた登ります。チンレ峰からヘリコプター場、439m峰を過ぎたところにある分かれ道を右へ入って行き、興国寺へと下山するコースです。450m峰から頂上までがツツジが最も見ごたえのある道ですが、険しくもあるため暗い時にここを通るのは危険ですので登山時間を調節する必要があります。 霊鷲山では毎年4月になるとツツジ祭りが開催されます。祭りの期間中、霊鷲山山神祭、青少年白日場、写真撮影大会、チンダルレアガシ(ミス ツツジ)選抜大会、郷土料理など多彩なイベントが催されます。 霊鷲山という名前は、釈迦が最後に説法をしたインドの霊鷲山からその名をとったと推測されます。霊鷲山の登山地図を見ると、霊鷲山と進礼山に区分されて書かれている場合もありますが、国家地理情報院は2003年5月17日付けで山の名称を「霊鷲山」から「進礼山」に変更告示しましたが、人々は今も慣例的に439m峰の名前である霊鷲山を山の名前として使用しています。 麗水半島の主山である霊鷲山は、昔より地域の人々に神霊な山として認識され、祈雨祭や神仏に真心を捧げてきた場所です。伝統祈願道場であった錦城台があり、その下の道場である兜率庵が建てられ今日まで残されています。東国輿地勝覧と湖南麗水邑誌には兜率庵と共に祈雨壇があり霊験あらたかであると記録されており、地方の首領らが祈雨祭を行ない祈雨詩を残すという伝統が大韓帝国末まで引き継がれていたとされています。また、霊鷲山には興国寺があり、寺の名前からも分かるとおり国の隆盛を祈願するために建てられた寺院で、1195年に普照国師が創建しました。興国寺の中には大雄殿(宝物第369号)をはじめとし、宝物第578号の大雄殿後佛幀画、円通殿、捌相殿などの文化財が残されています。また興国寺は壬辰倭乱当時、唯一僧兵水軍がおり興国寺内には約300人の僧兵水軍が訓練をしていたということでも有名です。 海抜510mの山の頂上に立つと南海に浮かぶ大小の島々と漁船が一望でき、光陽湾と麗川公団、東北側には光陽の白雲山、猫島が見えます。