育林峠
 
江原道(春川市)
さびれつつあった通りから春川の名所に生まれ変わったエリア。育林峠は、今では閉館した「育林劇場」と春川中央市場を結ぶ峠の通りで、1980~1990年代まで春川の主要な繁華街でした。しかし、その後新都心の開発と繁華街の移転により人々の足が途絶え、空き店舗が増えていきました。これを受けて春川市は、2015年のマッコリ村特化通り造成事業を皮切りに、青年モール造成事業などを通じて、育林峠の活性化に取り組みました。その結果、シャッターを下ろしていた店舗が一つ二つと再び営業を始め、通りの風景が様変わりしました。古い住宅を改造したおしゃれなカフェ、新しいコンセプトのマッコリバー、農業を営む若者たちが健康な食を提案するレストラン、ヨーロッパの雰囲気漂う紅茶専門店など、個性あふれる若いお店が並んでいます。その間に点々と靴屋、とうもろこし麺のお店、油屋、ポン菓子のお店など、昔からあるお店が残っています。このように古いものと新しいもの、アナログの感性とトレンディな感性が一つになり、育林峠ならではの風景を生み出しています。

臥龍自然休養林
 
全羅北道(長水郡 ) ,
全羅北道 長水は、韓国の内陸地域に属した開発の手が行き届いていない深い山奥に位置する地域です。山岳地域に属していることから、長水一帯の平均海抜高度は約500mと高原盆地をなしています。鎮安の鎮安高原と南原の雲峯/阿英の高原地帯と合わせて全羅北道内陸の高原地帯を形成する代表的な地域で、韓国4大河川の錦江と蟾津江の始点にもなっています。山が多いことから山岳資源を活かした様々な観光地があります。 その中でも天川面臥龍里にある臥龍自然休養林は、1996年6月にオープンした山林休養公園で、森林浴と自然観察、学習探訪、そして家族単位での休養や団体研修などが行なえる長水郡の名所となっています。1日に収容可能な人数は約600人程で、年中無休で開放されています。利用可能な施設としては、キャンプ場や研修施設、山小屋、森の中の家などの施設と宿泊施設もあります。子どもたちが楽しめる雪ソリゲレンデやウォーターソリゲレンデ、野外プール、天然水遊び場などの施設も備えられています。また、自然学習場や体力鍛錬場、野外ステージもあり森の中にある総合的な休養空間であり文化空間でもあるといえます。

万淵寺
 
全羅南道(和順郡) ,
万淵寺(マンヨンサ)は、高麗熙宗4年(1208年)に万淵禅師によって創建されたと伝えられています。 万淵禅師が無等山・元曉寺で修行を終えて曹渓山・松広寺に帰る途中に無等山の主峰を越え、南へ下る途中に万淵山の中腹で疲れた体をしばらく休めて行こうと座ったところ眠ってしまい、その時、十六羅漢がお釈迦様に仕えるという不思議な夢をみました。目が覚めて四方を見回すといつのまにか雪が降り、辺り一面真っ白なのにもかかわらず、不思議なことに禅師が横になっていた、その周りだけは雪がとけて湯気がゆらゆらと上がっていました。この夢が気になり、ここを拠点に修行しながら万淵寺を創建したということです。 韓国戦争(朝鮮戦争)で全焼する前は大雄殿、十王殿、羅漢殿、僧堂、禅堂、東山室、西上室、東別室、西別室、守静寮、送月寮など三殿八房と大雄殿前の大きな説楼、その下に四王門と三清閣、また部属庵として学堂庵、枕渓庵、東林庵、燕穴庵を持つ大きなお寺でした。現在は大雄殿、羅漢殿、冥府殿、寒山殿、寮舎、禅定庵、聖住庵があり、国家指定文化財宝物1345号の掛仏を保有しています。 寺院から東に2キロメートルのところに万淵瀑布があり、森や渓谷といった自然を楽しむことができます。また、茶山・丁若鏞先生が若い頃、父親が和順県監として赴任した際、万淵寺の東林庵に立ち寄った事がある他、国唱と呼ばれたパンソリの歌い手・林芳蔚先生が熱心に練習したところとして知られています。

地蔵精舎
 
忠清南道(論山市 ) ,
「地蔵精舎(チジャンジョンサ)」は、韓国仏教法輪宗所属の寺院で1980年6月に德山昌法和尚が「地蔵庵」を創建したのが始まりです。1995年に千仏殿、2002年には極楽殿と納骨堂を設けました。2005年6月から週末ごとにテンプルステイを運営している他、2006年に社会福祉法人・地蔵院を設立、2008年には老人専門療養院を開院するなど福祉事業にも参加しています。

南二自然休養林
 
忠清南道(錦山郡 ) ,
南二自然休養林はレジャーや家族単位での宿泊や観光に最適な場所で、広葉樹種の天然林が茂り、澄んだ水や滝の流れる自然豊かなスポットです。文化財に指定された百済時代の城跡「ペク・リョン聖地」があり、韓国戦争(朝鮮戦争)による激戦の傷跡が残る「六百高地戰勝塔」など、自然と歴史が共存する場所でもあります。また、休養林を覆う仙冶峰(729m)に上る登山路を進むと大屯山の奇岩絶壁を見ることができます。

仁川中区生活史展示館
 
仁川(中区)
仁川の歴史と文化を体験するなら、仁川中区生活史展示館へ 仁川旅行を計画しているなら、仁川中区生活史展示館は必ず訪れるべき観光スポットです。過去と現在が交差するこの場所は、韓国の歴史と文化が共存しています。 大佛ホテル展示館 大佛ホテル展示館は韓国初の西洋式ホテル、大佛ホテルの歴史を紹介する展示館です。ホテルの外観と過去の栄華から衰退までの過程を展示しています。また、ホテル跡から発見された遺物や日本統治時代の開港場一帯にあったホテルや旅館に関する資料も展示されています。       中区生活史展示館 中区生活史展示館では、1960年代から1970年代の仁川中区の生活史を多彩なコンテンツで楽しめます。地下1階から2階までの3層構造で、各階には時代を感じさせる展示が広がります。 * 地下1階: 入り口には1968年以降の仁川中区の歴史が一目でわかる年表があります。地下鉄の模型や時代を感じさせる展示物も見どころです。 * 1階: 1960~1970年代の衣食住文化が展示されており、特にレトロな衣装のレンタルや写真撮影が楽しめます。教科書に出てくるような当時の雰囲気を再現した街並みも見逃せません。 * 2階: 1960~1970年代の文化を感じさせる居酒屋や劇場、喫茶店が再現されています。レコード盤で音楽が流れる喫茶店や1970年代の映画ポスターが展示された劇場もあります。 さらに、中区生活史展示館内のクルエドゥルでは、伝統衣装や韓国ドラマの衣装をレンタルし、写真撮影を楽しむことができます。仁川開港場の街並みを背景に、様々なポーズで記念撮影をすることができ、韓服の魅力を存分に味わえます。 基本情報 住所: 仁川広域市中区新浦路23番街101(中央洞1街) 問い合わせ: +82-32-766-2202 ホームページ: 中区文化観光 / 仁川中区文化財団 休館日: 毎週月曜日(ただし、月曜日が祝日の場合は翌日の火曜日休館) 利用時間: 09:00~18:00(入場締め切り17:30) 利用料金: 大佛ホテル展示館・生活史展示館 大人(19歳以上): 1,000ウォン(個人) / 800ウォン(団体) 青少年(13歳~18歳): 700ウォン(個人) / 500ウォン(団体) 軍警: 500ウォン(個人) / 400ウォン(団体) 5館統合観覧券 大人(19歳以上): 3,400ウォン(個人) / 2,800ウォン(団体) 青少年(13歳~18歳): 2,300ウォン(個人) / 1,700ウォン(団体) 軍警: 2,100ウォン(個人) / 1,400ウォン(団体) 子供(12歳以下): 無料 ※ 団体は20人以上の有料発券時に団体料金が適用されます。 ※ 5館統合観覧対象博物館: 仁川開港場近代建築展示館、仁川開港博物館、大佛ホテル展示館(生活史展示館)、韓中文化館、ジャージャー麺博物館 仁川中区生活史展示館は、仁川の過去と現在を一度に体験できる貴重な場所です。歴史的な背景や文化を深く理解しながら、楽しい時間を過ごせること間違いありません。ぜひ訪れてみてください。

泰安寺
 
全羅南道(谷城郡 ) ,
鳳頭山の麓にある泰安寺は新羅景徳王元年(742年)に神僧3人によって建立されました。その後、文聖王9年(847年)に慧徹国師によって禅宗寺院として繰り返し開山されて九山禅門のひとつである鳳頭山派を形成しました。その後、高麗太祖の時に慧徹大師が滞在しながら132間の建物を建てて大規模なお寺になりました。高麗時代初め頃には松広寺、華岩寺がすべてこの寺の末寺でした。1925年にチェ・ナムソンが訪れて「新羅以来の名前のある寺である。渤海にある最初の禅宗の寺だ。古初の神域のようだ」と評価しました。韓国戦争の時に大雄殿をはじめ、15棟の建物が焼けてしまいました。その後、修理を行って現在に至ります。 境内には慧徹国師の舎利塔(宝物273号)をはじめとした5点の宝物があり、鳳頭山渓谷の絶妙な場所に立てられた凌波閣(地方有形文化財第82号)も見所のひとつです。特に、お寺入って約2.3kmの道路の左右にある鬱蒼とした森林と渓谷はとても美しく、秋になると紅葉が見ものです。現在、泰安寺には宝物など文化財9点が保存されています。また、泰安寺までの1.8kmの渓谷は春は新緑、夏は涼しげな渓谷、秋は紅葉とが楽しめる美しい散策路が続いています。

玉井湖
 
全羅北道(任実郡 ) ,
任実邑から16km離れた地点にある江津橋を渡り右に曲がり5kmほど上がって行くと蟾津ダムが見えてきます。また、全州から完州郡九耳面方向に28km行くと、以前はフィッシングスポットとして有名でしたが、今は上水源保護区域に指定されているため釣りをすることはできませんが、美しい風景が広がる玉井湖があります。玉井湖はノリョン山脈の山間地域の任実郡雲岩面一帯を流れる蟾津江の上流水を玉井里でダムとして塞ぎ、隣の西側にある井邑市七宝へ渡し、界火島と湖南平野を潤すと共に、排水をしながらその落差を利用し発電する多目的ダムです。