南渓国楽器体験伝授館
 
忠清北道(永同郡 ) ,
南渓国楽器体験伝授館は南渓朴堧(パク・ヨン)の音楽に関する業績を継承し発展させ、永同を国楽のふるさととして広く伝えている伝統文化の発祥の地です。南渓国楽器体験伝授館周辺は南渓国楽器博物館、南渓山、南渓国楽器製作村があり、南渓朴堧(パク・ヨン)の魂を感じることができます。国楽器の音を響かせる南渓国楽器体験伝授館はその名の通り、国楽器を思う存分体験することができる場所です。国楽を専攻した専門の講師たちが常駐しているので様々な楽器を学ぶことができます。  

ハンファリゾート白岩温泉
 
慶尚北道(蔚珍郡 ) ,
ラジウムが多く含まれるアルカリ性の温泉である白岩温泉(ペガム・オンチョン)の温度は48度ほどで、白岩山(ペガムサン)の東側にあります。新羅時代から知られている歴史ある温泉で、宿泊施設をはじめとした各種施設も充実している温泉タウンです。透明ながらもぬるぬるしているその水質は神経痛、慢性関節炎、動脈硬化などにも効果があることで知られています。近くには海抜1,004メートルの白岩山、松林と美しい砂浜で有名な邱山(クサン)海水浴場があるので登山と海水浴を一度に楽しめます。

チョコレート博物館
 
済州道(西帰浦市)
約1500坪の爽やかな展望が自慢の博物館のマダンは、済州原石を作った低めの塀が囲んでいて外からも博物館の庭園の純朴な美しさを思いきり感じることができます。博物館の前面に植えてある柿の木は、建物と自然の調和をなし、塀に沿って植えられた木が緑の自然塀となり、緑の趣きを醸し出します。南済州郡 大靜邑 日果里のテジョン農工団地内に位置するチョコレート博物館は、壮大でもきらびやかではないですが、済州の自然と調和する素朴なチョコレート専門博物館です。火山活動が活発な済州島に宋履錫氏が建てた博物館は、ヨーロッパ風スタイルの異国的な個性が感じられ、4958.7m²の広い大地の上に感じられ、観光客に穏やかさとロマンを同時に感じさせます。チョコレート博物館は、人間とともに生きてきたチョコレートの歴史と今日のヨーロッパを筆頭とした地球上にある全てのチョコレートについてよく知れるように文化の殿堂の役割に加え、最高品質のチョコレートが何か、この味がどうかを知れる「Real Chocolate Place" (チョコレートの名所)」です。

龍珠寺
 
京畿道(華城市)
隆健陵を出ると1.7キロメートル地点に森に囲まれた龍珠寺があります。行政区域上は台安邑松山里ですが、隆健陵のある華山の裏の東の麓にあります。ここには元々新羅文聖王16年(854)に廉居和尙の創建した葛陽寺がありました。高麗光宗21年(970)には韓国で初めて水陸齋を開設するなど名の高い道場でした。丙子胡乱の際消失し閉鎖されましたが、正祖が父荘祖の稜を華城に移し、寺を再び願堂としました。 落成式の夜に正祖が龍が如意珠をくわえて昇天する夢を見たことから龍珠寺と名づけたと伝えられています。正祖は龍珠寺を再建する際、父母恩重経を木版に刻み保存するよう命じ、当時最高の画家キム・ホンドに頼んで美しく飾るようにしました。50余りの木版とともに大雄殿横の芝には10に至る父母恩重経を刻んだ塔と石碑が高くそびえています。大雄殿の後仏幀画はキム・ホンドの指揮で描かれた傑作で、正祖大王が植えたという大雄殿前のチョウセンヒメツゲは、樹齢200年を越す天然記念物第264号です。龍珠寺梵鐘もやはり国宝第120号です。* 主要文化財1) 龍珠寺梵鐘 (国宝 第120号) 2) チョウセンヒメツゲ (天然記念物 제264호) 3) 金銅香炉(京畿道 有形文化財 第11号) 4) 青銅香炉 (京畿道 有形文化財 第12号) 5) 龍珠寺上樑文 (京畿道 有形文化財 第13号) 6) 典籍手写本 (京畿道 有形文化財 第14号) 7) 龍珠寺屛風 (京畿道 有形文化財 第15号) 8) 龍珠寺大雄殿後仏幀画 (京畿道 有形文化財 第16号) 9) 佛設父母恩重經板 (京畿道 有形文化財 第17号)

金堤駅
 
全羅北道(金堤市 ) ,
金堤(キムジェ)駅は、1912年1月11日、普通駅として営業を開始しました。金堤は稲の村とも言われており、地平線が見えるほどの広い穀倉地帯と韓国最古の水利施設「碧骨堤」を有し、米どころとして知られています。このような地域的特性が「金堤」という地名にも反映されており、秋に見られる黄金色の広い原野を象徴する「金」と貯水池を意味する「堤」で「金堤」とされました。  

慶州 文武大王陵
 
慶尚北道(慶州市 ) ,
慶州から奉吉里(ボンキルリ)海水浴場行きのバスに乗って50分ほど行くと東海が見えてきますが、その青い水面の先に小さな奇岩が見えてきます。これが新羅・高句麗を統一した新羅(BC 57~AD 935)の第30代の王である文武大王(AD661-681)の水中陵(ムンムダウァンスジュヌン)。他に例を見ないこの水中陵は文武大王の遺言によって作られたもので、大王は亡くなってから海の龍となり国を無事を守る存在と考えられており、王室は王の死後慶州からほど近い距離にあるこの地を選びこの岩島に大王を葬ったとされています。周囲が200メートルの岩の中心東西南北に水路を造って小さな穴を掘り、深さ3.6m、幅2.85m、厚さ0.9mの大きい石を水中2mの深さの位置に置きその下に遺骨を奉ったといわれていますが、火葬にして灰をまいたという学者もいて説が分かれ議論が続いています。またこの文武大王水中陵近くの感応寺跡までは龍になった王が感応寺で体を休めるようにと小さな水路があったと言われており、その痕跡を見ることもできます。

麗水エキスポ
 
全羅南道(麗水市 ) ,
麗水駅は、全羅線の終点駅として1930年12月25日に光州―麗水間の線路開通と同時に営業を開始しました。1937年5月1日に麗水港駅が設置され日本と連携して営業を開始しましたが、1945年8月15日の光復後、麗水港駅は廃止され日本との営業が中止されました。また、麗水駅は1980年12月27日に駅舎を新築し2009年12月22日まで利用されていましたが、2009年12月23日に現在の駅舎へ移転されました。麗水駅は全羅線の終点駅で、閑麗海上国立公園の始発駅でもあり近隣の順天と麗水国家産業団地および光陽製鉄を結ぶ重要な役割を担っています。2011年10月1日より「麗水駅」⇒「麗水エキスポ(EXPO)駅」へ駅名変更2011年10月5日より韓国高速鉄道(KTX)運行 

安東君子マウル
 
慶尚北道(安東市 ) ,
烏川遺跡(オチョンユジョク)は光山金氏礼安派の初代金孝盧が村を開いて以来600年にわたり子孫たちが暮らしてきた村の遺跡で、1974年の安東ダムの建設工事のため礼安面烏川洞から臥龍面烏川里へと移されました。濯清亭と後彫堂は国指定の文化財です。遺物展示館である崇遠閣にはこの家門の人たちが残した貴重な文書や戸籍類、土地証文、奴婢にまつわる文書などが展示されています。このうち7種429点の古文書と13種61点の典籍は宝物に指定されています。 濯清亭 1541年に建てられた光山金氏礼安派の宗宅(本家)に付属する亭。家屋に付属する亭としてはとても男性的で堂々としており重要な文化財です。朝鮮時代の三大名筆の一人である韓濩の書による額がかかっています。 後彫堂 光山金氏礼安派の宗宅(本家)の離れ。建築の年代は正確にはわかりませんが、金富弼(1516-1577)により建てられたものです。一般に離れは外離れと内離れに分けられますが、外離れは主人の休憩や社交の場、内離れはおばあさんや適齢期の娘たちが寝起きする場所でした。後彫堂は外離れになります。

韓宅植物園
 
京畿道(竜仁市)
韓宅植物園は1979年、30万坪余りに李宅周(イ・テクジュ)園長が開園し、 希少、絶滅危惧種、自生植物・外来種を含む約7千種余りの植物が生息する韓国最大規模の植物園です。韓宅植物園は日向と日陰、渓谷などの湿地帯がよく形成されており、さまざまな種類の植物が育つのに最適な条件を備えています。テーマごとに植物園を運営しており、観覧しやすいように作られた資料や施設も備わっています。

マリンシティ(마린시티)
 
釜山広域市(海雲台区) ,
夜の帳が下りると、華麗な光で一変するマリンシティは、世界的にも有名な香港や上海にも負けず劣らない夜景の名所です。マリンシティの夜景を眺めていると、外国の街にいるかのような気分になってしまうほど。各国の料理が楽しめるレストランをはじめ、レトロなカフェやバーなどもあり、多くの人々が訪れる観光スポットです。