ポニー体験公園
 
済州道(西帰浦市)
済州の馬文化を簡単に楽しく理解して体験することができるポニー体験公園は朝鮮時代最高の馬を飼育した甲馬場があった加時里村に600年、牧畜文化の歴史を残しています。農林部が支援する「新文化空間造成事業」の一環として造られたポニー博物館に村会の努力で乗馬場所、カフェ、ゲストハウス、キャンプ場、アートショップ、体験場などがある複合文化空間として造られました。村で設立した韓国国内最初の専門博物館であり、村の歴史と文化をテーマにした文化空間として新しい形式のコミュニティビジネスモデルとして大きな意味を持っています。 ※2012年9月8日オープン

西帰浦自然休養林
 
済州道(西帰浦市)
西帰浦自然休養林は、漢拏山の西側に広がり、済州市と西帰浦市中文観光団地を繋ぐ1100道路東側の観光スポットにあります。 暖帯、温帯、寒帯樹種が多種多様に生息する鬱蒼としたヒノキ林が山林浴場を形成しており、キジやノロジカなどの希少動物も生息しています。 また、最新設備が完備された休養林館や水遊び施設、山林浴が楽しめる散策路などが人気を集めています。 さらに、済州ワールドカップ競技場と済州国際コンベンションセンターをはじめ、3,562천㎡ほどの広さの中文観光団地が一望できる展望台もあります。

高敞パンソリ博物館
 
全羅北道(高敞郡 ) ,
高敞(コチャン)パンソリ博物館は、パンソリの理論家であり改作者であった申在孝(シン・ジェヒョ)、陳彩仙(チン・チェソン)、金素姫(キム・ソヒ) などの多数の名唱を記念し、パンソリの伝統を継承・発展させるために申在孝の古宅に設立されました。高敞パンソリ博物館には、申在孝の古宅、亭子(あずまや) 、池、常設展示館、無初懐郷美術館があります。古宅は1850年代に建築されたものと見られており、現在は素朴な藁葺き屋根のサランチェ(別棟)だけが残っています。常設展示室にはモッマダン、名誉の殿堂、ソリマダン、アニリマダン、パルリムマダン、ホンマダン、多目的室があります。常設展示館にはパンソリに関する様々な有形・無形の資料が展示されており、パンソリ芸術について学んだり、鑑賞したりすることができます。

守御将台
 
京畿道(広州郡) ,
山城西側の守御将台は、南漢山城4奨台の1つで、仁祖2~4年(1624∼1626)の間に軍事的な目的で建てられた楼閣です。守御将台とは、要塞の守りを担当する守御士が軍を指揮・命令する場所です。この守御将台は、仁祖14年(1636)年丙子の乱の際に、仁祖が直接守城軍を指揮しながら清太宗率いる12万の大軍と45日間交戦した場所で、交戦の末、三田渡で屈辱的な降伏を迫られたとされています。

テコンドー公園展望台
 
全羅北道(茂朱郡 ) ,
テコンドー公園は、世界182カ国で6千万人の競技人口を誇るテコンドーの聖地として韓国を代表する文化観光資源となるべく全羅北道茂朱郡に造成されました。世界中のテコンドーに携わる人々の交流の場となると共に、テコンドー文化芸術産業のハブとして機能することをビジョンとして掲げています。伝統と現代の建築様式が調和を成しているテコンドー公園は、世界中のテコンドーに携わる人々の心のふるさととなるでしょう。* 規模総面積:2,314,060m²(70万坪)団地造成面積:1011574.8m²(30万6千坪)建築延べ面積:261158.2m²(7万9千坪)

巨文島
 
全羅南道(麗水市 ) ,
巨文島(コムンド)は古島、東島、西島の3つの島からなっていて、かつては三島とも呼ばれました。西島の秀月山のふもとに広がる海の中に長さ30メートルほどの男根の形をした岩があって、その岩の力で優れた儒学者が誕生したと伝えられ、そこからこの岩を「文筆岩」と呼ぶようになったとされています。また清(中国)の提督の丁汝昌がこの島に立ち寄った際、金劉(キム・ユ)という儒学者と筆談をしたのですが、金劉の文章力に驚嘆したところから巨文島という名前がついたと伝わっています。 見どころとしては、樹齢数百年の秀月山の椿林、南海側随一の絶景である白島(ペクト)等の美しい観光地と、英国軍墓地、儒学者の金劉をたたえる巨文祠、金洋禄(キム・ヤンロク)をたたえる西島祠などの歴史遺跡があります。その他、秀月山南麓には韓国初(1905年4月完成)の灯台であり、東洋最大の巨文島灯台があります。 周辺の海域は魚の群れが見えるほど透明で、特に漁の最盛期には各地から漁船が集まり不夜城のようになります。またこのあたりの島々は釣り場として知られていて夏には海水浴と釣りを一度に楽しもうと島外からたくさんの人が訪れます。

鳴声山
 
京畿道(抱川市 )
秋の紅葉とすすき散策で有名な鳴声山(高さ923m)は、京畿道の抱川市と鉄原郡の境に位置し、山の背に山井湖という湖もあり景色が素晴らしいことで国民観光地としてその名が知られています。

泉隠寺
 
全羅南道(求礼郡 ) ,
全羅南道文化財資料第35号に指定されている泉隠寺は統一新羅時代に創建された古寺として智異山の西南側に位置しており、大韓仏教曹渓宗 第19教区の本社である華厳寺の末寺として華厳寺、双渓寺とともに智異山3大寺刹の1つに選ばれています。泉隠寺は智異山の中でも特に明るく温かい場所にあり高く深い渓谷から流れ出る澄んだ水が寺の横を流れ、周りは雄大な山々に囲まれています。泉隠寺のもともとの名前は、興徳王3年(828年)にインドの僧侶と韓国の徳雲祖師が寺を創建した当時、境内に露のように冷たく澄んだ泉が湧いていることから甘露寺と呼んでいました。この泉の水を飲むと心(精神)が洗われるといい多くの僧侶たちが訪れたり、高麗の忠烈王の時には「南方第一寺刹」に昇格されたりしました。ところが、仁辰倭乱で寺が燃え改築した際、大きな蛇が泉によく現れ、捕まえて殺したところ泉の水が出なくなったといいます。そこから「泉が隠れた」という意味で名前を泉隠寺に変えましたが、その後も何度も火事と災難にみまわれ、村人たちは寺を守っていた蛇を殺したせいだと恐れました。この知らせを聞いた朝鮮4大名筆の1人である李匡師が、まるで水の流れるような書体で“智異山 泉隠寺”という文字を書き門に掛けたところ火事が起こらなくなったといいます。泉隠寺内には法堂である極楽殿(全羅南道有形文化財 第50号)と泉隠寺極楽殿、阿弥陀後仏幀画(宝物 第924号)があり、また李国師が文字を掛けた門を抜け、独特で趣あふれる垂虹楼を過ぎるなど、お寺を訪ね行く楽しみもあります。

舒川 馬良浦口
 
忠清南道(舒川郡 ) ,
韓国で唯一、日の出と日の入りを同じ場所で見ることのできる場所です。毎年、年末になると西海岸に沈む日の入りで日の出を1ヶ所で見るために各地域から多くの観光客たちが集まります。

ダレンイ村
 
慶尚南道(南海郡 ) ,
南海「佳川ダレンイ村」は海辺に挟まれている雪屹山(488m)麓の急斜面を削って石築を積んで作った階段式畑が美しい景色を作り出す所で有名です。ダレンイ村は南側に位置しているので真冬にも雪が降らない暖かい村で、ヨモギとホウレンソウなどの若菜が一番最初に芽を出す場所であり、海風の影響で作物の病害虫発生率が低くて親環境農業が可能な村です。また、田舎の人の情と土の暖かさを感じることができるこの村では、2007年から毎年春に「ダレンイ農業祭」が開かれます。