ハンバッ樹木園
 
大田広域市(西区) ,
文化芸術と自然の調和、ハンバッ樹木園ハンバッ樹木園は地理的には、西部大田庁舎とエキスポ科学公園の中央部分にあります。1991年6月7日に近隣公園として指定された屯山大公園は、大田芸術の殿堂、ピョンソン青少年文化センター、市立美術館、イウンノ美術館など文化芸術のメッカと調和し、文化が最もよく似合う場所であると言えます。都心の中のハンバッ樹木園は、政府大田庁舎と科学公園の緑地を連携した全国最大の都心の中の人工樹木園で、各種植物種の遺伝子の保存と青少年たちに自然体験学習の場、市民たちに都心の中で自然を満喫し休息できる空間を提供する目的で作られました。

国立民俗博物館子ども博物館
 
ソウル(鍾路区)
国立民俗博物館では子どもたちが韓国の伝統生活文化に直接触れたり感じたりできるように、体験を主とした子ども博物館を運営しています。子ども博物館は多様な組み立て模型や映像資料などを使って、小学校の社会の教科書に出てくる民俗に関する内容について目で見て、手で触って直接確認することができます。展示テーマは衣(clothing)食(food)住(shelter)と社会生活、遊びなどで構成されており、特に磁石を使ったチャレ(陰暦の元旦や秋夕、毎月1日・15日などに祖先の位牌が置かれている廟などで行う簡単な祭祀)や子どもが一歳を迎える誕生日の際にしつらえる食事の準備体験、家の建築、映像でキムチ作り、コヌという昔の遊びなど、子どもたちが民俗生活を直接体験できる空間が用意されています。また、子どもたちに関連した遺物や資料の収集、管理も行っています。

ギャラリーアートリンク
 
ソウル(鍾路区)
アートリンクは作品の作り手と芸術品コレクター、大衆を繋げるための空間で、2003年3月にオープンしました。ここでは、on/off lineの全てのツールを通じて、現代美術と大衆との円満な疎通を試みています。    

イーランドクルーズ
 
ソウル(永登浦区)
漢江遊覧船は1986年10月26日に運行を開始しました。現在(株)E-LANDクルーズが運営しており、汝矣島、蚕室、トゥクソム、楊花、蚕頭峰、仙遊島、ソウルの森、金浦、仁川地域全7ヶ所に船着場、2ヶ所にターミナルがあります。爽やかな風を受けながらソウルの中心を流れる漢江からソウルの景色を眺めることができ、夜になると美しい夜景を楽しむこともでき、観光客だけでなく地元の人々にも人気です。

龍淵
 
済州道(済州市 )
龍淵は河川の下流知育の海水と淡水が混ざるところで、昔龍王の使者が出入りしたという伝説があります。池の両側に8つの岩壁が屏風のように立っている狭い渓谷で、瀛洲12景の一つです。ここは龍淵夜帆とも呼ばれます。龍淵夜帆とは風流客が夜間に船を浮かべ、奇岩絶壁の澄んだ水にうつる月が美しい言ったことからこう言います。 また、ここは夜景の美しいところとして、夜間にドライブを楽しむ人も多くいます。

鷹峰山
 
ソウル(城東区)
「鷹峰山」はソウル特別市城東区鷹峰洞にある標高94メートルの山です。山の頂上には八角亭があり、漢江を一望することができます。

李仲燮美術館
 
済州道(西帰浦市)
野獣派的な強いタッチで頭をもたげる『黄牛』、強い骨格を露にし尻尾を振る『白牛』を描いた李仲燮は、韓国戦争真っ只中の1951年、約1年余りを西帰浦で過ごしました。一坪半程の部屋で日本人の妻と二人の子どもともに暮らし、現在まで彼の代表作に数えられるほとんどの絵がここで描かれました。戦争避難民としての一時的な滞在でしたが、つらく不遇な彼の人生において最も安定した時期であったとされています。西帰浦市は、彼の暮らしていた家を買い取って復元し、李仲燮記念館を建てました。そして、彼が朝晩散歩していた家の前の通りを「李仲燮通り」に指定しました。李仲燮通りに立つと、避難生活として暮らしていた家が原型そのままに復元されており、家の裏には生前に描いた絵が展示されている「李仲燮美術館」があります。李仲燮画家の作品はカナアートセンター代表のイ・ホジェ氏が西帰浦市に寄贈したもので、李仲燮の8点の原画作品と韓国を代表する52点の近現代画家の作品など、全部で60点の作品が所蔵されています。

水原華城博物館
 
京畿道(水原市)
水原華城博物館は、世界文化遺産である華城の歴史や文化を提示する博物館で、華城を訪れる訪問客に、効果的かつ体系的に華城を理解してもらうために建設されました。華城は、18世紀前の世界中の軍事建築物の見本であり、朝鮮時代の城郭文化の花として高く評価されています。単純な城郭ではない都市全体を構成しているとも言えます。 華城博物館は、水原新都市建設や華城を築城した正祖の思想や思い、華城建設に参加した人物たち、華城に駐屯した壮勇営兵、そして正祖の8日間の華城行軍などの作品や模型が展示されいます。

慶州歴史遺跡地区
 
慶尚北道(慶州市 ) ,
2000年11月、ユネスコ世界文化遺産に登録された慶州歴史遺蹟地区は、新羅時代(57年~935年)の古都である慶州の歴史と文化がそのまま残された遺跡地域です。 遺跡の性格によって、5つの歴史遺跡地区に分かれています。まず、新羅の仏教美術の宝庫である南山地区です。慶州の南山は野外博物館と言われるほど、新羅の息遣いが聞こえることろで、新羅王朝が終わりを遂げた鮑石亭や塔谷の磨崖彫像群、天龍寺址の三層石塔、七佛庵の磨崖石佛、佛谷の石佛坐像など、37つの仏教遺跡があります。 次に、新羅千年王朝の王宮であった月城地区です。鷄林、新羅王宮の別宮であった臨海殿址、そして東洋最高の天文施設である瞻星臺などがあります。3つ目に新羅王や王妃、貴族たちの古墳群分布地域である大陵苑地区です。区画によって、路東里古墳郡、路西里古墳群、皇南里古墳群、五陵古墳群、財買井などがあり、墓の発掘調査で当時の生活を把握できる金冠、天馬図、土器など、貴重な遺跡が出土しました。 4つ目に新羅仏教の精髄である皇龍寺地区には、皇龍寺や芬皇寺の石塔が保存されています。  そして、5つ目に王京の防御施設である山城地区に、400年前に作られたと推定される明活山城が含まれています。 慶州歴史遺跡地区には計52の指定文化財が、世界文化遺産地域に含まれています。

社稷公園
 
光州広域市(南区) ,
社稷公園址は、元々社稷壇があった場所で、社稷壇とは、三国時代から国の安寧と風年を祈願し、土地の神と穀物の神に祭事を行ってきた場所です。この場所は、朝鮮太祖3年に 土地の神に捧げ物を行っていた社稷壇が設置されていたといいます。園内には、1993年に復元された社稷壇と光州放送局(KBS)、警察忠魂塔、椽波亭、射場、市街地が一望できる八角亭などがあります。草木や花がきれいに整備されており、市民の憩いの場として愛用されています。