白南準アートセンター
 
京畿道(竜仁市)
白南準アートセンターは、白南準の精神的遺産を引き継ぎ、近代的な時空間の概念と物理的概念から離脱し、メディア時代の情報と疎通に対する新しい媒体創造の可能性を広げ、美学的・倫理的・政治的観点から新しい文化参与空間をつくることを目的としています。特定の目的に美術行為を準拠または喚起するのではなく、人間存在の非自由性、非自発性に対する省察を導き、非効果的・創造的消費を増大させ、自由ための自由の行為空間を全地球的に拡散させてゆく文化媒体空間を志向しています。

草堂スンドゥブ村
 
江原道(江陵市)
鏡浦海水浴場からで南に少し下れば韓国で「スンドゥブ」と言われる柔らかい豆腐で有名な草堂(チョダン)スンドゥブ村があります。江陵名物のこのスンドゥブは、東海岸の海のにがりを使って固めたもので、とても柔らかくて香ばしいのが特徴です。この村の名前である草堂とは韓国の有名な小説家と同時に詩人でもあったホ・ギュン( 許筠 1569 - 1618)とその姉である有名な女流詩人ホ・ナンソルホン(許蘭雪軒、1563 - 1589)の父ホ・ヨプ(許曄、1517 – 1580)の号(本名を呼ぶことを避ける風習により作られた別の呼び名)を取って付けられた名前。現在この村には彼らが住んだ家の跡地が残っています。<食べ方>ゼリーのような状態のスンドゥブが大きい器に盛られて出てきたら醤油をお好みでつけて食べます。

国債報償運動記念公園
 
大邱広域市(中区) ,
過去を通して未来を学ぶ国債報償運動記念公園(旧東仁公園) 1907年、大邱から始まった国債報償運動の市民精神を記念して第2の国債報償運動の展開でIMF経済難の克服と都心地内の緑地空間の確保及び市民の安楽した休憩空間の提供のため名称を「国債報償運動記念公園」と定めて1998年3月から1999年12月まで中区東仁洞に建てられた公園です。 国債報償運動の崇高な精神を称えて多くの市民達に休憩空間を提供するために作られた国債報償運動記念公園は42,509㎡(12,859坪)の面積に達句伐の大鐘、鐘楼などがあります。公園内の達句伐の大鐘は郷土の霊と情緒が込められた清く明るい音が響き、万人の心を呼び起こし、和合と繁栄を念願する大邱市民の志を全世界に広めようと1998年12月22日、東仁洞国債報償運動記念公園内に建造、設置されました。 大韓帝国末期に起きた抗日独立運動のひとつである国債報償運動記念公園の救国精神を継承するために作られたこの公園は中央図書館と東仁駐車場の間に広がっています。この場所は22.5tの達句伐の大鐘を始めとして、郷土書道家達の書いた李陸史・朴木月・趙芝薰・李鎬雨・尹東柱の詩碑と大型映像施設、李彦迪・金宏弼・徐居正・李滉・鄭夢周・徐相日・徐相敦の名言碑がある道、爽やかに噴出す噴水、和合の広場などがあります。 地下3階規模の東仁地下駐車場があって市民達の駐車空間を確保し、中央図書館もあり多くの青少年達が集まります。市内が近くカップル達にもデートコースとしても人気があります。一番最近作られた公園で広い芝生広場と周囲に千余りの樹木が植えられていて、ベンチも多く設置されて休憩するにはとてもよい場所です。また爽やかに噴出している噴水や小亭、田舎の山川や木々を連想させる石造物などが情緒をかもし出しています。青少年広場、音楽会、展示会などが開催され、達句伐の大鐘を打つ儀式を毎週土・日曜日に行われていて、多くの観光客が公園を訪れます。 国債報償運動記念公園の見所255mの高さの大きなクヌギ、静寂な道と松林、噴水と小亭、芝生広場、郷土出身の市民達の詩碑が立てられている道、先賢達の名言碑で飾られている名言巡礼の道などがあります。横9m、縦6m規模の大型電光掲示板を通して各種生活情報とプログラム中継などを見ることができます。公園の至る所に松の木、ヒトツバタゴ、山桜など30種、1万2300種類余りの植物、ワスレグサ・すずらんなど5種3万本余りの花々が植えられています。また重さ22.5tの達句伐の大鐘があり、毎年ここで「除夜の鐘」を打つ行事を挙行しています。大邱市民の都心の中の休憩空間として利用されていて各種展示会や公演場としても活用されています。

西大門刑務所歴史館
 
ソウル(西大門区)
西大門刑務所歴史館(ソデムンヒョンムソ・ヨクサグァン)は西大門独立公園内にある博物館。大韓帝国(1987~1910)末期に建てられた日帝強占期の代表的な弾圧機関として、数多くの韓国独立烈士たちがこの監獄に閉じ込められ拷問を受け死んだという歴史のある場所です。この博物館はこの歴史を再考し韓国民族の歩んできた歴史を称えるために建てられており、3・1独立運動直後、柳寬順烈士が監禁され死亡した地下監獄や監視塔、拷問室、死刑場、7棟の監獄、歴史展示館等がある他、1階の「追慕の場」では映像システムを通して設立背景や歴史的過程など西大門刑務所の歴史を見ることができます。また2階の「歴史の場」では民族抵抗室や刑務所歴史室、獄中生活室などが、地下1階の「体験の場」では臨時拘禁室と拷問室があり、その拷問の様子も再現されています。また公園内には史跡第32号である独立門と史跡第33号の迎恩門柱礎をはじめ、独立館と殉国先烈追念塔、3・1独立宣言記念塔などもあり、ゆっくりと時間をとって見て回りたい所。歴史と韓国民の民族精神について改めて考えてみるよい機会となるでしょう。

ソウル 梨花荘
 
ソウル(鍾路区) ,
梨花荘(イファジャン)は1945年の独立後、韓国の初代大統領である李承晩が、アメリカから帰国後、大韓民国政府樹立運動を行いながら暮らしていた伝統家屋。1988年、「大韓民国建国大統領李承晩博士記念館」として開館し、歴史資料や日常で使用していた家具や遺品などが展示されています。李承晩大統領は初代大統領に就任した後には他の場所に住まいを移しましたが、時々この家屋にやって来て庭園と裏山での散策を楽しんだと言われています。また、大統領職を退いた後もアメリカに亡命するまでの間の住まいとしており、前大統領の生活ぶりをうかがうことができます。ここには母屋のほか組閣堂などの別棟もありますが、造り自体は非常に簡素なもの。組閣堂も非常に小さな建物ですが、初代内閣を組織した歴史的な建築物です。その当時に使っていた敷物や木の椅子なども見ることができます。

官北里遺跡と扶蘇山城[ユネスコ世界文化遺産]
 
忠清南道(扶余郡 ) ,
 百済文化の宝庫、扶蘇山と扶蘇山城扶余の市街地の北側に紺碧の林が続く海抜106mの低い扶蘇山が一番最初に目に留まります。扶蘇山には数多くの百済の女性達が花びらが散っていくかのように自らの死で節義を守った落花岩、百花亭、泗沘楼、半月楼、宮女祠、皐蘭寺、扶蘇山城(史跡第5号)、迎日楼、成忠・興首・階伯の百済忠臣を祭った三忠祠、穀物の倉庫だった軍倉址、百済の軍人の穴蔵である竪穴住居址など百済の歴史と百済王室の話が至る所に潜んでいます。「三国史記」の百済本紀には泗沘城、所扶里城と記録されていますが、山城があった山の名前をとって扶蘇山城と呼ばれています。この山城は百済の首都であった泗沘土城の一環であり、王宮を守護するために538年に首都の遷都前後の時期に築造されたものであると考えられており、これ以前の500年頃、すでに城山が築造されていた可能性があります。その後、605年に大々的に改築が行われたと推定されています、一方、一部の城壁は統一新羅時期に修築され、高麗と朝鮮時代にはその地域の規模に合うように縮小されて利用されていたと考えられています。  百済の文化に出会う、扶蘇山の遺跡地* 三忠祠扶蘇山城の正門である泗沘門を過ぎて少し歩いて上がっていくと三忠祠があります。外三門と内三門を過ぎて書堂に入ると百済末の三忠臣である成忠・興首・階伯の肖像画と位牌が祭られています。毎年10月の百済文化祭の時に祭祀を行い、3人の崇高な救国忠節を称えます。* 迎日楼迎日楼は扶蘇山城の一番東側の峰に建てられた百済王と貴族達が遠く鶏龍山の連天峰からの日の出を見て国政と国の平安、百姓達の平安を祈願した迎日台に立てた楼閣です。*軍倉址別名、万里蔵と呼ばれていたこの場所は1915年に焼かれたお米が発見された軍隊の穀物を保管していた倉庫です。* 竪穴住居址軍倉址を少し過ぎると穴蔵が見えます。穴蔵は百済の時に軍人達の穴蔵を発掘、復元したところで、1mほど掘って四方を木やわらで塀を囲った後、わらの屋根を置いた様子です。穴蔵と貯蔵庫を発掘した場所に展示室を建て、構成をしっかりと見ることができるようにしました。* 泗沘楼扶蘇山で一番高い所(海抜106m)に位置する泗沘楼に月が明るい夜に登ると美しい景色が目の前に広がります。泗沘楼の建立当時、泉水を掘っていたら金銅釈迦如來立像(宝物大196号)が発見されました。* 百花亭落花岩の絶壁の上に建てられた六角の屋根の亭子が百花亭です。白馬江を見下ろすことができる百花亭は百済滅亡当時、花びらのように落ちて死ぬことで忠節を守った崇高な百済の女性達の魂を追悼するために1929年に扶風詩社という団体が建てました。 * 宮女祠半月楼広場で東北側を少し下ると宮女祠があります。この宮女祠は660年に連合軍によって泗沘城が墜落した日、落花岩で花びらのように落ちて死んでいった百済の女性達の忠節を追悼し、その意味を後世に広く伝えようと1965年に建てられました。10月の百済文化祭の時に司祭を行います。* 官北里遺跡官北里遺跡は1983年9月に忠清南道記念物第43号伝百済王宮址に指定されています。1982年からこの一帯を中心に忠南大学博物館で5回に渡って発掘調査を行いました。1983年度に方形石築蓮池が発見され、1988年度の発掘調査では土器の口縁部に北舎という銘文が刻まれたものが発見され、1992年度には現在の国立扶余文化財研究所の南側50mのところから百済時代の道路の遺跡や排水施設が見つかりました。 

光州ワールドカップ競技場
 
光州広域市(西区) ,
光州(クァンジュ)ワールドカップ競技場(キョンギジャン)は2002年のワールドカップ開催に合わせオープンした約44000名の座席数を持つサッカー専用スタジアム。観覧席の約60%を覆う屋根は、光州の名山・無等山を、そして屋根を支える大きな柱はこの地方の風習のひとつであるコサウムノリ(藁で編んで作った大きな「コ」と呼ばれるものに男性が3-4人乗って騎馬戦のように戦う競技)の「コ」をイメージしたもので、両側の屋根が向き合っている様子も2つの「コ」が戦う様子を表しているかのような印象を与えます。競技場には広報館、メディアセンター、医療施設、各種スポーツ施設など、様々な施設が整い、市民の憩いの場所として利用されています。

妙覚寺
 
ソウル(鍾路区)
妙覚寺は、ソウルの中心、鐘路区崇仁洞にある駱山の東側にある大韓仏教観音宗の総本山です。1930年5月、泓宣和尚が創建し、これまで2回に渡る増築、改築がありました。現在の場所にお寺を建てると、ソウルの街が平和になり、市民の生活に安定をもたらすという風水地理学の説により、この場所が選ばれたと言われています。2002年の世界ワールドカップから、伝統仏教文化のテンプルステイが体験できるお寺に指定され、都心で味わう伝統寺院として多くの観光客から人気を集めています。

大田貿易展示館
 
大田広域市(儒城区) ,
海外に82の貿易館を所有している大韓貿易投資公社が運営する大田貿易展示館は、既存の展示場が抱える問題点を解消し、さらに世界各国のKOTRA NETWORKにより多くの海外バイヤーたちを誘致することができます。また、徹底したサービスおよび、国内外の最新情報を提供することをもって、国内の展示事業のグローバル化に大きく貢献しています。

E-WORLD
 
大邱広域市(達西区) ,
ヨーロッパ式都市公園、E-WORLD(旧友邦タワーランド)E-WORLD(旧友邦タワーランド)は1987年10月にタワー建設及び総合テーマパーク造成工事再着工を始め、1993年に総合テーマパークマストプランを確定後、1995年3月に開場しました。瀑布、噴水、照明、花で飾られたヨーロッパ式都市公園で老若男女誰でも楽しむことができ、乗り物、展示、芸術空間、食堂街などがあります。E-WORLDには各テーマ別に広場を作り、訪問客に新鮮さと楽しさと与えています。チケット売り場を通ると入り口に進入広場、ランドの中央に位置する中央広場、子ども達の遊び場である子ども広場、若者達のための空間がヤングタウン広場などが代表的な広場です。83タワー(旧友邦タワー)概括の現状83タワーランドには展望台、デジタル体験館、企画展示館などの教養施設と子どもの遊び場、ゲームセンターなどの施設があります。そしてランド内に回転レストラン、スカイラウンジなど5ヵ所飲食施設があり多様な料理を提供しています。