江原道(原州市)

盤谷(パンゴク)駅は江原道(カンウォンド)原州市(ウォンジュシ)盤谷洞(パンゴクドン)にあるKORAIL(韓国鉄道公社)中央線(チュンアンソン)の鉄道駅です。盤谷駅の木造駅舎は2005年4月15日、登録文化財第165号に指定されました。 盤谷駅の駅舎は中央線の歴史とともに歩んできました。1941年7月1日に駅の営業を開始、韓国戦争(1950~53年・休戦)や同戦争中の1951年にあった1.4後退の際には人民軍に盤谷駅の駅舎が掌握されたり、戦闘が行われたという歴史もあります。 以降、1974年3月15日には列車などで荷物を運ぶ小貨物の取扱を廃止、2007年6月1日には旅客営業も休止しましたが、駅そばに江原革新都市が造成され、韓国観光公社など政府系公共機関がここに移転してくると、ソウル首都圏からの通勤のため、2014年8月18日から再び旅客営業を再開、現在では通勤時間帯の朝夕に数本の列車が停車します。 駅待合室やきっぷ売り場がある駅舎は2009年に美術館としても使われるようになり、地元住民の文化スペースとしての役割も果たしています。 壁は一時、ビニール板壁の外装となっていましたが、その後、土壁にセメントで仕上げる形に変更され、屋根はセメント製の瓦を使っています。 春には駅舎の前に建つ桜が満開となり、原州を代表する桜の名所となっています。  


全羅南道(霊光郡 )

このお店でイシモチ定食(クルビ・ジョンシク)を注文する、約20種類のおかずが出てきます。おかずには全羅南道料理を代表する「ガンギエイの刺身・豚肉・キムチ包み(サマプ)」や「かにの醤油漬け(カンジャン・ケジャン)」もあり、法聖浦のイシモチをメインにした全羅南道風韓定食と言っても過言ではありません。特に、イシモチのチヂミ(クルビ・チョン)とイシモチの和え物(クルビ・ムチム)、イシモチ鍋(チョギタン)など、法聖浦のイシモチを使った料理が多く、その味は絶品です。このお店の全国的な人気の秘訣は、なんと言っても良質のイシモチにあります。


江原道(原州市)

* 原州市にある国民観光地・艮峴観光地 * 江原道原州市(ウォンジュシ)中心部から西に約18kmの所にある艮峴(カンヒョン)観光地は南漢江(ナマンガン/ナムハンガン)の支流である蟾江(ソムガン)と三山川(サムサンチョン)が落ち合う地点にある自然の中の観光スポットです。 川の両岸には40~50mの高さに及ぶ岩の絶壁、鬱蒼とした古木、そして深緑色の水面が調和をなし、河原には広い砂地が広がり辺り一面素晴らしい風景となっています。 また澄んだ水が流れ砂地の河原が広いことから、夏になると河原で水遊びをしに避暑に訪れる観光客でいっぱいになります。 * 艮峴観光地の楽しみ方 * 艮峴観光地の向かい側には艮峴岩など複数のロッククライミング場があります。また近くには小金山つり橋や小金山(ソグムサン)の登山路がありハイキングも可能です。


全羅南道(康津郡 )

四宜斎(サウィジェ)は、朝鮮時代後期の儒学者・茶山(タサン)丁若鏞(チョン・ヤギョン)がここ康津(カンジン)に流配され、1801年冬から1805年冬まで、宿と居酒屋を兼ねた酒幕(チュマク)を営むおばあさんとその一人娘の世話になり、教育と学問研究に没頭した場所として知られています。 この四宜斎のそばには店が軒を連ねる通りがありました。 現在、この四宜斎市場通りでは、この通りならではの料理や、伝統体験プログラム、多彩な公演などを楽しむことができ、数多くの観光客が訪れる人気の観光スポットとなっています。


全羅南道(霊岩郡 )

* 農業文化を継承・発展させる博物館、全羅南道農業博物館 * 全羅南道農業博物館は1993年9月24日に農業と農耕文化を展示する農業専門博物館として開館しました。全羅南道は温かい気候と平野により、早くから農業が発達し、輝かしい農業文化に花を咲かせた地域です。このような農業地域の特性を活かして徐々に現代化していく中でなくなっていく伝統農業文化遺産を研究、収集、保存、展示して韓国の農業文化の昔の様子を後世に伝えようと設立されました。 * 農業博物館の展示館と主要展示品 * 全羅南道農業博物館は敷地29,752平方メートル、述べ建築面積4,132平方メートルの規模で展示空間は大きく、本館と農業館、野外展示場に分かれています。展示施設は第1~3展示室と現代農業館、野外展示場で構成されています。この中で、第1展示室には先史時代の農業と農耕、春の農業、夏の農場に関連する資料が展示されており、第2展示室には秋の農業と冬の農業に関連資料、第3展示室には栄山江流域の開発過程および未来像を伝える資料が展示しております。 別館である現代農業館には世界の農業、全羅南道の農業、米農業、畑農業、特殊作物、農産物加工および流通上方、農場機械などの関連資料が展示してあります。特にこの場所は農民達が先端栄農法を実際に学んで情報を得ることの出来る空間をして活用されています。 野外展示場には各種農耕民俗資料と農機具が展示されています。博物館の入口には国家および全羅道指定されているトルチャンスンをはじめ、ソッデなど様々な民俗資料が並んでいます。


全羅南道(莞島郡 )

* 莞島・清海浦口撮影場 * 莞島(ワンド)清海浦口(チョンヘポグ)撮影場は、韓国の時代劇ドラマ・映画の撮影現場を直に体験できる場所。 ここ清海浦口撮影場では2004年8月にロケが行われたテレビ時代劇ドラマ『海神(ヘシン)』(KBS2・2004~2005年)を皮切り、『薯童謡(ソドヨン)』(SBS・2005~2006年)、『辛旽(シン・ドン)』(MBC・2005~2006年)、『大祚栄(テジョヨン)』(KBS1・2006~2007年)、『スノギ』(KBS1・2006~2007年)、『朱蒙(チュモン)』(MBC・2006~2007年)、『太王四神記』(MBC・2007年)、『イ・サン(李祘)』(MBC・2007~2008年)、『大王世宗』(KBS1/2・2008年)、 『千秋太后(チョンチュテフ)』(KBS2・2009年)、『耽羅は島だ』(MBC・2009年)、『推奴~チュノ~』(KBS2・2010年)、『巨商 金万徳(キム・マンドク)』(KBS1・2010年)、『哲の王 キム・スロ』(MBC・2010年)、『近肖古王(クンチョゴワン)』(KBS1・2010~2011年)、 映画『珈琲』(2012年)、『鄭道伝(チョン・ドジョン)』(KBS1・2014年)、観客動員1700万人を超える爆発的なヒットを呼んだ映画『バトル・オーシャン 海上決戦(原題:鳴梁[ミョンニャン]』(2014年)など、人気ドラマ・映画およそ50作品が撮影された場所です。 映像総合文化センターとして、現在でもテレビドラマ撮影が行われており、本物の時代劇ドラマの撮影現場を見学できます。またおよそ6万6000平方メートルの敷地には素晴らしい水石を配置した水石公園や彫刻公園などもあり、見どころがいっぱいの場所です。


京畿道(安城市)

京畿道安城の農産物ブランド「安城マッチュム」を掲げた品格高いギャラリー風の食堂で、各種公演や作品展示会を鑑賞しながら、農協で直接運営する特級の安城韓牛を味わうこができるお店として有名です。特に、安城の韓牛のうち、一割しか生産されないという「最高級韓牛」は、前日までに予約をしなければならないほど稀少価値があり、とても人気が高いそうです。


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徴税博物館は税金の重要性を広報し、国税行政に対する理解を促進し「国民に対する教育の場」として設立されました。各時代別の徴税制度の内容や歴史的事件に関する資料を整理・展示しており、税金と関連した各種書籍や研究論文を収集・管理しています。


慶尚南道(咸安郡 )

岳陽楼(アギャンヌ)は、慶尚南道(キョンサンナムド)咸安郡(ハマングン)代山面(テサンミョン)西村里(ソチョルリ)山122番地に位置し、岳陽村(アギャンマウル)北の絶壁上にある亭子(東屋)です。 この亭子は朝鮮時代末期・哲宗8(1857)年に建てられたものと言われています。 岳陽楼は見晴らしが大変良い場所に建てられており、真下には南江(ナムガン)の流れが、前方には広々とした野原や近くの法守面(ポプスミョン)の土手が一望できます。 亭子の名称は中国の名勝地「岳陽」に由来すると伝えられています。その昔には「倚斗軒(キドゥホン)」という扁額がかけられていたこともありましたが、現在では書家・菁南(チョンナム)呉済峰(オ・ジェボン)氏の筆による「岳陽楼」と書かれた扁額のみ残っています。この岳陽楼は1992年10月21日文化財資料第190号に指定されました。 岳陽楼の入口には1950年代に流行した『娘船頭(처녀뱃사공)』の歌碑もあります。 岳陽楼は韓国戦争(1950~1952年・休戦)後に修復された後、1963年に重修され今日に至っています。 前面3間、側面2間の大きさの建物となっており、屋根は前から見ると八の字型をした入母屋造りの屋根となっています。 [文化財情報] 指定種目:文化財資料 指定番号:慶尚南道文化財資料第190号 指定年月日:1992年10月21日 時代:朝鮮時代 種類:楼閣


全羅南道(珍島郡 )

彭木港(ペンモッカン)は珍島(チンド)の関門の役割を担う港で、1996年12月に海洋水産部に沿岸港指定申請を出し、1998年2月に海洋水産部により沿岸港指定告示を受けました。以後、沿岸港として海洋水産部から管理を受け、珍島郡の港湾建設に画期的な契機が訪れました。 珍島郡はそれまで島にちょうどよい港がありませんでしたが、彭木港が沿岸港として指定され開発されながら港らしい港が整備されました。昔は木浦(モッポ)から済州島に行く船を連結する港でしたが現在は珍島の近海にある島、特に彭木と鳥島(チョド)をつなぐ航路の出発地の役割をしています。