忠清北道(提川市 )

忠清北道堤川市にある新韓銀行の裏にあるお店です。韓牛「コグァンテジャク」は、1+以上の最高級牛を使用。豚肉はこだわりのエサのみを与えた韓国産の豚のみを使用しています。こうして育てられた豚は、免疫力が強く、抗生剤などの注射を打たないため、安心して食べることができます。


大田広域市(儒城区)

* 韓国の統一のための場所、大田統一館 * 2011年8月11日開館した大田・統一館はエキスポ科学公園内ハンビッ塔東側のエキスポ記念館1階にあります。 韓国民に南北関係の現況と北韓の実情について正しく理解してもらうことを目的に設置・運営された施設です。 各種展示t部や映像資料などを通じて北韓の実像を正確に見て感じて理解し、南北首脳会談以降の南北関係を理解するために必要な展示や資料が多数ある統一教育の場となっています。 統一館は1階およそ420平方メートルの規模で、統一への努力の足跡、映像文献資料検索、北韓生活用品展示及び体験場などがあります。 * 大田統一館でみることができる様々な情報 * 大田統一館では「北韓を知る」をテーマに、北韓の政治、経済、社会、文化などについての実写グラフィック及びショーケース展示を通じて、北韓の実像をご覧頂けます。 また「映像室」では北韓さまざまな情報検索、北韓の実情ビデオを上映しています。 「民族の念願、統一」では統一地形図、統一への努力の足跡、南北協力、対北抱擁政策などについての解説が、「わたしたちが一つになる日のために」では外国の統一事例を通じて韓国の統一について深く扱った展示があります。


京畿道(坡州市 ) , 坡州(ヘイリ村)

臨津ナルの船着き場の南にある亭子(東屋)で、朝鮮時代、領議政(ヨンイジョン)という中央官職の長を務め居昌府院君(コチャンブウォングン)慎承善(シン・スンソン)が建てた来蘇亭(ソレジョン)。 臨津江(イムジンガン)八景は、朝鮮王朝第19代の王・粛宗(スクチョン・在位:1674年~1720年)の時代の文臣・壺谷(ホゴク)南龍翼(ナム・ヨンイク)先生が現在の京畿道(キョンギド)坡州市(パジュシ)長山里(チャンサルリ)にあったこの来蘇亭に上り臨津江の美しい風景を詠んだ詩『来蘇亭於(ネソジョンオ)』に由来する、臨津江縁にある八つの景勝地のことを指します。 この臨津江八景を代表する第一景は臨津江が蛇行する川縁、現在の坡州市坡平面(パピョンミョン)栗谷里(ユルゴクリ)にある花石亭春(ファソクチョンチュン=花石亭の春)。 この花石亭は、1443年、寄棟屋根に初翼工形式で建てられ、臨津江が眺められるこの場所で朝鮮時代を代表する儒学者・栗谷(リュルゴク)李珥(イ・イ)が弟子とともに学問について論議し余生を送ったといいます。


京畿道(坡州市 )

スカイウォーク「明日の奇跡の音」は韓国分断の歴史的シンボルで臨津江(イムジンガン)に架かっていた京義線の複線の鉄橋「トッケタリ」の片側を復元し作ったものです。6・25戦争(韓国戦争・1950-1953)時の爆撃によって鉄橋は破壊されましたが、片一方は後に道路橋として改修され捕虜交換の際や板門店へ繋がる橋として利用された「自由の橋」(現在は再び鉄道の鉄橋として利用)、そしてもう一方の破壊された鉄橋の残った5つの鉄橋の橋脚を基礎に長さ105m、幅5mの戦争前の鉄橋の一部を再現しました。2層構造で過去と現在、未来のエリアに分けて構成されています。民間人統制線(民統線)内に位置していますが、特段の許可なしに出入りすることができる唯一の施設です。


仁川(甕津郡)

西海(ソヘ)最北端の島・白翎島(ペンニョンド)の龍機院山(ヨンギウォンサン)にある国土クッソム(最果ての島)展望台。この展望台からは双眼鏡で北韓国の島々や陸地を眺めることができます。また山の頂にあることから、左手には新港や沙串(サゴッツ)海岸、右手にはハニ海岸など白翎島の隅々までよく見えます。


慶尚南道(昌原市 )

1998年10月31日に開館した鎮海(チネ)市立博物館は帝皇山(チェファンサン)公園内の鎮海塔1階・2階に展示室、事務室、視聴覚室、遺物倉庫、展望などの施設を持つ博物館です。展示室には鎮海市の沿革、新石器・青銅器・三韓・三国時代の遺物、朝鮮時代の陶窯址の模型、鎮海の漁業の様子を再現した展示、駕洛国・首露王と王妃の人形、亀甲船模型、熊川邑城の模型などが展示されており、鎮海の遺跡に関するビデオもご覧頂けます。 また鎮海市全体を縮尺したジオラマ模型とともに鎮海の歴史年代や時代別に鎮海の歴史をモニターで確認することもできます。鎮海の過去と現在を知ることができる鎮海博物館には数多くの観光客が訪れています。


慶尚北道(安東市 )

夜景 : 光を生かした景観照明 夜設 : 無形文化財公演及び講演 夜市 : 地元芸術家による文化の場 夜史 : 夜に聴講する安東の歴史 夜食 : 安東の伝統料理を探検 夜画 : 文化遺産展示夜宿 : 安東の古宅宿泊イベント


江原道(平昌郡)

* およそ2000ヘクタール、韓国国内最大の有機草地牧場 * 牛を自社で飼育し消費者にタンパク質豊富な原材料を供給する目的で、1972年から草地を開墾し作られた三養(サミャン)牧場。 ここ三養牧場の自然の中で健康的に育った牛から搾乳した原乳などは、系列の大手食品メーカー・三養食品に供給されています。 三養牧場は、2007年観光客の方々にも門戸を開き観光事業を開始、おそよ2000ヘクタール(約600万坪)の緑の草原に数多くの動物たちを放牧しています。牧場の丘の上にはすっと天に聳える風力発電の鉄塔があり、風の強い大関嶺(テグァルリョン)地域の風を利用し発電する環境にやさしいエネルギー供給源となっており、韓国国内では最大規模を誇ります。 三養牧場ではすばらしい自然景観とともに、 羊飼い公演、子牛ミルクやり体験、羊・ダチョウ餌付け体験など、さまざまな見どころや体験プログラムをお楽しみいただけます。


慶尚北道(聞慶市 )

韓半島最北端にある白頭山(ペクトゥサン)から続く山脈・白頭大幹(ペクトゥデガン)にある鳥嶺山(チョリョンサン)の峠・聞慶(ムギョン)セジェは、古の時代から嶺南(ヨンナム=慶尚道)地方と首都・ソウルを繋ぐ関門であり、軍事的な要衝地でもあった場所です。 セジェという地名が付いた由来には、鳥(セ)が飛んでも越えることが難しい峠(ジェ)、ススキ(オクセ)が生い茂る峠など諸説あります。 この名称からも分かるように、セジェは峠ということで、山高く、急峻なところにあります。聞慶セジェには第一の関・主屹関(チュフルグァン)、第二の関・鳥谷関(チョゴックァン)、第三の関・鳥嶺関の三つが設置されています。そのうち、第三の関である鳥嶺関はセジェの頂上、最も高い位置にあります。 この鳥嶺関は、北から侵入する敵から防御に当たるため、朝鮮王朝第14代の王・宣祖(ソンジョ=在位:1567~1608年)の時代に着工し、第19代の王・粛宗(スクチョン=在位:1674~1720年)の治世に重創されました。 この場所は高麗時代初期から鳥嶺と呼ばれ、重要な交通の要所となっていました。 門楼は1907年に壊され焼け落ち、アーチ型の石積となった虹霓門(ホンイェムン)や楼閣、左右の石城135mは1976年に復元され現在に至ります。