江原道(原州市)

高麗・仁宗(インジョン)の時代に賢儒の位牌を奉安・合祀し、地方に住む民の教育や教化のため創建された原州郷校(ウォンジュヒャンギョ)。 1422(世宗4)年に地方行政機関の長・監察使の下で担当する区域を治めた文官・牧使(モクサ)の申浩(シン・ホ)が重建、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の時に全焼した後、1603(宣祖36)年に李澤(イ・テク)が大成殿を重建しました。 1609年、牧使・任就正(イム・チジョン)が明倫堂と東斎・西斎を復元し、1632(仁祖10)年には李培元(イ・ベウォン)が増築を行いました。 韓国戦争(1950-53年・休戦)の際、建物の一部が破壊され、現存する建物としては大成殿、明倫堂、西斎、三門などがあります。 大成殿には五聖、宋朝二賢、韓国の十八賢の位牌を祀っています。朝鮮時代には国から土地と典籍・労費などの支給を受け、教官1人が定員40人の教生を教えましたが、朝鮮時代末期の改革の甲午改革以降、新学制実施により教育的機能は失われ、それ以降は春・秋に儒教の先哲を祀る釈奠祭を行い、毎月1日と15日には焼香を行っています。 江原道文化財資料第98号に指定されており、郷校の運営は典校1人と掌議数人によって行なわれています。


江原道(東海市)

東海市泉谷地区に位置したチョンソルパークは60台余りが同時に駐車できる。 広い空間は旅行客に開けた涼しさを感じさせてくれる。 家族的な雰囲気の中、家族連れのお客様向けに大型冷蔵庫と炊事室が利用でき、自由に調理できるのがここだけの長所だ。 ビジネス旅行客にはいろんな目的に対応できる事務所兼セミナー室を存分に使用できるように開放している。 ロシア語案内サービスが可能で、ロシア人観光客に人気が高い。


全羅北道(益山市 )

「パンディップリモーテル」の主な利用者は20~30代の若い旅行客とビジネスのため長期宿泊客となっています。客室にはコーヒー、カップラーメン、レトルトご飯など、簡単な食べ物が常備されています。 パンディップリモーテルには、一般客室のほかに、壁に黄土、天井にヒノキが使われ、心身の疲労を癒してくれる黄土部屋がひとつあります。その他、フロント前では益山弥勒寺址や王宮里遺跡の案内映像を上映しており、旅行情報も提供しています。


江原道(寧越郡)

西江は平昌江と酒泉江の出会う寧越郡西面甕亭里から東江と西江の出会う寧越邑までの区間です。 西江は寧越郡西面甕亭里仙岩村から始まり、端宗(朝鮮第6代王)が最初に流罪に処した清冷浦を抱き、東江と出会い南漢江に流れます。東江を水流の激しい男性的なシンボルとするなら、西江は水流の穏やかな女性的なシンボルとして表現されます。 西江にはオルムチやシュリなど1級河川にのみ生息する淡水魚がたくさん生息し、カワウソやカワアイサ、オシドリなどが見られます。最近、新しい観光地として脚光を浴びています。 西江の特徴は仙岩村の風景ですが、この村は驚くほど韓半島の地形にそっくりです。周辺には仙岩、 寧越立石、清泠浦、韓半島地形、 観瀾亭などがあります。


慶尚北道(慶山市)

ナツメで有名な慶尚北道慶山(キョンサン)にあるパラムヘッサル農場(風陽差し農場)は広々としたナツメ畑のそばにあります。農場は韓屋宿泊施設としてはもちろん、ナツメの広報館やナツメ加工施設がある体験型農場としても運営されています。 韓屋は母屋と舎廊(サラン)チェの建物、バンガローからなり、母屋を除く舎廊チェとバンガローで韓屋ステイが可能となっています。建物はそれぞれ独立しており、予約した1組(最大4人まで)のみしか宿泊できません。全室エアコン、冷蔵庫、コーヒーポットなどが完備しています。 ナツメの農場ということで韓屋のすぐそばにあるナツメ広報館では慶山のおいしいナツメの試食ができ、体験やセミナースペースもあります。 また加工室がありナツメの加工工程も見学できます。ナツメの収穫時期である秋にはナツメ狩り、ナツメ餅作り、薬飯作りなど農村体験もできます。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

崇政殿(スンジョンジョン)は元々、慶熙宮(キョンヒグン)の正殿であった建物です。 慶熙宮は元来、朝鮮時代の第16代の王・仁祖(インジョ・1595~1649年)の実父で第14代の王・元宗(ウォンジョン・1580~1619年)の私邸であった場所でした。 崇政殿は、1910年日帝が慶熙宮を壊し日本人の子弟のための学校・京城中学校を設立した際にも残されました。 その後の1926年にソウル中心部の南山(ナムサン)の麓・筆洞(ピルドン)、現在の東国(トングク)大学校の場所で曹渓寺(チョゲサ)の本殿として使うため、移築されました。 日本の植民地支配から解放された1945年の光復(クァンボク)後、東国大学校設立に伴い、1976年9月、現在の位置に再び移築されました。現在は仏教の儀礼を行えるよう内部が造り変えられています。


ソウル(鍾路区)

ソウル特別市鍾路区(チョンノグ)の大学路(テハンノ)にある韓国放送通信大学本館の建物。この建物は大韓帝国時代、工業伝習所本館として建てられた建物です。 この建物は大韓帝国の財務を総括する官庁・度支部(タクチブ)の建築所が設計、日本人の吉田謙造が施工を担当し、1907年着工、翌1908年に竣工しました。 工業伝習所は大韓帝国(1897~1910年)時代、商工業振興政策の一環としてて設立され、染織、製織、製紙、金銀細工、木工などの近代技術を教育する機関でした。 工業伝習所は1906年に発足し、元々貨幣の造幣を行っていた典圜局(チョナングク)機械試験所があった東崇洞(トンスンドン)の敷地を確保し、本館及び付属の建物を建築しました。 工業伝習所は1910年の日帝強占期(1910~1945年)がはじまると、統監府所管から朝鮮総督府所管となり、1912年中央試験場が設置されると中央試験場付設の機関となりました。つづいて1916年4月に創設された京城工業専門学校にその流れは引き継がれ、工業伝習所としての時代に幕が下ろされました。 旧・工業伝習所本館の建物は2階建てのルネッサンス様式の建物で、左右対称をなすH字型をした木造建物です。 大韓帝国時代に建てられた木造建築としては唯一その原型を良好な状態で留めている建物で、大韓帝国度支部が設計した数少ない現存する建物としても歴史的価値が高い建物となっています。 * 面積 - 999平方メートル


全羅北道(全州市 )

「全州伝統文化センター」は、2002年韓日ワールドカップに合わせて全州市が全州韓屋村内に設立しました。伝統料理館、伝統芸術公演場、伝統婚礼場、伝統文化センターなどが集合した伝統文化総合体験場であり、開かれた文化空間です。


慶尚北道(安東市 )

慶尚北道安東市(アンドンシ)豊川面(プンチョンミョン)にある九潭精舎(クダムチョンサ)は目の前に洛東江(ナクトンガン)九潭湿地が、背後には小高い山が広がり、遮るものがない広々とした青空を仰ぎ見ることができるところにあります。元々、光山金氏(クァンサン・キムシ)安東派の家系が代々受け継いできたところで、国語古典文化院クォン・オチュン理事長が買い上げ、新たに生まれ変わった九潭精舎は安東の自然を静かに満喫できる古宅です。 九潭精舎は河回村ではなく九潭湿地の近くにあります。およそ15年前までは安東へ基盤を移した光山金氏安東派の宗宅でした。しかし安東が新たな住宅地として注目を集めると、クォン・オチュン理事長は由緒ある宗宅を後世に伝え、より多くの人々に開かれた空間として活用することを思いつきこの家屋を買い上げました。その後、韓屋のいたるところを大々的に補修し、2010年5月、一般開放するに至りました。 中庭を囲む形で「口」の字型に建てられた韓屋の構造には手を入れず、改修しました。しかしながら古くなった瓦屋根は新しく葺き替え、韓屋の基礎となる基壇の石積みを長方形の石材・長台石に変えるなど一部本来の韓屋の造りに手を入れた部分もあります。また板の間と板の間を繋ぎ、建物のあらゆる部屋から部屋へと歩いて移動できるよう改築しました。煙突や塀は昔ながらの伝統の姿をそのまま復元し利用しています。このような改築の方針は、祖先が代々引き継いできた家屋に残された知恵や韓屋の趣を、多くの人が感じとってくれればというオーナーの心がよく表れているところです。 元々の韓屋と一番異なっている部分はこの韓屋の周りの部分です。中庭を、母屋前の庭の部分と舎廊(サラン)チェ前の庭の部分というふうに2つに分け、その間に塀を築き、内と外を分けたこと、そして3間の広さの高柱の大門を建てたことが一番の違いです。 また中庭を芝生で覆い、庭石や盆栽を置くなどして韓屋の伝統美をより美しく見せるように工夫しました。 九潭精舎の構造ですが中庭、母屋、外棟、裏庭があり、敷地が緩やかな丘をなしているのが特徴です。外棟には亭子(東屋)の形をした高殿の板の間があり、風流さを楽しむことができ、母屋には家族の生活空間であった奥の間があります。 建物の内側にある中庭は母屋の採光を高めるのと同時に空気の循環も促し、母屋の空間を外の自然と調和させる役割があります。前庭と母屋、囲むように韓屋が建てられている中庭の3箇所がそれぞれ自然の空間、人工的な空間、そして人の手が加えられた人工的自然空間と三重の構造をなしている形となっています。通常、韓屋は湿度が高く水を多く必要とする芝生は作らないのですが、この中庭には青々した芝生を植えました。これは韓屋の基礎となる基壇の下に四角い長台石を積み上げ、十分な高さを確保できたことで可能となりました。 九潭精舎ではエアコン設備はなく、冬にはオンドルの焚口に薪をいれ火をつけて部屋を温めます。不便さを感じることもありますが、ここに一泊したお客様は韓国にエアコンやボイラーがなくてもなんとかなるということを身を持って悟ります。夏は戸が多く風通しがよい韓屋の構造のため、ごろんとしているだけでも涼しく、冬になるとオンドルの焚口に近い方の部屋はかっかと暑くなり寒気も飛んでいってしまうほど温かくなります。 この韓屋の自慢は伝統御膳の食事。山から取ってきたエゾウコギ、桑の葉、タンポポなどを漬けた漬物や塩梅よく塩をふって焼いた安東塩サバ、化学調味料を一切使わない様々なおかずで構成される御膳は九潭精舎を訪れる人々にいつも人気満点のメニューです。


京畿道(坡州市 )

大韓民国の20世紀文化は大変大きな変動を経験しました、日本に統治権を奪われた1910年から40年代、苦難の6.25戦争が起こった1950年代、「いい暮らしを目指そう」という一念で全国民が一致団結した1970~80年代まで、次第にその時代のことを忘れてしまうのではないかという懸念から、2005年に30年間収集した様々な収集品約7万点をヘイリ村に移し、この博物館を開館しました。 入口から昔の懐かしい匂いが漂う韓国近現代史博物館は地下1階、地上3階建ての建物で、各フロアごとにそれぞれ異なる時代のとある街並みを丸ごと再現した韓国初の近現代史を振り返るテーマ博物館です。