慶尚北道(青松郡 )

松韶(ソンソ)古宅の沈琥澤(シム・ホテク)が分家する弟のために建てた韓屋がこの昌室(チャンシル)古宅です。 およそ100年前の1917年3月に建てられた昌室古宅は母屋、主人の居間として使う舎廊(サラン)チェ、そしてその他建物が中庭を囲むように建てられた27間の大きさを誇る韓屋です。慶尚南道昌寧(チャンニョン)から嫁入りした娘から由来しこの韓屋に「昌室」という名前がつき、今日に至り「昌室古宅」と呼ぶようになりました。 この韓屋は母屋と主人の居間として使う舎廊チェが並行になった配置になっており、その間に書庫と納戸を置きつなげ中庭を囲むような形の韓屋になっています。 古宅に入るとまず最初に見えるのが舎廊チェで、戸をすべて開けるとすっきり中が見通せる室内が広い板の間があり、その左右に主人の居間となる舎廊房(サランバン)や書庫があります。舎廊房は2間あり、比較的広々としています。舎廊チェの建物と屋根続きになりますが、造りがやや低めの切妻屋根の建物・行廊チェはここに住んでいた使用人・作男が住んでいた建物です。この他、藁葺の韓屋は黄土で造られた部屋でここも貸出を行っており宿泊可能です。


世宗市()

「木の香りが漂う家」という名前のついた木香斎(モキャンジェ/モクヒャンジェ)は韓屋体験ペンションです。 周囲を団地に囲まれた大通り沿いに憩いの場のように佇む木香斎。低めの土塀に囲まれた木香斎の庭に入ると、高級感あふれる2階建ての韓屋の建物が出迎えてくれます。 木香斎は太い紅松・ゴヨウマツで大梁や柱を支え、王宮建築の様式を踏襲して建てられた韓屋です。雄壮さがありながらもこじんまりとした雰囲気を感じられる建物で、屋根を支える垂木の木目がむき出しで木のよさが感じられる天井や韓紙を貼った引き戸は伝統韓屋の雰囲気を一層高めます。 客室はお一人様あるいはお二人様でご利用になれる韓屋、ロフト・ベッド付きの一般室、リビング・ロフト、そして広々とした韓室があるデラックスルームがあり、ひとり旅のお客様からご家族連れのお客様まで快適にお泊りいただけます。 客室及びリビングにはオーナーが使っていた飾り棚や大木の根っこを使った重々しい原木のテーブルがあり、韓屋の趣をさらに引き立てています。 漫画や絵本があるロフトは子どもたちに特に人気のスペース。散策路に飛び石が配置されている前庭では、春になるとサンシュユ、モクレン、ユスラウメが優雅に咲き誇ります。 木香斎には宿泊施設のほか、伝統茶房もあります。オーナーのご主人がお茶を嗜む中国の方で、この茶房を開くことになったとか。大部分の茶葉は中国から直接取り寄せてきたもので、プーアル茶、紅茶など数十種類の伝統茶を茶菓子ととともに楽しむことができます。   


慶尚北道(青松郡 )

すべての人々に開かれている自然の中の安息の場・察訪公宗宅は青松沈氏(チョンソン・シムシ)岳隠公・第9代子孫である察訪公・沈鐺(シム・ダン)の宗家として1933年・癸酉年の年に建てられ長年村の祀堂として使われた由緒ある家屋で、郷土文化遺産13号に指定されています。 建物は中庭を囲むように「コ」の字型の構造となっており、入口の大門は北向きになっているのが特徴です。 99間の広さを誇る松韶古宅(ソンソコテク)と塀を挟んで反対側に建っており、薪による伝統的な方式のオンドル部屋や広々とした中庭、家庭菜園などがあります。 都会では難しい韓屋の素晴らしさを体験したい人々のやすらぎの場を提供する察訪公宗宅。伝統韓紙で仕上げた客室、そして寝具には布団を用意、鳥のさえずり、風の音以外には聴こえない閑静な場所に察訪公宗宅はあります。 敷地内には神位を祀る祀堂(サダン)もあり、風情あふれる実家のような佇まいの宗宅です。


蔚山広域市(中区)

1922年玉橋市場(オッキョシジャン)として誕生して以来、80年以上もの間、この場所で人々の哀歓とともに時代を歩んできた蔚山(ウルサン)中央市場。この蔚山中央市場は、お客様のご満足を第一にお迎えする市場です。 世界的な不況の中でも、数多くのお客様のご利用とご愛顧を頂き、婚礼用品関連をはじめカーテン、食器、祭祀用品、衣類など多彩な商品を取り扱っている市場です。 韓国で最長を誇るアーケード施設がある蔚山中央市場では、毎週月曜日を除き、午後7時から夜中0時まで夜市場を開催しています。およそ30ほどのグルメをご用意、ファミリーレストランでの経験があるシェフ、料理学校講師、そして未来を担う若手シェフが味を競い合っています。


慶尚南道(居昌郡 )

水と岩が松林と合いまりすばらしい景色を誇る捜勝台(ススンデ)。 毎年夏になるとここにある野外舞台で居昌(コチャン)国際演劇祭が開催されます。人々は自然の中で繰り広げられるパフォーマンスにただ魅了されるばかりです。 そしてもうひとつ、この場所を訪れる人々の心を奪う場所、それが韓屋の美しさを誇る黄山村(ファンサンマウル)です。 その村の中でも最も美しい韓屋として評価を受けているのが猿鶴古家(ウォナクコガ・ウォンハクコガ)です。 居昌郡(コチャングン)渭川面(ウィチョンミョン)の捜勝台正門を背にしすこし歩いていくと、樹齢600年を越えるケヤキの大木が人々を出迎えてくれます。そう、ここが黄山村です。黄山村は居昌慎氏(コチャン・シンシ)の集姓村で、住民の八割以上が居昌慎氏の宗親(一族)です。慶尚南道民俗資料に指定された全長1.2キロメートルの石塀に沿って歩いていくと、居昌郡の公共美術プロジェクト事業として誕生した壁画通りにも出くわします。この黄山村は中央を流れる川を境に1区と2区に分かれています。黄山1区村には100年から200年前に建てられた韓屋50軒ほどがありますが、その中でも真ん中に位置する猿鶴古家は500年もの間、この地を守り続けていました。村民たちからは慎氏古家と呼ばれているこの韓屋は楽水(ヨス)・慎権(シン・グォン)先生の10代子孫・慎宗三(シン・ジョンサム)先生が1927年、それまでの家屋を取り壊し再び建築し、その後87年もの間当時の姿のまま保存されている名品古家で、民俗資料第17号にも指定されています。 慶尚南道西部では規模が最も大きく、保存状態もよい猿鶴古家は現在、宗家の一番上の嫁・宗婦(チョンブ)であるパク・チョンジャ女史が 自ら家屋を管理しています。この家屋を一般に初めて開放するようになったのは居昌国際演劇祭の開催が契機でした。毎年開催される居昌国際演劇祭には数千人規模の人々が集いますが、実際にこれだけ大勢の人々を収容できる場所が居昌にはあまりありませんでした。そのため居昌郡はこの韓屋の持ち主であるパク女史に掛け合い、村の伝統を多くの人々に知ってもらい、同時に質の高い韓屋を体験できる機会を提供できる韓屋ステイをやってみてはどうかと提案したのでした。この提案を快諾したパク女史はすぐさま4間ほどの広さだった舎廊チェを改築、より広々した空間を確保し、また同時に最新式の洗面施設を導入するなどきれいで便利な韓屋にリモデリングしました。特に寝具には神経を使い、名品古宅にふさわしいできるだけ快適できれいなところにお泊りいただきたいというパク女史の思いが反映されています。 猿鶴古家は古から現在に至るまで代々、富と権威を持つ名声高き家柄の家でした。パク・チョンジャ女史の義父・慎道晟(シン・ドゾン)先生は国会議員や統一部長官を歴任、夫である慎渭範(シン・ウィボム)先生は学校法人理事長などを務め、両名とも信任と徳を重ねた人物でした。 母屋、舎廊チェ、中門チェ、庫間チェ、高柱の大門、後門などこの韓屋にある全てで7棟の建物にはこのような主人の富と名望がそのまま具現されています。舎廊チェや母屋は雄大な入母屋造りとなっており、特に30坪ほどの広さを誇る舎廊チェの建物は大きな大梁と丸い礎石を用いています。また王宮や寺院建築で見られる高価な装飾もあり、歴史的価値も高いものとなっています。 また、この古家は風水地理学的にも珍しい明堂、つまり大変縁起のよい場所に位置し、今後400年間はその運気が湧き上がり、子孫みなが平和と安寧を享受できる場所だということです。常に祖先に感謝しているというパク女史はこのよい運気が一族ばかりでなく猿鶴古家を訪れる人々にもあまねく及ぼせばこの上ないと語っています。 自然の中で演劇を鑑賞し、すばらしい運気が湧き上がる名品古宅に立ち寄り、韓屋の閑静な趣を感じてみるのはいかがでしょうか。


全羅南道(長興郡 )

正南津長興東洋市場は全国初の週末市場で農水産物及び韓牛、その他工業製品などを扱っています。また市場内にある常設舞台ではさまざまな公演も開かれ、手頃な買い物と豊富な見どころなどが自慢の観光型伝統市場です。


慶尚北道(奉化郡 )

# 慶尚北道奉化郡奉化邑にある奉化(ポンファ)南湖(ナムホ)旧宅は、慶尚北道文化財資料第385号に指定されている朝鮮時代の故宅です。1876年に金蘭永(キム・ナニョン、雅号は聾山)が建て、彼の息子である金賚植(キム・レシク、雅号は南湖)が暮らしました。金賚植は、大韓民国臨時政府に軍資金として全財産を提供し、勲章を受章しました。他人と国を想う先人たちの心は、今も受け継がれています。完成後140年も経つ南湖旧宅は、当時も高級とされていた建材で建てられており、変形した跡がほとんど見られません。代々大事に守られてきたこともあり、伝統的な韓屋の美しさがそのまま残っています。特に、ソスル大門(屋根が一段高く作られた門)からは、思わず頭が下がるような荘厳さが感じられます。四季折々の花で彩られる庭園や垣の下の花壇が、韓屋の美しさをより際立たせます。古木の香りを感じながらくつろげる素敵な宿です。2016年には、伝統韓屋に宿泊されるお客様の利便性を高めるために、現代式の共用トイレを設けました。広々とした庭には投壷、チェギチャギ、板跳びなどが楽しめるスペースがあり、伝統遊びが体験できます。近くの鉄道駅である奉化駅(嶺東線)までは徒歩15分で、町に市内バスの停留所もあるので、移動の際に便利です。


全羅南道(木浦市 )

2012年に完工した木浦大橋(モッポテギョ)は、全長4,129m、幅35m~50mの往復4車線の車道があり、木浦北港と高下島(コハド)を結ぶ橋梁です。 夕方になると飛翔する鶴の翼のように美しい木浦大橋と夕陽があいまり、素晴らしい風景となります。 木浦大橋は、木浦市内を走る国道1号線の自動車専用の橋梁で、木浦市内の陸地側・竹橋洞(チュットドン)と儒達洞(ユダルドン)、高下島、そして今では高下島と陸続きとなっている許沙島(ホサド)を結び、木浦新外港や西海岸高速道路とつながる木浦の交通の要所です。 主塔と斜張橋のケーブルの形は、木浦の市鳥となっている鶴が二匹、木浦の海に飛んで行く姿を形状化したものです。


全羅北道(茂朱郡 )

1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときにソウルの春秋館を始めとした全国の史庫が焼失し、春秋館を除いた鼎足山・太白山・妙香山・五台山などに新しい史庫を設置することになりました。1614年に天恵の要塞として知られた茂朱の赤裳(チョクサン)山に実録殿を建てて妙香山の実録を移し、1641年には璿源(ソンウォン)閣を建てて王室の族譜である『璿源録』を保管していました。後に日本により史庫が廃止されるまで、300年以上国家の貴重な国史を保存してきた韓国5大史庫の一つで、全羅北道記念物第88号に指定されています。 この史庫跡は残念ながら赤裳揚水発電所ダムが建設されて水没し、安国寺とともにダムの上側に移転を余儀なくされました。赤裳山は四方が切り立った岸壁で、絶壁周辺にはカエデの木が多く、秋には山全体が赤いスカートを履いたように見えることから「赤裳山」という名前が付きました。