忠清南道(保寧市 )

第16回武昌浦神秘の海割れ祭りが2015年8月14日(金)から忠清南道保寧市の武昌浦海水浴場で開催されます。このお祭りは、潮が引くと武昌浦の浜辺から石台島までの約1.5キロに道が現れ「現代版モーゼの奇跡」と人気を集め毎陰暦15日と大晦日の干潮に合わせて開催されています。芸能人の公演、たいまつ漁業体験など様々な見どころと、魚手づかみ体験、潮干狩り体験、マテ貝の身釣り体験など多くの体験イベントが味わえます。


慶尚南道(咸陽郡 )

1967年12月29日韓国初の国立公園に指定された智異山(チリサン)は全羅南道、全羅北道、慶尚南道の3つの道と南原市、求礼郡、河東郡、山清郡、咸陽郡の5つの市郡にまたがる大規模な国立公園です。面積は483.022平方キロメートルで、22ある国立公園のうち最も広い面積を誇る山岳型国立公園となっています。慶尚南道エリアには双磎寺、大源寺、内院寺、法界寺、七仏寺、実相寺などの寺を含め、滝や渓谷といった観光資原が豊かであり、特に咸陽エリアでは七仙渓谷、韓信渓谷が有名です。


京畿道(金浦市)

*金浦の地の果て、愛妓峰* 民間人統制区域にあり、韓国戦争(朝鮮戦争)当時、南北が激しい戦闘を行ったといわれる154高地です。出入規制があるため、入山には身分証が必要です。愛妓峰の頂上からは、北韓の村や松嶽山が一望できます。 *愛妓と国家分断の悲しみが根付く場所* 愛妓峰には、丙子胡乱の時に平壌監司とその愛妾である愛妓との悲しい恋物語が伝えられています。 愛妓峰という名前は、丙子胡乱で連れ去られた平壌監司を、山の頂上で偲び、絵を描きながら死んだ妓生愛妓の無念が渦巻いていることから名付けられました。そして、1968年に愛妓峰を訪れた故・朴正煕大統領が、愛妓の無念、そして家族や故郷を失い故郷に帰れない民の無念を想い、「愛妓峰」と書き残しました。そのためでしょうか、毎年秋夕の時になると、家族や故郷を置いてきた離郷の人々がここ望拝壇を訪れ、先祖を祭って統一を祈ります。 *漢江河口の歴史をひと目で* 民族の無念と統一祈願が宿る愛妓峰は、近年の漢江河口の歴史や文化の学習の場として脚光を浴びるようになりました。400kmを流れて西海(塩河[ヨムハ])に出会うという祖江(漢江の河口の名称)は、400kmを流れてきた漢江の水が淡水としての生を終え、老いたという意味と、おじいさんのように安らかな川を意味しています。実際、愛妓峰から眺める祖江は、とても安らかな姿を見せてくれています。また、北韓を流れる臨津江や遠く礼成江、川と海が一緒になった塩河江、まん中にぽつんと浮かぶ渡り鳥の生息地、留島まで、漢江河口の歴史と文化が詰まっており、祖江の満潮に合わせてソウルに上がる船の黄色い帆柱の姿が目に浮かぶようです。 金浦半島最北端、西部前線の首都圏郊外にあり、北韓を見渡すことができる所でもあります。毎年クリスマスになると、大型クリスマスツリーが、釈迦誕生日になると、大型の提灯などが飾られ、北韓まで明るい光を灯しています。今では展望台が建てられ、国民の安全保障教育の場として活用されるようになりました。故郷に帰れない人々のために、1993年には望拝壇が立てられました。海兵隊の闘魂が宿った戦跡地としても有名です。愛妓峰観光および見学の収益金は、在郷軍人会による報勲基金として全額活用されています。 *出入りの手続きについて 1)車のみ検問所の出入り可能(徒歩、自転車等は不可) 2)代表者1名が出入申告所で申込書1部を作成、身分証を持参して検問所確認後、出入り可 3)外国人訪問時(適性国家の国民は除外)パスポート持参 *観覧内容 1)望遠鏡および観覧鏡を利用して北韓の観光名所を観覧 2)金浦地区の海兵隊戦跡碑記念塔観覧 3)海兵隊関連VTR視聴(講堂-300席) 4)愛妓峰ブリーフィング実施(1~2日前に予約時可)


慶尚南道(昌原市 )

馬山駅は、ソウル、釜山(釜田駅)、順天(木浦)方面への各種便が運行されている駅です。2010年12月15日からは、ソウル駅まで乗換なしで行くことができるようになりました。


ソウル(鍾路区)

40年の歴史と伝統を持つソウルを代表するイベント「ソウル演劇祭(Seoul Theater Festival)」は演劇発展のための創作劇開発を目標とし、1977年に「大韓民国演劇祭」としてスタートしました。2017年からは創作から翻訳まで、初演から再演まで作品の領域を拡大し、完成度の高い優れた作品を観客に披露しています。


全羅北道(淳昌郡 )

淳昌邑白山里の伝統コチュジャン民俗村の前にある醤類博物館(ジャンリュ・パンムルグァン)は、コチュジャンやテンジャンなどの醤(ジャン)類を展示した常設展示場をはじめとし、郷土文化遺産を展示した企画展示室、屋外広場などから構成されています。常設展示場には、醤類の歴史や醤を漬ける方法、醤類の容器の展示や、発酵過程観察室など各種体験および遊びの空間もあります。特に、野外広場には醤類の入った甕などを並べて置いておく高台や、ひき臼をひく水車や百済時代の古墳などがあります。


大田広域市(西区)

韓国の中心部大田市に位置する「イアンレジデンスホテル」は大田初の生活宿泊型レジデンスホテル。長年の経験をもとに、出張による長・短期滞在、旅行客、外国人など、各利用客のニーズに合わせたサービスを提供するとともに、我が家のように気軽に便利に過ごせるよう充実した付帯施設とサービス施設を取り揃えている。大田市の中心部の屯山洞に位置し、近くに市庁、裁判所、警察署、大型病院、デパート、大型マートなどがあり、ビジネスマンにとっても一般人にとっても便利な所だ。


慶尚北道(奉化郡 )

清涼山道立公園(チョンニャンサン・トリプコンウォン)は昔から高僧と文人が留まった地域。この山は奇岩絶壁が12峰を成し、洛東江が山を囲むように流れています。新羅(57B.C.-A.D.935)の文武王(文武王在位661-681)3年(663年)に元暁大師(元曉大師617-686.3.30)が建てた清涼寺を始めとする寺院や庵、寛倉の滝など数多くの見所があるところです。 清涼山道立公園の岩石の後ろには朝鮮時代の有名な学者・退溪李滉(1501-1570)の「清涼山歌」の詩碑があります。 退溪が儒学を教えた学校である陶山書堂(トサンソダン)を建てる時、この清涼山に建てるか、現在の陶山書堂の位置に建てるか最後まで悩んだとされています。 清涼山は退溪李滉だけではなく新羅時代の僧侶である元暁義湘(625-702)や名筆家・金生(711-791)、学者・崔致遠(857-?)などが訪れ修行した山。そのため彼らにまつわる話が数多く残っており今でも彼らを慕う人々が訪ねてきます。 文化財としては清涼寺と応真殿、また退溪が文人達と講論した場所に弟子が建てたという吾山堂や高麗・恭愍王(在位1351-1374)が紅巾的の乱(農民反乱)の際に作られたという清涼山城などがあります。