全羅南道(木浦市 )

2012年に完工した木浦大橋(モッポテギョ)は、全長4,129m、幅35m~50mの往復4車線の車道があり、木浦北港と高下島(コハド)を結ぶ橋梁です。 夕方になると飛翔する鶴の翼のように美しい木浦大橋と夕陽があいまり、素晴らしい風景となります。 木浦大橋は、木浦市内を走る国道1号線の自動車専用の橋梁で、木浦市内の陸地側・竹橋洞(チュットドン)と儒達洞(ユダルドン)、高下島、そして今では高下島と陸続きとなっている許沙島(ホサド)を結び、木浦新外港や西海岸高速道路とつながる木浦の交通の要所です。 主塔と斜張橋のケーブルの形は、木浦の市鳥となっている鶴が二匹、木浦の海に飛んで行く姿を形状化したものです。


京畿道(広州郡)

京畿道広州市昆池岩の近くにある牛頭クッパの専門店として、マニア級の常連客が多いことでも有名な飲食店です。週末には1時間は待たなければいけないほど有名なお店です。待つときに配られる小さいしゃもじ型の番号札が印象的です。なお、準備した量がなくなり次第終了なので、早めに閉店する場合もあります。


ソウル(中区)

大韓民国臨時政府ソウル連通府(聯通府)跡は、1919年、中国・上海に樹立された大韓民国臨時政府が国内と連絡を取り、国内行政を担当するため秘密裏に組織された大韓民国臨時政府直轄のソウル連通部(ヨントンブ)があった場所です。 現在はソウル特別市中区(チュング)巡和洞(スナドン)にある同和(トンファ)薬品の旧社屋前に石碑が残されています。


ソウル(城東区)

ENTER6往十里駅店はヨーロッパの街並みをテーマに、6つの特色あるアベニューで構成されたテーマパーク型ショッピングモールです。


京畿道(平沢市 ) , 平沢

15年の歴史を持つ店で、ふぐ料理の国家資格を持つシェフが料理を作っています。 おすすめはふぐちりです。京畿道のピョンテク市に位置した韓食専門店です。


全羅南道(康津郡 )

『全羅南道の秘宝、康津のチョンジャコル・チョンガチプへようこそ!』 全羅南道康津に隠れた宝石のような韓定食の名店、チョンジャコル・チョンガチプをご存知でしょうか?こちらのお店は、伝統的な韓国家屋を4年かけて丹念に再現し、その美しい庭園とともに、訪れる全ての方々を時の流れから解放する特別な空間を提供しています。 『伝統とモダンが織りなす至極の料理体験』 店内に一歩足を踏み入れれば、まるで高貴な歴史の中の人物となったかのような感覚に浸れます。康津の独特な潮の香りを感じることができるヌマエビやニシン、ハマグリの塩辛は、他では味わえない地域限定の逸品。さらに、茹で豚肉やウナギ焼き、ボラの卵、カキチヂミなど、多彩な料理が皆様の舌を楽しませます。 『#韓国旅行 #全羅南道グルメ 必食の韓定食体験!』 そして、そのすべての料理が、美しい庭園の景色と共に味わえるのです。梅と大根の漬物など、伝統的なサイドメニューも豊富に取り揃えています。この経験は、韓国への旅行の際に絶対に見逃せないもの。一度訪れれば、きっとその魅力に取り憑かれること間違いなし! 『今、最もホットな康津のグルメスポットへ!』 日本からの旅行者にも大変人気があり、SNSやブログでも大絶賛のこの場所。次回の韓国旅行の際は、康津のチョンジャコル・チョンガチプをお忘れなく!予約はお早めに!


全羅南道(莞島郡 )

莞島(ワンド)武陵桃源(ムルンドウォン)韓屋チプは4室の客室がある韓屋タイプのゲストハウスです。この辺りは四方が海に囲まれており、素晴らしい自然景観が望めます。莞島武陵桃源韓屋チプの建物には昔ながらの建材である黄土と藁が使われており、一晩泊まるだけでも体が軽くなり、頭がすっきりします。


京畿道(坡州市 )

伴鴎亭(パングジョン)は、高麗時代末期から朝鮮時代第4代の王・世宗(セジョン・即位1418~1450年)の治世に至るまで、長きに渡り王を輔弼し89歳という長寿を全うした清廉潔白な官吏・ 黄喜(ファン・ヒ=1363~1452年)が晩年、官職を退き、故郷に戻り、鴎を友とし過ごした、臨津江(イムジンガン)下流の絶景の場所に建てられた亭子(東屋)です。そのすぐそばの少し高くなった場所には六角屋根のもうひとつの亭子・仰止台(アンジデ)もあります。 南北分断の現実を実感できる鉄条網が伴鴎亭のある丘と臨津江の間を遮り、また陽が落ちる頃になると寂しさと美しさが共に感じされるそんな場所が伴鴎亭です 朝鮮時代中期の文臣で学者でもあった許穆(ホ・モク)の『伴鴎亭記』ではこの場所を「朝汐の時になると白い鴎は川上へ群れをなし集まり、砂原はいっぱいとなる」と描写しています。 1452年、黄喜がこの世を去り、黄喜の遺徳を称えるため建てた厖村影堂(パンチョンヨンダン)や祭祀を行う景慕斎(キョンモジェ)が同じ敷地内にあり、臨津江を眺める黄喜の銅像も立っています。 また慶尚北道(キョンサンプクド)尚州(サンジュ)にある玉洞書院(オクトンソウォン)や全羅北道(チョルラプクド)長水郡(チャンスグン)にある滄渓書院(チャンゲソウォン)でも同じように黄喜を祀る祭祀を行っており、黄喜の墓は伴鴎亭から同じ京畿道北部にある汶山(ムンサン)の方へ向かった京畿道(キョンギド)炭県面(タンヒョンミョン) 金縄里(クムスンニ)の山の稜線にあります。 黄喜は左遷、罷免、配流など数々の苦難に遭遇しながらも、60年にわたる官職を貫き、法律や制度の整備、世宗大王のハングル創製に尽力するなど太平の御代を打ち立てる偉業を成し遂げました。 この場所とは異なりますが、同じように鴎を友とするという名称がついた亭子・狎鴎亭(アックジョン)もソウルの漢江(ハンガン)縁に建てられ、世宗大王の時代の文臣・韓明澮(ハン・ミョンフェ)が自らの号を取って狎鴎亭と命名しました。 現在ではその亭子は姿を消し、地名のみが狎鴎亭洞という形で残っており、その跡地は現在のソウル特別市江南区狎鴎亭洞にある現代(ヒョンデ)アパート11棟の裏手付近に当たります。


忠清北道(清州市 )

* 災いを救った幢竿、龍頭寺址鉄幢竿 * 1962年12月20日、国宝第41号に指定された清州(チョンジュ)龍頭寺址(ヨンドゥサジ)鉄幢竿(チョルダンガン)。 花崗石で作られた基礎となる支柱は高さ4.4m、その上に立てられた鉄幢竿の高さは12.7m、繋ぎ合わされた鉄幢竿ひとつひとつを構成するそれぞれの鉄筒の高さは63cm、鉄筒の直径は40cmとなっています。 幢竿(タンガン)は寺で祈祷や法会などが行われる際に掲げる旗・幢を挿す柱のことをいいます。 新羅時代以降、寺を建立する時にはこの幢竿が数多く設置されましたが、現在ではほとんどの場合、石で作られた支柱を残すのみとなっており、旗を挿す部分の幢竿は無くなってしまっています。 鉄幢竿としては宝物第256号・公州(コンジュ)甲寺(カプサ)の鉄幢竿や京畿有形文化財第39号・七長寺(チルジャンサ)幢竿、そしてこの龍頭寺址鉄幢竿の三つを残すのみとなっています。 幢竿の支柱は花崗石で作られ、二つの支柱が向かい合って立っています。その間に円筒形の20の鉄筒を縦につなぎ合わせ鉄製の幢竿を作り、立てました。 石造りの二つの支柱の外側の中央には縦にくっきりとした線を刻み込み、単調にならないように変化を与えたデザインとなっており、また支柱の一番上には幢竿を固定する仕掛けを設け、幢竿がゆれないよう工夫が凝らされています。 特に鉄幢竿の下から三つ目の鉄筒に鉄幢竿を立てた経緯やその過程が刻まれています。 この銘文によれば962(高麗光宗13)年に建立され、元々幢竿は30の鉄筒を繋げて作られていたということです。 * 龍頭寺址鉄幢竿にまつわる言い伝え * 鉄幢竿にはこんな逸話が後世に伝えられています。 その昔、清州は洪水が頻繁に発生し、庶民が度々被害を被っていました。そんなある日、とある占い師が大きな帆柱を立てれば、このあたりが船の形になり災難を逃れることができると語り、その言葉をきいた人々は帆柱の役目を果たしてくれる幢竿を立てました。 すると立てるやいなや、それ以降清州の町を洪水が襲うことはなくなりました。この時から人々は清州を舟城(チュソン)と呼ぶようになったといいます。


慶尚南道(巨濟市 )

巨済観光モノレールは、ただ単に見る観光から楽しむ観光へと脱皮し、モノレールに乗って車窓から他では味わえない巨済(コジェ)の素晴らしい風景を楽しめる最先端オールシーズン型の観光モノレールです。巨済の美しさや韓国戦争(1950~53年・休戦)の歴史の舞台となったここ巨済島捕虜収容所跡地の姿を実感できるのがこの巨済観光モノレールです。