忠清南道(論山市 )


江原道(麟蹄郡)

内雪岳のもっとも深い所に位置した伽倻洞渓谷(カヤドン・ケゴク)は雪岳山のほかの谷に比べてゆるやかで静かなうねりが美しい所です。 伽倻洞渓谷に行く道は、水廉洞待避所裏側から出ている小道を入っていきます。30分ほど上がると谷左側に五歳滝が流れ込む水流があって、その前に伽倻洞の関門となる垂直岩壁の天王門が谷の両わきに立っています。その高さは40mに達します。天王門を通ると天王滝に出る。天王滝から1kmほど上には臥竜蓮がある。臥竜蓮の上にはノロクパウィ(盤石)があります。そこからもう少し上れば四つ辻に出て、五歳庵に至る昔の道が左側、右側は鳳頂庵に至る道です。谷の姿を一目で見たければ五歳庵に行く道で万景台を通って行くのがよく、谷を上り続ければすぐムノミ峠に出ます。ムノミ峠では恐竜稜線と千仏洞渓谷に行く道が分岐します。雪岳山大青峰に上がるならヒウン閣待避所を通って小青峰と中青峰の方に行かなければなりません。 伽倻洞渓谷は道はよく整備されていますが、案内板がなくてまだ手すりも置かれていません。そのため訪れる人が多い千仏洞谷に比べるとひっそりとした山と景色が楽しめます。  


全羅南道(和順郡)

天恵の自然がそのまま溶け込んでいる秀麗な景色と清浄な空気が自慢の和順の道谷温泉地区に位置する道谷スパランドは、アルカリ性の天然温泉水がわき、純粋な温泉水を客室の中でも、楽しむことができる。 サウナと水泳場、チムジルバン(蒸し風呂)が整っており、単純な宿泊施設でなく最高のレジャータウンとして家族のみんながいっしょに、水遊びができる最高のサービスを提供する。 周辺の観光地としては雲住寺と支石墓公園あり、黒豆腐で作った料理や韓定食などを味わうことができる。


慶尚北道(慶州市 )

慶州市にある瞻星台(チョムソンデ)から徒歩1分のところにあるナドゥル韓屋は、2018年に新しくオープンしたばかりの宿泊施設です。環境に優しい伝統韓屋の建築様式を可能な限り用いており、木や土などの自然の素材に癒されるだけでなく、コの字型の建物が安心感を与えてくれます。さらに八作屋根と瓦が織りなす曲線は、伝統韓屋の悠々たる美を感じさせます。ナドゥル韓屋には全7室の客室があり、このうち「カラム」・「カヨン」・「ヌリ」のお部屋は50,000ウォン(2名様、閑散期)と、お手頃な料金で韓屋を体験できます。すべての客室にはトイレ兼浴室が付いており非常に便利で、客室ごとに温度調節ができるため、常に快適に滞在できます。宿泊者に無料で提供される朝食も、健康的な食材を使った手軽なメニューで好評です。メニューはもち麦パン、フルーツ、コーヒー、ジュース、ゆで卵、ビスケットなどで、都合によって変更されることもあります。朝食は午前8時から9時の間のご希望時間を前もって伝えておけば、部屋の前まで運んでくれます。 ナドゥル韓屋は近くの有名な観光地まで歩いて移動ができるのはもちろん、宿のそばにコンビニエンスストア、ファストフード店、レンタサイクル、韓服レンタルショップなどもあり、さらに便利で楽しい旅ができる嬉しい宿です。


釜山広域市(海雲台区)

海雲台市場に位置する「サングギネ」は、もちもちとしたトッポッキ(米もち使用)と釜山練り天の真髄を味わうことができるお店です。


江原道(江陵市) , 江陵

一緒に提供されるテンジャンチゲの味は絶品です。代表的なメニューは豚カルビです。江原道のガンヌン市に位置した韓食専門店です。


ソウル(江南区)

「国際茶文化大展(クッチェチャムナデジョン)」は、気軽にお茶を飲み、皆でお茶文化を楽しめる、生活圏での茶文化形成を目指した茶文化祭りです。多様な茶文化イベントを実施することで、茶産業への国民の関心を高め、底辺拡大に貢献し、5万人にのぼる参加者に韓国のお茶を紹介することを目的としています。安全で衛生的なお茶を選別し、幅広い情報提供や消費者への信頼アップを実現するとともに生産・消費・流通の整備に取り組んでいます。


忠清北道(提川市 )

「徳周寺(トクチュサ)」は、大韓仏教曹渓宗第5教区の本寺である法住寺の末寺です。新羅真平王9年(586年)に創建されたと伝えられていますが、創建者と確かな年代は不明です。言い伝えによると、昔は月蛍山月岳寺だったということです。また、新羅最後の公主(姫)である徳周公主が麻衣太子の一行とここに立ち寄った際、寺を建てて名を徳周寺とし、谷の名称を徳周谷としたと言われています。当時の寺院は、宝物第406号・徳周寺磨崖仏の前に建てられましたが、6・25戦争(朝鮮戦争)で壊れてしまいました。現在の建物は元々の寺址から1.7キロメートルほど離れた所に1970年に再建されたものです。寺の入口に男根石があることから、ここが男児を好む信仰が込められたところだったことがわかります。その他、西側の山の下には4基の浮屠と長台石があります。 6.25戦争により焼けた後、1963年に智岩和尚が5間の因法堂を、1985年に性珠和尚が現在の法堂を再建し、高麗時代につくられた薬師仏を忠州ダムに水没した寒水面駅里からここに移しました。上徳周寺はここから東方の渓谷に1.5キロメートル上がった山の中腹に位置しています。 磨崖仏保護前室、牛公塔、三層石塔、寮舎棟などがあった中原一の寺院でしたが、1951年12月戦禍を被り廃寺となり、今は磨崖仏像、牛公塔、三層石塔だけが現存しています。お堂の建物は法堂と寮舎棟だけとなっていますが、いつの時代のものか確かでない牛塔1基と朝鮮時代の浮屠が4基あります。この牛塔には次のような伝説があります。その昔、寺の僧侶が多くなり、寺が狭くなったため、新たに付属棟を建てようとしたところ、突然大きな雄牛一頭が現われ、木材をどこかに持って行ってしまいました。牛の後をついて行ってみると現在、磨崖仏がある岩の下でした。そのため、そこに寺をつくり、木材をすべて運んだ雄牛が死んだところには牛塔を建てたというものです。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

済州オルレ7コースにあるトムベナンキルは奇岩絶壁に樹木が鬱蒼と生い茂っている森、虹島と鳥島、南西にある虎島が美しく広がっている所にあります。トムベとは済州の方言で「まな板」ナンは「木」のことをいい、昔はマナ板のような広い葉の木が多かったことから名づけられました。