忠清南道(錦山郡 )

全羅北道長水郡長水邑水分里トゥン峰を水源地とする錦江は、北側に流れた後、チャンナムに入ると東南側に曲がり、西側の忠清南道錦山郡富利面方宇里に流れ込みます。ここから岩の絶壁からなる山間を抜けて水桶里に至ると、左手に広く奇岩からなる絶壁が広がります。この絶壁の山を赤壁と呼び、その下を流れる錦江を「赤壁江」と呼びます。


慶尚北道(尚州市 )


慶尚南道(固城郡 )

慶尚南道固城郡(コソングン)にあるプリンスホテルは、ヨーロッパ風に作られたホテルで南海(ナメ)に隣接しています。 全35室の客室はプレミアムルーム、ファミリールーム、オンドル部屋、スタンダードルームに別れています。 客室は広々としやすらぎを与える部屋で、特にベッドが大きく快適にお休み頂けます。 附帯施設としてゴルフ練習場やノレバン(カラオケ)があり、無料で余暇を楽しむことができます。ホテルの前には南海の海岸の絶景を楽しむことができる固城南山登山路があり、30分~1時間ほどのコースを散策することも可能です。 近くには唐項浦(タンハンポ)観光地、固城恐竜博物館、床足岩郡立公園などがあり、家族連れの旅行にも最適です。  


全羅北道(群山市 )

* 日本強占期に建立された寺院、東国寺 * 東国寺(トングクサ)は1909年から群山(クンサン)で布教を始めた曹洞宗の日本人僧侶・内田仏観(善応仏観)が1913年に建立した寺です。 日本強占期(1910~45年)の間、日本人の住職によって寺は守られてきましたが、1945年8月15日、日本の植民地支配から解放される日を迎え、大韓民国の懐へ戻ってきたという苦難の歴史を持つ寺です。 東国寺は韓国に残された唯一の日本式の寺で、大雄殿と寮舎の建物が渡り廊下でつながっているのが特徴です。 韓国の伝統家屋に見られる原色鮮やかな丹青(タンチョン)で彩られた韓国の寺院とは異なり、装飾がない軒や大雄殿の側面には多くの戸があり、日本的な雰囲気を醸し出しています。 東国寺は曹渓宗第24教区・高敞(コチャン)禅雲寺(ソヌンサ)の末寺に当たります。 東国寺の大雄殿は2003年7月、国家指定登録文化財64号に指定されました。 東国寺の元々の名称は錦江禅寺(錦江寺)と言われていました。この錦江禅寺は1909年、内田仏観という日本人僧侶が群山に布教所を開設し創建した曹洞宗の寺でした。 日本の仏教は1877年、釜山(プサン)の開港とともに、日本政府の要請により流入してきました。 一番最初に浄土真宗大谷派が布教を開始し、1904年群山にも布教所を開設し、日蓮宗が続きました。 日本の仏教が韓国に進出した理由ですが、純粋な仏教布教が目的ではなく、韓国を日本に同化させようとした日本政府の意向をそのまま反映したものと言われています。 その後、朝鮮総督府は日本の仏教を普及するため、1911年6月3日付で寺刹令も発布しています。 寺刹令を契機に、日本の仏教界は全土に別院・出張所・布教所などを設立しました。 錦江禅寺が建立される前、群山には本願寺、群山寺、安国寺がすでにありました。錦江禅寺を創建した内田仏観は布教を始めた1909年当時、すでに77歳の高齢で、群山地域を布教活動している途中、群山の一条通りにあった家屋を借り、布教所を開設しました。1913年7月に現在の場所に移り、現在の東国寺の建物を新たに建立しました。 * 東国寺の意義 * 東国寺は日帝強占期に建立された寺です。日帝強占期に建てられ現在まで残っている日本式の寺はすべて壊され、唯一残っているのが東国寺です。特に、東国寺大雄殿は2003年登録文化財第64号に指定されました。


全羅南道(海南郡 )

駕鶴山自然休養林(カハクサンジャヨンヒュヤンニム)は、手付かずの自然が残る森と渓谷の中に位置しています。毎年5月になると駕鶴山(カハクサン)の稜線に美しいツツジが咲き、ツツジ大祭典が開かれており、また、アカシデの群落もあります。近くの渓谷には2ヶ所の湖があり、素晴らしい景色が望めます。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

「シボンチッ」は49年伝統の豚肉の専門店で、肉を、煉炭に素焼きして油ぽっくない肉の味を感じることができます。自家製の麻薬ソースにねぎと一緒に肉を撮って食べると、その味が逸品。辛い豚足も人気のメニューです。