慶尚南道(巨濟市 )

慶尚南道巨済市長承浦に位置した巨済島ビーチホテルは、長承浦港がすぐ前に広がる所に位置している。 海辺の絶壁に位置したビルで客室でも長承浦港の全景と奇岩絶壁の岩が屏風のように広がっている。 特に冬期は客室での日の出を鑑賞することができる点が長所だ。 客室は広くてきれいな方し、基本的な備品が備えられており、落ち着いたとんぼを提供する。 ホテルで一緒に運営する和食レストランである宋同月と正統派様式レストランのエルパソでは清々しい展望と親切なサービスを提供する 長承浦旅客ターミナルが近いため、外島海上公園と巨済海金剛などを遊覧することができ、 巨済島捕虜収容所遺跡公園と巨済自然芸術ランド、風の丘、学童モンドルの海水浴場など付近に有名観光地が位置している。


忠清南道(礼山郡 )

朝鮮時代末期の代表的な実学者であり、書道家でもある秋史・金正喜先生の生家である秋史古宅は、秋史の祖父の父である金漢藎が建てたといわれています。秋史古宅の敷地面積は266.11m²(80.5坪)で、建物は正門脇の棟、鉤形の居間棟、ロの字型の母屋、秋史先生の姿の描かれた掛け軸のある祠堂があります。居間棟には南側に1間、東側に2間のオンドル部屋があり、その他にも広い板の間や縁側があります。母屋には6間の板の間と2間の幅がある奥の間、板の間を挟んで奥の間の向かいにも部屋があります。他にも秋史先生の墓や、金漢藎とその夫人・和順翁主の合葬墓、和順翁主烈女門(紅門)があります。また秋史古宅から北に600mほど行くと天然記念物第106号の白松が生えています。中国北部地方が原産地で、韓国に数本しか生えていない希少種です。礼山の白松は、秋史先生が25歳のとき、清の燕京から帰国する際に白松の種を筆軸の中に入れて持ち帰り、祖父の祖父にあたる金興慶の墓の入口に植えたもので、元々は下から50cmほどのところから新しい幹が育っていましたが、西側と中央の二つの幹が折れ、東側の幹だけが残っています。1980年に幹の傷んだ部分は補修され、その後は徹底して保護・管理されています。


京畿道(高陽市) , 一山

京畿道高陽市に位置したホテル・サイバーは名前のように全客室に超高速インターネットが構築されているサイバー環境がよく造成されたホテルである。 都市的な雰囲気の外観は強烈な印象を与え、各客室も個性溢れるインテリアで差別化されている。 天井と壁などの内部のインテリアは高品格で、素敵な家具や寝具は落ち着いた雰囲気を漂わす。 またジェットバスが設置された広くて高級なお風呂を完備して心身の疲れを癒しリラックスして休息を取ることができる。 客室はすべてベッドルームでインターネットができるPCなどの備品もよく備わっている。 KTX幸信駅から徒歩で2分の距離にある。


仁川(江華郡) , 江華島

江華島の西側の席毛島にある海岸です。約1kmの白い砂浜広がり、海水浴や西海の美しい夕日を見ることができる他、干潟体験もすることができます。潮が引くと姿を現す1kmほどの干潟では、貝、蟹などの干潟に生息する生物を観察できます。近隣にはオリュジョン港やチャンゴ港などがあり、船に乗って船釣りを楽しめ、新羅時代の善徳女王の頃に建てられたと言われる普門寺や磨崖石仏があることから、一年中観光客が絶えない場所でもあります。


江原道(太白市)

太白市は環東海圏域(ロシア、中国、日本)の国際的な高原観光都市として北側と東側は三陟市、西側は旌善郡、寧越郡、南側は慶尚北道の奉化郡と接した高原盆地型都市として隣接都市が勢力圏に含まれています。道路は嶺東及び中央高速道路とつながる国道31, 35, 38号線を通じて移動が可能で、鉄道は嶺東、太白線が連結されました。 白頭大幹の中枢である太白山脈の母山、太白山があり南半島の給水源である漢江、洛東江の水源でもあります。海抜1,567mの太白山から分かれた太白山、嶺東山岳の峡谷地帯は漢江、洛東江、五十川の3つの川が始まる場所です。太白は昼と夜の気温差がはげしく夏も日没後はひんやりしているため蚊がおらず、高山地域特有の気候条件により一年を通して過ごしやすく観光、休養、運動に最適です。


京畿道(広州郡)

京畿道広州市退村面は1970年からトマトを栽培し始め、全国的にトマトの生産地として有名な場所です。第13回目を迎える退村トマト祭りは、糖度が高く品質の良い有名なトマトを30%の割引価格で購入することができます。2015退村トマト祭りは、トマトを生産している農家と市民がひとつになって作っていくお祭りとして、トマトの販売、多様な公開イベント、エコ作文、写生大会と体験行事、トマト歌謡祭など多彩な行事が開かれます。アクセス方法は地下鉄2号線江辺駅から出発する13-2番バスに乗って退村面停留場で下車してください。所要時間は約1時間30分程度です。


江原道(旌善郡)

加里王山は海抜1,561mで上峰、中峰、下峰、青玉山、周王山を連ねる巨大な陸山で太白山脈の屋根の役割をしており、傾斜はなだらかで登山に適していると有名です。山の稜線は高山植物であるイチイ、チョウセンゴヨウ、イチョウ、ナラガシワ、斧折樺、白樺など各種樹木が鬱蒼としており、山蔘などの多くの山薬草が自生しています。檜洞里側の入口には自然休養林が造成され、各種便宜施設が設置されていて約7時間の登山路があります。宿岩方面の入口は約4km区間に渡りツツジが自生しています。晴れた日には頂上と中峰から東海の海を見渡すことができます。また、加里王山自然休養林は加里王山からも谷間が一番深い南側、渓谷のある全9,449ヘクタールの広大な面積が自慢の休養林です。休養林内には様々な施設がありますがその中でも渓谷に沿って造られている散策路には空が見えないくらい鬱蒼と木々が生い茂っていて、自然を満喫することができます。


全羅北道(茂朱郡 )

徳川書院は燕山君(1476-1506)の時代に戊午士禍(政治的迫害事件)で犠牲になった金馹孫を主壁とし、金馹孫の子孫である金致三、金ヒョンが祭られています。金宗直の弟子である金馹孫は師匠に似て正直な性格でした。 1498年に高宗実録を編纂した時、師匠の金宗直が書いた弔義帝文の史草に載せたことが燕山君に知られ死刑になりました。中宗反正(燕山君を廃位して中宗を新しい王に擁立した事件)以降、都承旨に追贈され文愍の忌み名がつけられました。 徳川書院は本来1919年雪川面斗吉里クサンマウル前の山の上に建てられました。1982年に雪川面所川里イナムマウルに移り、1993年に現在の位置に移され徳川書院となりました。境内には德川祠という祠堂と公徳碑が建てられました。