慶尚北道(青松郡 )

青松郡 府東面 梨田里にある注山池(チュサンジ)は、約270年前につくられた長さ100m、幅50m、水深7.8mというそれほど大きくない貯水池です。貯水池の周辺に生息する樹齢約150年のコウライシダレヤナギが穏やかで静かな雰囲気をかもし出しています。また、ここから渓谷に沿ってピョルバウィ(岩)まで続く登山路も美しい景観を誇ります。特に、キム・ギドク監督の映画『春夏秋冬そして春』の中で、現実世界とは思えないほどのまるで風景画のような美しい注山池の四季が撮影されてからはここを訪ねる人々が急増しています。


京畿道(楊州市)

松楸遊園地は高陽市と議政府市にまたがる国道39号沿いに位置しているため交通が便利で、首都圏住民たちが多く利用している公園です。プールや釣り場などの施設だけでなく敷地内の渓谷では綺麗な水が流れています。また近くの農園では季節に合わせいちご、梨、桃、ぶどうなどが収穫できます。国立公園松楸地域は雄大な自然と三段瀑布の景観が秀麗な場所だと言われています。


全羅南道(光陽市 )

智異山のふもとを縫うようにくねくねと流れる蟾津江(ソムジンガン)に沿って行くと梅の木が至る所に植えられている蟾津村(ソムジンマウル)があります。この村の農家では穀物の代わりに山と畑に梅ノ木が植えられ、毎年3月になると白く満開になった梅の花がまるで白雪が降りたような、白い花雲が谷に降りてきたような壮観をつくりあげます。この地域の澄んで暖かな空と風、立ち上る霧が梅の木の生育にちょうど良く、収穫量が一部落で年間100トンを超えるといいます。 ここの梅は智異山の山の背に残雪がまだところどころ残っている3月初旬頃からつぼみが芽吹きはじめ、梅の収穫は智異山のツツジが咲き誇る6月から始まります。 梅は他の花が冬の眠りから覚める前に花が咲き、夏に虫達が動き始める前に収穫されるため農薬いらずの果実です。梅の木の集団栽培を全国で一番初めに始めたチョン梅農園では1930年頃、キム・オチョン(栗山)先生という人が植えた樹齢70年の古木、数百本を含んだ梅の木畑になっており、梅を使った食品を作るのに使われる伝統甕壷2,000個が農園の後方に並んで竹林とともに雰囲気をかもし出しています。 また、農園から下ってみると蟾津江のしじみ採りの風景が見え、これも見事な景色です。蟾津村では梅の花が咲く毎年3月に梅花祭りが開かれます。


全羅南道(順天市 )

順天で約30年の伝統を受け継ぐ「一億兆会館」は全羅南道固有の味を味わうことの出来る韓定食のお店です。また、「一億兆会館」は順天郷校、玉川書院の近くにあります。


全羅南道(宝城郡 )

緑茶で有名な「宝城」にある栗浦海水浴場(ユルポ・ヘスヨクジャャン)は、1.2kmにもわたる砂浜に松の木が立ち並ぶ大変景色の美しい海水浴場です。小さな漁村でしたが、栗浦海水浴場や緑茶を求めて訪れる観光客が増加し、今では様々な施設が揃っています。海水プールと海水緑茶温泉があり、家族で訪れる避暑地に適しています。


全羅南道(麗水市 )

興国寺という名前からもわかるように「国家が栄えればお寺も栄える」という言葉通りに国の繁栄を祈願するために建立されたお寺です。麗水国家産業団地の近くにある霊鷲山の深い森に1195年(高麗時代)に創建した興国寺境内には大雄殿をはじめとし、円通殿、捌相殿などの文化財があります。興国寺大雄殿(宝物第396号)はピッサル門をつけて全部開放することができるようにしたことが特徴で、大雄殿の後仏丁書は宝物第578号に指定されていて興国寺の入口にある虹橋の立派な姿は宝物(第563号)の価値を遺憾なく見せてくれます。それ以外にも興国寺盧舎那仏掛仏丁、水月観音図、十六羅漢図など3点の宝物があります。興国寺は壬辰倭乱の時、境内に約300名の僧兵海軍が訓練をした場所として有名です。毎年4月初め頃から1ヶ月間は、興国寺大雄殿の後ろの海抜439mの霊鷲峰と510mの進礼峰に続く尾根全体がツツジの花で真っ赤に染まります。この時期に「霊鷲山ツヅジ祭り」が開催されます。 


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

スリム文化財団が主催する北村ミュージックフェスティバルは、文化芸術の底辺を拡大し伝統音楽をはじめとする多様な分野の若い芸術家の創作を支援する活動の一環として2012年から毎年9月に開催しています。今年は「空間、世代、音楽ジャンル」の垣根を越えて、北村という空間で新しい21世紀文化の継ぎ目を作ろうという目的で行われます。ソウル都心の北村にある韓国式家屋、ギャラリー、カフェなど様々な周辺空間をそのまま活用し伝統音楽創作、ワールドミュージック、ジャズ、クラシックなどの現代の音楽を聞くことができる音楽祭です。


京畿道(安養市)

サムウォンプラザホテル安養市内のショッピングメイン・ストリートのメッカにある新しいスタイルの一級ホテルで、ビジネスのための 最適の宿泊施設です。


仁川(江華郡) , 江華島

甲串墩台は1232年から1270年まで都を江華島に移し、蒙古との戦争で江華海峡を守っていた重要な要塞です。大砲8台が設置された砲台で、墩台は小さな規模の堡塁を作り、大砲を設置し守っていた所です。甲串墩台は1232年から1270年の間に都を江華島に移した後、1644年に設置された済物鎮(甲串鎮)に所属する墩台で、1679年に造られました。1866年9月、丙寅洋擾(1866年にフランス艦隊が江華島を侵略した事件)の時フランス極東艦隊が、600名の兵力を引き連れ、江華山城、文殊山城などを占領しました。同年10月にフランス軍は梁憲洙(ヤン・ホンス)將軍の部隊に撃退されました。1977年、補修・復元が行われ、現在の墩台の中に展示されている大砲は朝鮮時代のもので、海から攻めてくる外敵の船舶を砲撃していたものです。