江原道(麟蹄郡) , 束草・雪岳山

百潭渓谷は百潭寺から竜岱里に続く区間を指します。約8kmの区間には車道はありますが、一般車両の通行は禁止されています。百潭渓谷は雪岳洞側よりも静かで、渓谷の美しさが見る者を魅了します。この渓谷は雪岳の全ての渓谷の母親のような存在なのであり、「百潭」という名前の通り広くて深い沼が多くあります。雪岳山の最高峰である大青峰と馬等嶺を結ぶ稜線を中心に、西の地域は一般的に内雪岳と言われています。内雪岳は十二仙女湯渓谷、百潭、水簾洞、 伽倻洞、白雲洞などの渓谷を従えていて、その中でも百潭渓谷は小川のように幅が広く、長さも長いことが特徴です。きれいな岩盤と澄んだ水、周囲の鬱蒼とした森と柔らかな山肌が調和して、涼しげな百潭渓谷は百箇所の潭(水が溜まった深い所)があったとしてついた名称ですが、百潭渓谷の中心部にある百潭寺は 萬海・韓龍雲(1879-1944)の残っている寺として有名になりました。百潭渓谷上流につながる水簾洞渓谷も内雪岳を代表する美しい渓谷として有名です。大小の滝と沼が奇岩怪石と調和し絶景を織り成して、百潭渓谷~水簾洞~馬等嶺を越えて外雪岳につながる登山道はお勧めです。明け方に出発し、雪岳洞に到着したときの馬等嶺からの恐竜稜線は圧巻です。


慶尚北道()

「浦項九龍浦クァメギ祭り(ポハン・クリョンポ・クァメギチュッチェ)」は、九龍浦地域の特産物であるクァメギ(寒い冬に捕れた秋刀魚を潮風で乾かしたもの)やカニ、イカなどを広報し、観光客の誘致と地域経済の活性化を図るために開催されている祭りです。クァメギ祭りでは民俗遊びや国楽公演、無料試食会など、様々な文化を体験することができます。


慶尚南道(密陽市 )

慶尚南道、密陽市に昔から枾礼氷谷と呼ばれているオルムゴル(氷の谷)は天皇山の北側、高さ600~750mの谷、約29,752m²の地帯をいいます。天然記念物 第224号に指定されているオルムゴルは、大地の熱がだんだん熱くなる3月初旬から始まり暑さが過ぎ秋に差しかかる頃になると氷が溶け、岩の隙間の冷気が次第になくなります。反対に、冬にはそこから温かい風が出てくるといいます。この現象は冬の間続き、渓谷の水も凍りません。そのため密陽の4大神秘の1つになっており、特に他の観光地とは違って初夏から秋の終わりまでの時期に多くの観光客が訪れます。韓国で夏でも氷が解けない有名な氷の谷として知られているのはここ密陽の天皇山オルムゴルをはじめ、慶尚北道の義城郡にある氷穴(ピンヒョル)、氷渓渓谷、全羅北道 鎮安郡のヤンファ村にある風穴冷泉(プンヒョルネンチョン)、鬱陵島 羅里盆地のエアコン窟などがあります。


ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

辛いものが好きな韓国人の間で流行っている「麻辣料理」を提供しています。ソウル特別市のヨンドゥンポ区に位置した韓食専門店です。おすすめは麻辣湯です。  


忠清南道(礼山郡 )

礼山から北西に23キロのところに位置する忠義祠は、日帝強占期に独立闘士であった尹奉吉義士が生まれ、亡命するまで農村啓蒙と愛国精神の高揚に努めたところで、尹義士の義挙や愛国心を称えるために1968年に設立されました。毎年4月29日には尹義士の愛国心を記念して梅軒文化祭が開かれています。尹義士の貴重な遺品は記念館に展示されており、宝物第568号に指定され、保護されています。


慶尚南道(統営市 )

統営閑山大捷祭り(トンヨン・ハンサンデチョプチュッチェ) この祭りは世界4大海戦の一つである閑山島海戦(1592)での勝利を広く知らせ、記念するために始まりました。祭りの中で何と言っても一番の見所は「閑山島海戦」を直接再現したもので、海の真ん中で亀船(亀の形をした船)や倭船(日本の船)、大砲発射など、リアルな海戦を見物することができます。その他にも、祭りが行なわれる統営地域は、景観が美しく観光名所が多いだけでなく、海が近いため新鮮な海産物を思う存分味わうことができます。


全羅北道(金堤市 )

金堤(キムジェ)駅は、1912年1月11日、普通駅として営業を開始しました。金堤は稲の村とも言われており、地平線が見えるほどの広い穀倉地帯と韓国最古の水利施設「碧骨堤」を有し、米どころとして知られています。このような地域的特性が「金堤」という地名にも反映されており、秋に見られる黄金色の広い原野を象徴する「金」と貯水池を意味する「堤」で「金堤」とされました。  


ソウル(麻浦区) , 弘大

話題のラバチチチーズクリーム! KEEP THE CHEESE RUNNING! 豪華に溢れるチーズを存分に味わうことができる「ラバチチ」です。


慶尚北道(高霊郡 )


済州道(済州市 ) , 済州西部

双龍は黄金窟、昭天窟、双龍窟、万丈窟を合わせて済州島の代表的な龍岩洞窟です。洞窟の長さは約400m、広さ6m、高さ3m程度の規模で、250万年前の漢拏山一帯の火山の爆発によって形成されました。溶岩洞窟であり、石灰洞窟の特徴が複合された2次元的な洞窟であるという点が特徴でその一帯が砂と貝殻が混ざった層でできています。洞窟の内部は天井から突き出ている石鍾と地面からの石筍で神秘的な景観を演出してます。洞窟の壁面には石灰分がかぶせられていてまるでひとつの巨大な壁画が刻まれているような鬱蒼とした姿を見ることができます。洞窟内部の温度は年中17~18度を維持しており、夏には避暑地として冬には寒さをしのげる場所として脚光をあびています。双龍窟は左右両方に分かれていて、まるで龍2匹が洞窟の内部にいて外に出てくるかのような姿をしていることから双龍窟と言われています。双龍窟の第2入り口と挟才窟の最後の部分が隣接していて2つの洞窟はもともと1つであり、内部が陥没したことで2つの洞窟に分かれたと推測されています。挟才窟と同様、天然記念物に指定されています。