釜山広域市(江西区)

1958年8月に開港した水営飛行場が1976年8月に釜山市江西区大渚2洞に移転し、そのときに金海国際空港(キメグッチェゴンハン)と改称されました。金海国際空港は地域社会とともに発展を重ね、年間約1,000万人に利用されており、利用客のための旅行便宜施設も徐々に拡充されています。


慶尚北道(慶州市 )

2017貞洞(チョンドン)劇場-慶州(キョンジュ)世界文化エキスポ共同企画公演『バーシーラ』 - 貞洞劇場慶州ブランド公演改訂版『SILLA バーシーラ』 千年の歴史に秘められた新羅(シンラ)王国の知られざる物語 慶州でしか見られない壮大なパフォーマンス - さらにグレードアップして再演!2016年貞洞(チョンドン)劇場慶州(キョンジュ)ブランド公演『SILLA バーシーラ』  慶州でしか見られない壮大なパフォーマンス         (財)貞洞劇場(劇場長 ソン・サンウォン)はさる3月23日、慶州公演ブランド「SILLA」の改訂版として『バーシーラ』を慶州世界文化エキスポ文化センター公演場で上演した。2015年に初演が行われた『バーシーラ』は、歴史コンテンツを舞台芸術によって伝えるべく、ペルシアの大叙事詩『クシュナメ(Kush Nama)』(王書)をもとに制作された。ぐいぐい引き込まれる物語で、黄金の帝国ペルシアと金の国・新羅(シンラ)の華やかな文化交流を新しい舞台技法と演出で表現したと評され、観客から絶賛された。2016年にはさらにグレードアップして舞踊が一層深みを増し、映像表現技術の精巧さと劇音楽の叙事性を強化することでますますドラマチックな舞台に仕上がった。    2011年から地域の文化・観光を活性化する事業に力を注いできた貞洞劇場は、伝統公演事業の本格的な     定着に向けて慶州公演ブランド「SILLA」を立ち上げた。地域で完成度の高い伝統創作公演を披露し、文      化・観光市場に慶州地域の歴史性と文化を紹介する未来志向の公演観光コンテンツを提示したところ、     2015年に累計観客動員数20万人を突破し、慶州を代表する看板公演となった。     2016年の改訂は、さらに補強して洗練された舞台表現と芸術性を盛り込んだシーンの演出によって「作     品性が高まり見どころがさらに充実した公演」に仕上げ、地域常設公演の差別化を図るものである。ス      トーリー性が感じられて芸術的に深みのある振付、新羅とペルシアの華やかな文化を伝える舞台衣装と     小道具、現実と仮想を行き来する映像と照明、物語を伝える音楽の叙事性にいたるまで、華やかで深み     を増した要素が調和してグレードアップした公演が繰り広げられる。       1,500年前の謎を秘めた新羅(シンラ)の別の名前、バーシーラ  アラブの侵攻を受けて避難したペルシアの王子アビティン(Abtin)。あてのない長い航海に出たが、ある日嵐に遭って船は沈没し、海に飲み込まれた。 意識を取り戻したときには美しい国バーシーラに漂着していた。 そこで出会ったプララン(Frarang)と恋に落ちるが、彼女を残して祖国に戻らねばならなかった。 アビティンはペルシアを救って王位についた。祝宴を開いていたところにジャハク(Zahhak)と手下の猫が攻め入り、アビティンは命を落とした。プラランと息子のペリドゥン(Faridun)はアビティンの仇を討つためにペルシアへ向かい、ジャハクを倒した。一方、その間に新羅は別の悪の勢力「クシュ(Kush)」の侵略を受けていた。  


5.0/1
全羅北道(井邑市 )

全北井邑市のホテル・グリーントピアは内蔵山に位置しており、四季それぞれの美しい景色と景観が秀麗で、韓国最高の秋の紅葉はまるで神の贈り物であるように言葉では言い表せない美しさを誇る。 客室内部は広く、きれいで我が家のような心地よさが感じられるお休みの空間を提供する。 内蔵山停から徒歩3分の距離にあり、アクセスもよく、内蔵山の入口と近いため登山を楽しむ旅行客たちにも喜ばれている。 風景がとても良いこの場所で四季の美しさを満喫してみよう。


慶尚北道(鬱陵郡)

独島博物館(トクト・パンムルグァン)は1995年に光復50周年を記念して、鬱陵島郡が提供した土地にサムソン文化財団が建物を建築しました。そして李鍾学初代館長が30年余りの間、国内外から収集、寄贈された資料を基に故・洪淳七隊長の遺品及び、独島義勇守備隊の同士会と青い独島を手入れする集まりなどの資料を添えて、1997年8月8日に国内唯一の領土博物館として開館されました。三峯島をモチーフにした博物館の建物は敷地8,068㎡(2,441坪)、延べ面積1,600㎡(484坪)の地下1階と地上2階建てです。1階の3つの展示室(第1、2常設展示室、企画展示室)中央ホール、2階の展示室(第3常設展示室)自然生態映像室・独島展望ロビーなどにより構成されています。1998年8月8日「博物館開館1周年及び李舜臣将軍殉国400周年」を記念して序幕された「独島博物館標石」を始めとして、野外独島博物院が作られ拡張され続けています。独島は西暦512年년(新羅・智證王13)以来、鬱陵島と共に于山国の領土として韓国の歴史と文化圏に編入された以降、現在まで韓国の固有領土です。過去において、独島は海の中の1つの小さな離島で、それほどの関心を向けられてはいませんでした。しかし、海洋依存度が段々と大きくなるにつれ、今日では政治・経済・軍事・学術など多方面からとても重要視されています。そのため、現在日本とその領有権において、民族の自尊心をかけた激しい葛藤が繰り広げられています。独島博物館は、独島および朝鮮海(東海)を囲んだ関連資料を発掘・収集・研究し、その結果を元に展示・管理・教育・広報することにより、日本の独島領有権主張を反論する資料と理論の土台を構築して、国民の領土意識と民俗意識を鼓舞させることが建立の目的であります。


京畿道(楊平郡) , 楊平

ハーブ庭園には約50種のハーブがあり、水生湿地では湿地の生態を体験できます。その他にも樹木園の中央にある島や川辺の情緒を楽しめる散策路、熱帯植物のエキゾチックな雰囲気がある熱帯植物園、子どもたちが植物について学べる研究所などがあります。野花の鉢植え、ハーブ石けん、押し花のしおりなどが販売されており、各種の体験も楽しめます。


京畿道(水原市) , 水原

水原駅は1905年1月1日一般汽車駅として開通し、1975年12月31日に鉄道駅舎に竣工されました。1996年1月1日水仁線の営業を中止し狭軌駅舎を閉鎖、2003年2月新たに民間資本の駅舎を竣工しました。現在水原駅にはソウルメトロ1号線と京釜線セマウル号、ムグンファ号、そして2010年11月1日から京釜線路で大田まで運行するKTXが停車しています。


京畿道(加平郡) , 南楊州

チャラ島国際ジャズフェスティバルは、アメリカ、日本など、国内だけでなく海外41ヵ国、535チームのジャズアーティストが参加する大規模な国際ジャズフェスティバルです。毎年、10万名以上が訪れる有名なイベントであり、一度訪れた人の95%以上が、もう一度行きたいと言うほど人気があります。コスモスが咲き誇る周辺の風景と、世界的なジャズミュージシャンのジャズ公演が見事に調和し、素晴らしい空間を作り出します。一部の公演は無料で行われています。また、様々なレジャースポーツ体験を楽しむこともできます。


光州広域市(西区)

光州市最高の清潔さと親切さで訪問客をもてなすビジネスホテル『ノックス』は、ビジネスと文化の中心地である光州市の尚武地区にある。最高のインテリアで飾られた落ち着いた雰囲気の室内は利用客に心休まる憩いのひと時を提供する。光州市庁をはじめとする各種政府機関、キム・デジュンコンベンションセンターまで3分、光州空港から10分、KTX(韓国高速鉄道)松汀駅から15分で交通アクセスがとても便利。朝食には軽食を提供している。また全客室にはインターネット及びwifiが設置されているし、コピー機、プリンター機、ファックスなども利用できてビジネスで利用する人々に特にお勧め。


慶尚北道(鬱陵郡)

慶尚北道 鬱陵郡 鬱陵邑にある道洞港は、鬱陵島に出入りする船の船舶場で、浦項と墨湖の間を運航する旅客船と独島に行く船に乗れます。道洞港の左側には「望鄕峯」という峰があり、右側には樹齢2500年の香木がある「杏南灯台」があります。 江原道の墨湖ターミナルから161km、慶尚北道 浦項ターミナルから217kmの位置にあり、最速2時間20分で平均3時間ほどで到着します。また東南方向87.4kmには独島があり、往復平均3時間ほどで到着します。1日1~2回程度運航される旅客船は、風や波、気象条件により時間や運航が調整されるため、出発前には問合せをして予約するのがいいでしょう。外国語での対応は無いので、ガイドや韓国語ができる人と同行する必要があります。 問合せ) +82-54-791-0801(韓国語)


京畿道(南楊州市) , 南楊州

洪裕陵は洪陵と裕陵を合わせた言葉です。丘を間にはさみ、同じ圏域にあります。洪陵洪陵は朝鮮第26代の高宗(1852-1919、在位1863-1907)皇帝と明成皇后(1851-1895) 閔氏の陵です。元々洪陵は明成皇后の陵としてソウル・清涼里にありましたが、高宗の死後は今の場所に移して一緒に祀られています高宗は興宣大院君・李昰應の2番目の息子で、12歳の若さで王位につきました。高宗は1897年、大韓帝国の樹立を宣布し皇帝の位につきましたが、日本の圧力が増す中、乙巳条約を結んで外交権を日本に奪われ、1919年徳寿宮にて67歳で崩御しました。明成皇后は驪城府院君・閔致禄の娘で、1866年(高宗3年)に王妃となりました。1873年、高宗の親政(王が直接国の政治を手がけること)をきっかけに政治的実権を掌握後、親露政策に不満を抱く日本人刺客に殺害されました。裕陵裕陵は朝鮮最後の王陵であり、最初の皇帝陵です。朝鮮第27代純宗(1874-1926, 在位期間 1907-1910)と、その妃である純明孝皇后(1872-1904)閔氏、継妃・純貞孝皇后(1894-1966)尹氏を合葬した唯一の「同封三室」の陵です。純宗は高宗と明成皇后の2番目の息子で、朝鮮最後の王です。民族主権を守護しようとした悲劇的な歴史の王でした。純明孝皇后は純宗が即位する前、皇太子として始めてオリニ大公園付近の龍馬山の麓に安葬されましたが純宗の死後、陵を移して合葬されました。純貞孝皇后は12歳の純宗の后となり、1910年、日本帝国が国権を奪おうとした際、玉璽(国家文書に使われた玉で作った王の印鑑)をスカートの中に隠したというエピソードの人物です。その後、国権は奪われ、大韓帝国は滅びてしまいます。死ぬ瞬間まで温和な性質と気品を忘れなかった純貞孝皇后は大韓帝国の最後の皇后です。洪陵と裕陵は従来の朝鮮王陵と異なる点があります。それは朝鮮の国名を大韓帝国にかえた際、王を「皇帝」と称したほど、皇帝陵の様式に従い明・太祖の孝陵を見習って作ったことです。洪裕陵には他の王陵では見られなかったキリンやゾウ、ライオン、獅子、ヘテなど多様な動物形態の石物があります。洪陵の石物は伝統的な方法で作られており、裕陵の石物は洪陵のそれよりも事実的かつ優れた手法が見られます。