忠清北道(清州市 )

忠清北道清原郡梧倉邑では未来への飛躍を目指し、新しい千年の歴史を築くために先端科学産業団地が建設されました。その中心部に位置する「GEEホテル」は、梧倉(オチァン)を訪ねるビジネスマンや観光客に広々とした客室やスタッフのきめ細かいサービスを提供しており、便利に快適に過ごせる場所として脚光を浴びています。清州国際空港まで車で10分、KTX(韓国高速鉄道)五松駅まで20分と、アクセスも便利。また清原郡には、世界三大鉱泉水に認定された椒井薬水があり、水彩画のような風景を誇る大清湖、美しい景色と澄んだ空気を誇る大統領専用別荘である清南大(チョンナムデ)などがあり、心身の疲れを癒せる最適の観光スポットとして知られています。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

歴史専門家の徹底した考証を基本に、1996年から王宮守門将交代儀式(ワングンスムンジャン・キョデイシク)が一般に公開されています。徳寿宮(トクスグン)大漢門の前で行われる王宮守門将交代儀式は、イギリス王室の近衛兵交代儀式と同様、韓国伝統の宮中文化再現イベントで、王室文化を直接体験しづらい最近では貴重な観光スポットになっています。守門将は宮殿の門の開閉や警備、巡察などを任されていて、1日3回固有の衣装をまとった守門将の交代儀式が行われています。 紹介 : 徳寿宮大漢門前で再現される王宮守門将交代儀式は必見です。午前11時から11時半、午後2時から2時半、午後3時30分から4時までの1日3回、30分間同じ順序どおりに行われているので、希望する時間に訪問し是非見学しましょう。観覧は無料で、毎週月曜日と暑さや寒さの厳しい日には行われません。 王宮守門将交代儀式は、様々な伝統楽器の合図で交代組が登場するところからスタートします。まず決まった暗号をお互いに交換し、味方かどうかを確認します。その後約8分間の守衛儀式、7分間の交代儀式、そして最後に礼を終え、巡察に向かうことで儀式は終わります。6つの官職の兵士18名が太鼓を叩き、大声で儀式を行う姿からは迫真そのものです。 ポイント : 韓国伝統の宮中文化イベントの王宮守門将交代儀式は、韓国でなかなか見る事のない伝統的な姿を見ることができる絶好の機会です。また、兵士達の華麗で原色の鮮やかな伝統衣装もまた十分に見どころがあります。そのため、兵士たちをバックに写真を撮るのは必須です。交代儀式の兵士たちと記念写真は撮れませんが、兵士と宮殿を背景に、また交代儀式が終わった後、宮を守っている守門将の横に立って写真撮影をすることは可能です。交代儀式を見物した後は、宮殿の中に入って韓国的な美しさを更に満喫してみましょう。


全羅北道(高敞郡 )

禅雲寺(ソヌンサ)は、金堤にある金山寺と合わせて全羅北道の2大寺院に数えられています。長い歴史と優れた自然環境、貴重な仏教文化財が保存されていることから観光客の足が途絶えることはありません。また、仏教文化と休息の時間を楽しむことができるテンプルステイプログラムも運営されています。テンプルステイプログラムでは、僧侶との茶談、鉢盂供養、打鐘体験、108拝および参禅、兜率庵巡礼などのプログラムを通して仏教文化を体験することができます。


江原道(春川市) , 春川

春川美術館は、1995年、江原道春川市三川洞の子ども会館の展示室から始まりました。湖畔の都市・春川を芸術と文化が息づく都市にするため、春川美術協議会の努力によって始められたもので、活発に美術作品が発表されました。その後、玉泉洞にあった中央メソジスト教会の建物を展示場として使えるようになり、春川美術館は新しく出発することになりました。現在では市民誰もが気軽に利用できる、文化の薫り漂うスペースとなっています。


忠清南道(牙山市 )

孟氏杏檀(メンシヘンダン)は高麗時代末から朝鮮時代初期にかけての宰相で、公正な官吏として知られる孟思誠(メン・サソン1360-1438)が暮らした家です。韓国の民家の中で最も古く、もともとは高麗時代末の崔瑩(チェ・ヨン)将軍の家でしたが、将軍の孫娘と結婚した彼に譲られたといわれています。公正な官吏として有名な彼らしく質素なつくりで、庭には樹齢600年の銀杏の木が2本あり、そこから杏檀と呼ばれるようになったといわれています。本来杏檀とは孔子が銀杏の木の上で教えたという故事に由来することばで学問に励むことを象徴しますが、その故事を知る孟思誠が草の茂るところに銀杏を植え後学を指導したのだといわれています。現在この2本の銀杏の木は私たちに涼やかな木陰と、たくさんのぎんなんをプレゼントしてくれます。


ソウル(鍾路区)

景福宮と昌徳宮のちょど真ん中あたりにある地域で、風水地理で昔から北に聳える北岳山(プガクサン)の気を受ける位置に存在する北村(プクチョン)。周囲の古宮や仁寺洞通りをはじめ隣接する北村でもちょっとした路地に入ると趣のある韓屋や隠れた名店が数多くあり、ひっきりなしに人々がやって来ます。次第に北村を訪れる人々が増えてくると北村に数多くある韓屋で一晩を過す体験ができるところが増えてきましたが、楽古斎(ラッコジェ)はその中でも最も古くから韓屋での宿泊体験を始めた施設の一つです。 いまや北村の名所とも言える高級韓屋ホテル・楽古斎。 斎洞(チェドン)初等学校の塀伝いに路地を入ると、旧震壇学会設立址に楽古斎という看板を掲げた古風な韓屋の建物に行き着きます。「古きものを分かち合うところ」という意味を持つ楽古斎は、130年の歴史を誇る両班(ヤンバン)の家屋を人間文化財・チョン・ヨンジン翁が改築しオープンした高級韓屋ホテルです。 さほど大きな規模ではありませんが閑静な雰囲気を醸し出す色とりどりの色彩や建物の質感との調和が格別な場所です。墨色の瓦の間に赤土を塗り込み積み上げた土塀の横には歳月の経過を物語る痕跡がいまも残る背高の門柱作りの大門が威風堂々姿を見せます。その大門をくぐり楽古斎の庭内に入ると、目の前には中庭を取り囲むように建てられた韓屋が目に飛び込んできます。 陽差しが差し込む中庭には池や伝統的な装飾、釜、味噌や醤油などを入れた甕などが並び、また老松の木陰には東屋があり韓屋の趣をいっそう高めています。 楽古斎の素晴らしさは見て楽しむばかりでなく、その雰囲気、風流さを感じるところにあります。 韓屋自体の建物の輪郭線、そして建物から余韻から感じられる憩い、つまり韓屋というモノ=ハードウエアから感じられるすばらしさよりも、真の韓国の趣や素晴らしさは建物というモノ以外の目に見えないサービスなどのソフトウエア的なことから生まれるというのが楽古斎の主人であるアン・ヨンファン代表の哲学。 中でも最も重要視しているひとつが食事。韓国食は基本で、予約した場合には韓定食もチョイスできます。東屋の板の間で伽倻琴の演奏とともに楽しめる歌唱やパンソリの名手あるいはコムンゴや横笛の大芩(テグム)奏者を迎え公演なども行うこともあります。他にも韓国茶道、キムチ作り、宮中韓服体験プログラムなど各種体験プログラムも準備しています。 楽古斎を訪問客に最も人気があるのはチムジルバン。 かまどに薪をくべれば黄土で作られたチムジルバンの床が摂氏60度まで上昇します。それぞれの部屋には浴室があり、かすかな木の香りがするヒノキ風呂もあります。 楽古斎がオープンした契機も興味深いものがあります。アン代表はもともとアメリカのエンジニアリング会社に勤めていました。およそ10年あまりアメリカで勤務した後韓国へ帰国、ソウル麻浦(マポ)でお金持ちが住んでいたという古い韓屋・古宅が壊されるということを聞き、それならばと一念発起しそこで韓定食の店をやってみようとはじめたことが、韓屋と深い関係を持つきっかけとなりました。 韓屋で実際に生活し、外からだけでは感じられなかった韓屋の素晴らしさに魅了、外国の友人に 韓屋のよさを知ってもらいたく1994年から古宅体験旅行を企画・運営し始めました。 そんな最中の2000年、震壇学会の建物が取り壊されそうになっているという話を聞きつけ、すぐにこの建物を買い入れ、現在の楽古斎が誕生しました。 外国の人々に韓国の趣を伝えようという初心を忘れず何よりも最高のものでお迎えしなくてはならないというのが楽古斎のモットー。骨董家具や絵画、優雅さを感じる陶磁器、そして茶器など小さなもの一つ一つに心配りをし配置している楽古斎。高級韓屋ホテルという看板に名を恥じない楽古斎の自負心がいたるところに感じられます。


慶尚北道(慶州市 )

慶州民俗工芸村(キョンジュ・ミンソク・コンイェチョン)吐含山の観光道路周辺には、昔の様子を生かした伝統的な瓦葺の家と藁葺きの家が45棟もあります。大切に保存しなければならないご先祖様の精神や趣や腕前を受け継ごうと作られた2万坪の匠たちの村です。ここでは、金属、陶磁器、木工、宝石、石工、刺繍、土器工芸など、18の工房の製造過程の観覧及び民俗工芸展示館を無料で観覧することができ、生産者から安い価格で直接購入することもできます。


忠清南道(公州市 )

東鶴寺(トンハクサ)は公州(コンジュ)市中心部からおよそ25キロメートル、大田から8キロメートルほど離れた公州市鶴峰里に位置しています。724年に創建されましたが新羅(紀元前57-935年)滅亡後の937年にその始祖を祀るべく名を東鶴寺と変え拡張されたと伝えられています。1950年に韓国戦争により焼失しましたが、1960年以降少しずつ再建がなされました。韓国最古の尼寺でもあり、女性僧侶のための大学でもあります。現在150名以上の女性僧侶が修行や教育を受けまた布教にはげむ大変由緒ある寺院です。東鶴寺は公州市に位置してはいますが大田広域市との境界付近にあり、大田市からのアクセスが便利です。時間的にも大田市から向かうほうが速くいけるうえ、バスもより多く出ています。


釜山広域市(影島区)

「釜山大橋(プサンデギョ)」は、1934年竣工した影島大橋とともに影島と陸地を繋ぐ交通道路であり、朝鮮工業団地および新興港湾に成長する指導地区の物流を迅速に処理する産業道路兼臨港道路としての機能を発揮しています。長さ260メートル、幅20メートル、4車線の車道と両側に幅2メートルずつの歩道があり影島大橋の東側に100メートルほどの間隔を置いて平行して架設され釜山の観光名所にもなっています。