光州広域市(西区)

光州(クァンジュ)ワールドカップ競技場(キョンギジャン)は2002年のワールドカップ開催に合わせオープンした約44000名の座席数を持つサッカー専用スタジアム。観覧席の約60%を覆う屋根は、光州の名山・無等山を、そして屋根を支える大きな柱はこの地方の風習のひとつであるコサウムノリ(藁で編んで作った大きな「コ」と呼ばれるものに男性が3-4人乗って騎馬戦のように戦う競技)の「コ」をイメージしたもので、両側の屋根が向き合っている様子も2つの「コ」が戦う様子を表しているかのような印象を与えます。競技場には広報館、メディアセンター、医療施設、各種スポーツ施設など、様々な施設が整い、市民の憩いの場所として利用されています。


ソウル(東大門区) , 東大門

ソウルの風物市場の由来は、もともと清渓川が復元される前、黄鶴洞を中心に全国で収集された骨董品や古い品物を販売する店舗が集まって形成されたと言われています。清渓川の復元事業と一緒に黄鶴洞と清渓川周辺の露店が営業されていたこのノミの市は、東大門歴史公園(旧東大門運動場)内の東大門風物ノミの市として移転営業をしてきた中、ソウル市から東大門運動場の公園化事業で観光事業と連携した韓国を代表する風物市場開発のため、清渓川と近接した清渓8街にある崇仁女子中学校に世界的な風物市場を目標に新しいショッピングの名所となるソウル風物市場をオープンしました。


ソウル(鍾路区)

「チェデガムネ」は、こぢんまりした庭園と池がある伝統韓屋で韓食を味わえるお店です。 新鮮な有機野菜を使ったサムパプ(包みご飯)定食、手作り麺を入れて食べる牛肉しゃぶしゃぶ、産地から毎日仕入れる柔らかカルビなど、さまざまな味を楽しめます。


全羅北道(全州市 )

ソウル特別市、全州市指定の郷土料理店で、50年以上の伝統料理だけを提供し、今でもコチュジャン・醤油・油などは自家製のものだけを使用しています。  


江原道(平昌郡) , 平昌

2008年5月、江原道・平昌郡にあるフェニックスパーク内に地中海の雰囲気の漂うウォーターパーク「ブルーキャニオン」がオープンしました。江原道の澄んだ空気と渓谷のきれいな水を利用したブルーキャニオンは、室内外合わせて22,336.19m²の規模です。 ブルーキャニオンの室内外はブルーホワイトトーンでデザインされ、さまざまな水遊び空間が用意されています。まるでローラーコースターに乗ったようなスリルが満喫できるスライダーなど利用客に人気のある施設がたくさんあります。    


京畿道(安山市)

スターライトヴィレッジフォトランドがフランス情緒溢れるプロバンス村を再現してリニューアルオープンしました。輝くばかりの日差しの下、おいしそうに熟したブドウや一面に広がるラベンダー畑、豊かな自然の中にある独特の文化や芸術が息づくこの場所は、まさにフランス南東部にあるプロバンス村を思わせます。 100ヶ所以上のフォトコーナーにはかわいい家やインテリア小物が置かれ、夜になると美しいイルミネーションの光祭りが繰り広げられます。一年中、季節に合った演出で訪問客を迎えており、何度行っても飽きない新鮮さがあります。


ソウル(麻浦区) , 弘大

「マシチャイナ」は、新羅ホテルのチャイニーズレストラン「八仙」出身のオーナーが開いたお店で「味(マッ)」に「差(チャイ)」をつけるという意味が込められています。店内の雰囲気は全体的にすっきりしており、オープンキッチンで料理する姿を見ることができます。 営業時間  11:30~22:00 ※ブレイクタイム16:00~17:00(平日のみ) メニュー  価格は事前の予告なく変更になる場合があります チャンポン(짬뽕)、白チャンポン(백짬뽕)、牛肉ジャージャーメン(소고기짜장면)、酢豚(탕수육)、クリーム海老(크림새우)など クレジットカード決済  可    


忠清南道(扶余郡 )

 百済文化の宝庫、扶蘇山と扶蘇山城扶余の市街地の北側に紺碧の林が続く海抜106mの低い扶蘇山が一番最初に目に留まります。扶蘇山には数多くの百済の女性達が花びらが散っていくかのように自らの死で節義を守った落花岩、百花亭、泗沘楼、半月楼、宮女祠、皐蘭寺、扶蘇山城(史跡第5号)、迎日楼、成忠・興首・階伯の百済忠臣を祭った三忠祠、穀物の倉庫だった軍倉址、百済の軍人の穴蔵である竪穴住居址など百済の歴史と百済王室の話が至る所に潜んでいます。「三国史記」の百済本紀には泗沘城、所扶里城と記録されていますが、山城があった山の名前をとって扶蘇山城と呼ばれています。この山城は百済の首都であった泗沘土城の一環であり、王宮を守護するために538年に首都の遷都前後の時期に築造されたものであると考えられており、これ以前の500年頃、すでに城山が築造されていた可能性があります。その後、605年に大々的に改築が行われたと推定されています、一方、一部の城壁は統一新羅時期に修築され、高麗と朝鮮時代にはその地域の規模に合うように縮小されて利用されていたと考えられています。  百済の文化に出会う、扶蘇山の遺跡地* 三忠祠扶蘇山城の正門である泗沘門を過ぎて少し歩いて上がっていくと三忠祠があります。外三門と内三門を過ぎて書堂に入ると百済末の三忠臣である成忠・興首・階伯の肖像画と位牌が祭られています。毎年10月の百済文化祭の時に祭祀を行い、3人の崇高な救国忠節を称えます。* 迎日楼迎日楼は扶蘇山城の一番東側の峰に建てられた百済王と貴族達が遠く鶏龍山の連天峰からの日の出を見て国政と国の平安、百姓達の平安を祈願した迎日台に立てた楼閣です。*軍倉址別名、万里蔵と呼ばれていたこの場所は1915年に焼かれたお米が発見された軍隊の穀物を保管していた倉庫です。* 竪穴住居址軍倉址を少し過ぎると穴蔵が見えます。穴蔵は百済の時に軍人達の穴蔵を発掘、復元したところで、1mほど掘って四方を木やわらで塀を囲った後、わらの屋根を置いた様子です。穴蔵と貯蔵庫を発掘した場所に展示室を建て、構成をしっかりと見ることができるようにしました。* 泗沘楼扶蘇山で一番高い所(海抜106m)に位置する泗沘楼に月が明るい夜に登ると美しい景色が目の前に広がります。泗沘楼の建立当時、泉水を掘っていたら金銅釈迦如來立像(宝物大196号)が発見されました。* 百花亭落花岩の絶壁の上に建てられた六角の屋根の亭子が百花亭です。白馬江を見下ろすことができる百花亭は百済滅亡当時、花びらのように落ちて死ぬことで忠節を守った崇高な百済の女性達の魂を追悼するために1929年に扶風詩社という団体が建てました。 * 宮女祠半月楼広場で東北側を少し下ると宮女祠があります。この宮女祠は660年に連合軍によって泗沘城が墜落した日、落花岩で花びらのように落ちて死んでいった百済の女性達の忠節を追悼し、その意味を後世に広く伝えようと1965年に建てられました。10月の百済文化祭の時に司祭を行います。* 官北里遺跡官北里遺跡は1983年9月に忠清南道記念物第43号伝百済王宮址に指定されています。1982年からこの一帯を中心に忠南大学博物館で5回に渡って発掘調査を行いました。1983年度に方形石築蓮池が発見され、1988年度の発掘調査では土器の口縁部に北舎という銘文が刻まれたものが発見され、1992年度には現在の国立扶余文化財研究所の南側50mのところから百済時代の道路の遺跡や排水施設が見つかりました。 


済州道(済州市 ) , 済州東部

済州島の済州チョルムル自然休養林は漢拏山の北東側のチョルムオルムにある休養林で、杉林が美しいことで有名な場所です。チョルムオルムは高さが約650メートルほどで火山活動によってできました。チョルムオルムの頂上からは城山日出峰や済州市内が一望できます。休養林内にはウォーキングコース、蓮池、展望台、薬水場、芝生広場などの施設や宿泊施設もあります。予約はホームページで行うことができます。ホームページ:http://jeolmul.jejusi.go.kr/(韓国語)* 宿泊料金 (林の中の家) 4人:ピーク期(7~8月)および週末-67,000ウォン / 非ピーク期-37,000ウォン   6人:ピーク期(7~8月)および週末-85,000ウォン / 非ピーク期-46,000ウォン   8人:ピーク期(7~8月)および週末-120,000ウォン / 非ピーク期-69,000ウォン  11人:ピーク期(7~8月)および週末-135,000ウォン / 非ピーク期-81,000ウォン


慶尚北道(慶州市 )

吐含山(745m)の中腹に位置する仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)はきらびやかな新羅の仏教文化の核心で、535年に新羅の法興王(不詳~540年)が母の意に従い、国の安定のために建立しました。その後、新羅の景徳王(742~764年)の時に、宰相の金大城が再建しましたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で建物や宝物がほとんど焼失し、略奪されました。1920年以前には一部の建物と塔だけが荒廃したまま残っていましたが、原型復旧作業により国宝7点を持つ現在の大寺院の姿になりました。仏国寺から尾根に沿って約3km(舗装道路の石窟路は9km)ほど行くと、如来坐像の本尊仏が東海を向いている石窟庵があります。 仏国寺と石窟庵は1995年12月6日に海印寺の八万大蔵経や宗廟とともに、世界文化遺産に公式指定され、国際的にいっそう知られるようになりました。<主要文化財>多宝塔(国宝第20号)仏国寺3層石塔(国宝第21号)青雲橋、白雲橋(国宝第23号)石窟庵(国宝第24号)金銅毘盧遮那仏坐像(国宝第26号)金銅阿弥陀如来坐像(国宝第27号)蓮華橋、七宝橋(国宝第22号)