江原道(三陟市)

果てしなく広い海・東海が眼前に広がる港・草谷里(チョゴクリ)の町は韓国の往年のマラソン選手・黄永祚(ファン・ヨンジョ)が生まれ育った場所です。その町の丘の上に海原を一望できる場所に「黄永祚記念館」があります。 この記念館は1992年第25回スペイン・バルセロナオリンピック男子マラソンで優勝した黄永祚選手の生い立ちを紹介しその日の感動を讃え、若い世代の子供たちに勇気を与えるため作られた記念館です。


ソウル(鍾路区)

1992年に開館したソウル大学校病院医学博物館は1999年常設展示館としてリニューアルオープンし、2001年には体験展示室を増設、医学専門博物館として広く知られるようになりました。 2007年には大韓医院設立100周年を迎え、史跡第248号に指定された旧大韓医院本館(時計台のある建物)2階全体を新たに改装しました。(大韓医院は1910年に朝鮮総督府医院、1928年に京城帝国大学医学部附属医院、1945年の光復以降にソウル大学校附属病院と改称され現在に至っています) 本博物館は近代医学導入以降の各種文書及び医療機器など約1,000点、韓国近代医学史料約8,000冊を所蔵している医学専門博物館です。韓国の近代医学の発達や医療機器の変遷、そしてソウル大学校病院の変遷について歴史的価値のあるさまざまな関係史料を展示しており、また関係資料の収集以外にも展示・保存・教育及び関連情報提供など包括的かつ体系的に行なっている機関でもあります。 21世紀の最先端医療機関を標榜するソウル大学病院。その名にふさわしい医療博物館となるよう精進してまいります。


済州道(済州市 )

「済州CHARM&CHARM」は、主に東南アジアからの個人旅行者や団体観光客を対象にした化粧品専門の免税店を運営しており、コラーゲンマスクパックや機能性製品のアンプル類、各種クリームといった製品を取り揃えています。 高麗人参・紅参・山参といった韓方薬材を使用した品格ある韓方コスメブランド「UGB」が主力商品となっている他、Coreana、MISSHA、LANEIGE、THEFACESHOPなど国内外で人気が高いコスメブランドも扱っています。


ソウル(鍾路区)

若者の通り、文化の通りとして有名な大学路(テハンノ)の中心に文化芸術振興院の建物がありますが、この建物はソウル大学校本館の建物として長年使われていました。元々この建物は日帝強占期の1931年に京城帝国大学本館と建設されたものです。 1922年11月、李商在を代表とする朝鮮教育協会により朝鮮民立大学期成会を結成、1923年3月29日に発起人総会が開催されたことにより朝鮮民立大学の設立運動が本格化しました。日帝はこれを阻止すべく1923年5月京城帝国大学令を公布、翌1924年に京城帝国大学という官立大学を設立しました。 1924年にまず2年制の予科が設置され開校、その後1926年には3年制の法文学部と4年制の医学部を、1938年には理工学部を設置しました。 そして解放後の1946年8月に米軍政により国立ソウル大学校設置令が発表され、今日のソウル大学へと改組されました。 この建物は韓国人建築家朴吉龍が設計、日本人経営の建築会社・宮川組が施工を担当し、1930年8月に着工して1931年10月竣工しました。 1945年の解放以降、ソウル大学校本館として使用されましたが、1972年ソウル大学校がソウル特別市冠岳区の冠岳キャンパスに移転し、その後文化芸術振興院の建物として使われています。 この建物は長方形の形をした鉄筋コンクリート造の構造ですが、部分的に煉瓦と木材も使われています。地下1階、地上部は2階建となっている部分と3階建になっている部分があり、近代合理主義の形態を取り入れた精錬かつ優雅な外観を誇ります。 ※面積-1,628.1平方メートル ※所有者-韓国文化芸術振興院


江原道(三陟市)

桃京里駅は日帝強占期に建設された典型的な小さな駅です。 駅舎は鉄道の線路と並行に建てられその上に屋根が取り付けられていますが、駅前広場のある駅舎入口正面側から見ると駅舎の右寄りの場所に桃京里駅の出入口がありその上部に建物と直交する形で切妻屋根が取り付けられています。 駅舎の屋根と出入口の上の直交した切妻屋根はほぼ同じ高さに取り付けられています。駅舎出入口の右外側には雨よけのひさしが取り付けられ、駅舎を囲むように線路側の方へひさしが乗降客用に延び、その端にプラットホームで列車を乗降する人が出入りする待合室出入口の両開きのガラス戸が設置されています。 外壁は現在はモルタル造であることが確認できますが、竣工当時、元々モルタルであったのかどうかは不明です。 また駅舎の屋根に使用されている屋根瓦は日本様式のものそのものです。 駅舎の線路側の方もさまざまな特徴があります。 駅前広場側の入口同様、線路側の方にも駅舎のメインの屋根と直交する形で切妻屋根が作られている部分があり、その部分は駅舎の建物から線路側に少し張り出す形で作られ駅を行き交う列車がよく見えるよう駅務室が設置されています。また雨よけのひさしは駅舎右側からぐるっと線路側のこの駅務室の横まで続いています。 この駅の特徴的なのは、建物のメインの屋根と直交する広場側の入口上の切妻屋根が建物右側に、同じように建物のメインの屋根と直交する線路側に突出した駅務室がある上部の切妻屋根が建物やや左側にあるというように、切妻屋根がメインの建物に対して十字の形で直交して作られる他の駅とは違う構造となっている点です。 ※竣工年度 1939年5月15日


慶尚北道(浦項市 )

九龍浦(クリョンポ)日本人家屋通りは1883年朝鮮と日本との間で締結した「朝日通商章程」以降、日本人が朝鮮に渡り居住したところで「日本人家屋通り」として当時の家屋が数軒残っていたところを浦項市が「日本人家屋通り」として整備したところです。 当時の料理店として使われていた「古里屋(ふるさとや)」の日本家屋は当時の内部をそのまま残し喫茶店として現在では営業しています。日本のさまざまなお茶を楽しむことができ、浴衣の試着体験も可能です。 また日本人が勉強した小学校や1900年代当時使われた形を再現して作られた郵便ポストなどもあります。 公園の階段から見下ろすと目の前には素晴らしい漁村が開け、漁村の生活が手にとるように感じされることから大韓民国景観大賞を受賞した場所でもあります。


京畿道(始興市)

新世界・サイモン始興(シフン)プレミアムアウトレットは日ごろの生活で疲れた都会の人々を癒してくれる「複合ショッピングリゾート」です。スペイン北東部地域の港町カダケスの海岸をコンセプトに異国情緒あふれる空間を演出、各種施設はじめ体験型コンテンツも兼ね備え、満足行くショッピング、そしてのんびりとした憩いのひとときを楽しめます。 始興プレミアムアウトレットは第2、3京仁高速道路、外郭循環高速道路など5つの高速道路が近接、アクセスと利便性が大変良い場所に位置しています。さまざまなカテゴリーの220のブランドが出店、ソウル首都圏西南部を代表するショッピング、観光、文化のメッカとなっています。 アルマーニ、コーチ、マイケルコアース、ヒューゴボスなど海外有名デザイナーのブランド、ナイキ、アディダス、アンダーアーマー、ニューバランス、デサントなど人気スポーツブランドの大型店舗もあり注目を集めています。特にアンダーアーマーは店舗面積約1,000平方メートルと韓国国内最大の規模を誇っています。 またTheory、maje、sandro、JILL STUART、DKNYなどの海外ファッションブランド、STUDIO TOMBOY、MICHAA、LEBEIGEなど韓国の人気ファッションブランドも数多くあります。 野外ショッピングセンターとともにキッズ館や生活館などカテゴリー専門館で構成される室内ショッピングモールではワンストップショッピングが可能です。 エコフレンドリーな造景の「セントラルガーデン」、ペットと一緒に散策できる「ペットパーク」、家族そして恋人と一緒に野外でピクニックを楽しむことができる「スカイガーデン」、さまざまな年代の人々が楽しめる「フットサル競技場」、世界各国及び韓国全土のテーマ料理を楽しむことが出来る「テイストビレッジ」などのスペースは家族連れのお客様に特におすすめです。  


ソウル(鍾路区) , 大学路・城北洞

ソウル大学校歯医学大学院歯医学博物館は1994年8月31日、ソウル大学校歯科大学附属機関として発足、2001年12月28日に韓国初の歯医学を扱う本格的なスペースを持つ博物館としてオープンしました。 韓国の近代歯医学発達の過程やさまざまな歯科用器具の変化を観覧することができ、ソウル大学校歯科大学の歴史を垣間見ることが出来ます。 また、2008年10月20日には子供たちの口腔衛生増進を目的に将来の歯科医学を担う子供たち向けの施設・子ども歯科博物館をオープンしました。


ソウル(城北区)

高麗大学校博物館は韓国国内の大学博物館の草分け的存在で、歴史、考古、民俗、美術に至るまでさまざまな所蔵品10万点あまりを所蔵している総合博物館です。 高麗大学の歴史に関する展示がある100年史展示室、第1展示室(歴史/民俗展示室)、第2展示室(古美術展示室)、そして第3展示室(現代美術展示室)があり、その他寄贈者記念展示t室、企画展示室もあります。


ソウル(城北区) , 大学路・城北洞

この建物は高麗大学校の前身である普成専門学校の本館として建てられました。普成専門学校は韓国人の手によって設立された韓国最初の近代的高等教育機関というべき学校です。 1905年大韓帝国内蔵院卿(大韓帝国皇室の財産を管理する組織のトップ)を歴任した李容翊(イ・ヨンイク)が教育救国の理念の下、礴洞(パクトン)現在のソウル特別市鍾路区寿松洞にあった露語学校があった場所に法律と実業教育を目的に開校しました。1910年には天道教から買収し、現在のソウル市鍾路区安国洞の場所に2棟の木造校舎を建て、法科と商科の専門課程を開設しました。 しかしながら財政難に陥り、実業家の金性洙(キム・ソンス)が1932年この学校を買収、1933年現在のソウル市城北区安岩洞の地に移転しました。 本館の建物は図書館とともに安岩洞に学校が移転し建てられた代表的な建物です。日帝強占期も中央高等学校本館などの創意的な作品を発表した朴東鎮(パク・トンジン/1899-1982)が設計、日本人の藤田幸次郎が施工を担当しました。 1933年9月に着工、1934年9月石造鉄筋コンクリート造の3階建て建物が竣工しました。平面は中央部を中心にして左右の翼のようになった部分が短く処理されたH字型の完璧な左右対称をなしています。建物には花崗岩を建材に使っています。内部にはスチーム暖房や水洗式衛生装置を兼ね備え、当時としては最新式の施設でした。 解放後の1946年8月には政法、経商、文科3つの単科大学に8つの学科を編成した総合大学に昇格、改編し、高麗大学校という校名に変更しました。 ※面積- 3,223平方メートル ※所有者 - 学校法人高麗中央学院