江原道(鉄原郡)

統一新羅時代の景文王(キョンムンワン)5(865)年、高麗末の僧・道詵(トソン)国師は高さ91cmの鉄造毘盧舎利仏坐像を鋳造・奉安するため、江原道(カンウォンド)鉄原邑(チョロンウプ)栗梨里(ユルリリ)里にある安養寺(アンヤンサ)に他の僧侶とともに赴きました。 その道すがら、しばらく休息をとっていると、持ってきたはずのこの仏像が突然姿を消してしまいました。あわてて僧侶らはあたり一帯を探すと、現在この仏像が安置されている到彼岸寺(トピアンサ)の場所に安座している状態で見つかります。 道詵国師は何かの思し召しとこの仏像が見つかった場所に小さな庵を建て、この仏像を祀り、それが現在の到彼岸寺になったと言われています。このような逸話から鉄造仏像が永遠の安息の場である彼岸に到達したとして、寺の名前を到彼岸寺と命名したといいます。 現在でも境内には道詵国師が作った国宝第63号の鉄造毘盧舎利仏坐像や宝物第223号に指定されている高さ4.1mの花崗岩からできた三層石塔が残されています。 以前までは民間人統制区域で民間人の出入りが制限されていましたが、現在ではどなたでも自由に行き来できるようになりました。 * 主な文化財 1) 到彼岸寺三層石塔(宝物第223号) 2) 到彼岸寺鉄造毘盧舎利仏坐像(国宝第63号) 3) 孤石亭及び蓴潭(記念物第8号)4) 鉄原天通里渡り鳥渡来地(天然記念物第245号)


江原道(三陟市)

天恩寺(チョヌンサ)は、李承休が韓民族の大敍事詩である帝王韻紀を執筆した場所です。創建の歴史は、758年にインドからやって来た3人の僧侶である頭陀三仙が白い蓮の花を携えてやって来て建てたといわれています。その後、829年に梵日国師が極楽宝殿を建立したことで寺としての基盤が築かれました。高麗の忠烈王の時代に李承休が改修し、ここで大蔵を全て読んだということで看蔵庵と呼ばれ、そして朝鮮の宣祖の時には西山大師が寺を再建し、黒岳寺と名づけました。1899年には李成桂の4代祖の墓である穆祖陵が未老面活耆里につくられ、この寺を願堂寺刹として「王からの恩恵をあずかった寺」ということで天恩寺と呼ぶようになりました。 韓国戦争(朝鮮戦争)の際に焼失してしまいましたが、1983年にムン・イルボン僧侶が再建しました。境内へと続く砂利の小道の両側には桜の木が植わっており、春になると桃色の桜の花が満開に咲き誇ります。


江原道(華川郡)

毎年8月になると華川では「トマトピア」をテーマに「華川トマト祭り」が開催されます。トマトピアとは、トマトとユートピアを組み合わせた造語で、華川をトマトの天国にし、住民や観光客が一緒なって和合し、楽しむことを目的としています。トマトを使った各種イベントや見どころ満載のお祭りです。  


江原道(橫城郡 )

江原道(カンウォンド)横城郡(フェンソングン)にある酒泉江(チュチョンガン)自然休養林は酒泉江の河畔のおよそ230ヘクタールの山林に造成された自然休養林です。 この酒泉江自然休養林は広大な自然林と韓国初の川辺に造られた休養林という点で他にはない特長があります。 嶺東(ヨンドン)高速道路の屯内(トゥンネ)インターチェンジからおよそ4km圏内にあり、ソウル首都圏からも交通の便がよい立地条件にあります。 南西には雉岳山(チアクサン)雪岳山国立公園があり、北東にはウェリーヒリーパーク(旧・現代ソンウリゾート)やフェニックス平昌(ピョンチャン)があります。 休養林には森の中の学校(研修院)、森の中の家、キャンプ場、森の中の教室、遊び場、ミニサッカー場、バレーボールコート、体力鍛錬場があり、ご家族連れ、職場の仲間、様々な団体のお集まり等におすすめの場所です。  


江原道(洪川郡)

韓国で唯一の江辺温泉で美しい景観が広がっていることで有名な場所です。 アルカリ性中炭酸ナトリウムが大量に含まれており、皮膚の皮下組織の傷を回復させる効果があり、美容に効果的とされています。また、この水を飲むと胃酸を中和させる働きをし、胃酸過多患者への効用が高いことでも知られています。その他、披露回復や神経痛、リウマチ、高血圧、アレルギー性皮膚炎、慢性湿疹などにも効果があるとされています。


江原道(春川市) , 春川

春川美術館は、1995年、江原道春川市三川洞の子ども会館の展示室から始まりました。湖畔の都市・春川を芸術と文化が息づく都市にするため、春川美術協議会の努力によって始められたもので、活発に美術作品が発表されました。その後、玉泉洞にあった中央メソジスト教会の建物を展示場として使えるようになり、春川美術館は新しく出発することになりました。現在では市民誰もが気軽に利用できる、文化の薫り漂うスペースとなっています。


江原道(三陟市)

「濬慶墓(チュンギョンミョ)」は、三陟市 未老面 活耆里にある朝鮮1代目王の太祖の5代祖の墓で、陽茂将軍の墓として1899年に永慶墓と共に修築され祭閣と碑閣が建てられました。特に、周辺には青々とした松林が広がっており、森林浴を楽しむのにも最適で、近くには観光農園もあります。毎年4月20日には全州李氏の一族により祭祀が執り行われます。


江原道(江陵市)

江門海岸(カンムン・ヘビョン)からボートで5~10分行ったところにはスキンスキューバできるポイントがあり、多くの人々が訪れています。また、周辺には獲れたて新鮮な刺身を味わえる刺身屋がある他、宿泊施設などが整備されています。


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三陟日の出祭り(サムチョクヘマジチュッチェ)が三陟市一帯で1月1日に日の出の時間を前後して開催されます。午前6時40分からコンサートや花火ショーなどのイベントが催され、日の出の時間である午前7時39分頃には初日の出瞑想や、希望の鐘つき、新年祝賀メッセージ、祈願の五色風船飛ばしなどのイベントが催される予定です。


江原道(寧越郡)

西江は平昌江と酒泉江の出会う寧越郡西面甕亭里から東江と西江の出会う寧越邑までの区間です。 西江は寧越郡西面甕亭里仙岩村から始まり、端宗(朝鮮第6代王)が最初に流罪に処した清冷浦を抱き、東江と出会い南漢江に流れます。東江を水流の激しい男性的なシンボルとするなら、西江は水流の穏やかな女性的なシンボルとして表現されます。 西江にはオルムチやシュリなど1級河川にのみ生息する淡水魚がたくさん生息し、カワウソやカワアイサ、オシドリなどが見られます。最近、新しい観光地として脚光を浴びています。 西江の特徴は仙岩村の風景ですが、この村は驚くほど韓半島の地形にそっくりです。周辺には仙岩、 寧越立石、清泠浦、韓半島地形、 観瀾亭などがあります。