京畿道(加平郡) , 南楊州


京畿道(金浦市)

金浦にある章陵は仁祖の父として追尊された元宗(1580-1619年)とその妃である仁献王后(1578-1626年)具氏の陵です。元宗は宣宗の5番目の息子で、両親への孝行心や兄弟への友愛に篤かったといいます。1615年に元宗の3番目の息子である綾昌君が誣告(事実ではないことを偽り告発すること)され、江華島に流刑(罪人を遠く離れた田舎や島に送り、一定期間限られた場所でのみ暮らすようにする刑罰)され自ら命を絶つと、これにショックを受けた元宗は1619年に若くして亡くなりました。章陵の周囲は恭陵のように整えられ、平穏で心地よい印象を与えています。近くには章陵の寺院である金井寺があります。


京畿道(楊平郡) , 楊平

70年の伝統を誇る楊平初の中国料理店です。現代風のフュージョン料理よりも正統派中華料理に力を入れています。手頃な値段でボリューム満点の料理を提供している他、広い駐車場を有しています。ソウルから店までは30~40分ほどかかります。


ソウル(龍山区)

Sortino’s(ソルティノ)は、世界各国の料理のレストランが集まる梨泰院にあるイタリアン専門レストランです。イルマーレ清潭店やロッテホテルソウルのイタリアンレストランで総料理長を勤めたサンティーノ・ソルティノ氏が自身の名をかけてオープンしたレストランです。 シェフのおすすめは、大ぶりのミートボールが入ったトマトソーススパゲッティやイタリアから空輸された窯で焼いた大ぶりのイタリアンピザです。プロシュートで包んだ燻製サーモンやサフランソースを添えたアマダイのグリルなども人気です。さらにイタリア人が好むポチーニ(きのこ)を使った料理もあります。また、片面の壁にぎっしりと装飾されたワインバーでは、食事とともに気軽にワインが楽しめます。


全羅北道(扶安郡 )

蝟島(ウィド)の村のひとつである雉島里(チドリ)マウル(韓国語で「村」の意)は小さな漁村です。静かで美しいこの村の前の海にタンチ島と小タンチ島が海に浮かんで見える様子はまるで絵画のようです。毎日2回の干潮時には村からタンチ島と小タンチ島までが陸続きになりますが、その途中には多くのカキが生息しているので道具があればカキを採って食べることができます。


京畿道(南楊州市) , 南楊州

思陵(サルン)は朝鮮王朝時代最も悲運の女性、端宗の妃・定順王后(1440-1521)宋氏の陵です。 定順王后は1453年王妃に揀擇(多くの候補者を宮殿の中に集め、王、王子、王女の配偶者を選ぶ行事で選ばれること)され、翌年王妃になりました。 端宗が首陽大君(世宗)に王位を奪われ寧越に流されると定順王后も格下げになりました。その後端宗が亡くなると東大門の外にわら葺の家を建て一生夫を思いながら暮らしました。よって墓の名前も「思陵」になったとされています。思陵は王妃の陵で、他の陵に比べこぢんまりしていて簡素です。陵の規模も非常に小さく、屛風石(陵を保護するために陵の上の周囲を屏風のように立てた四角形の平たくて大きい石)を置かずに文人石(陵の前にたてる文官の形に造った石)や石馬(陵の前に石でつくった馬)のみがあります。


全羅南道(求礼郡 )

求礼郡 土旨面 内東里にある燕谷寺は543年に華厳寺の宗主、緣起祖師が創建したが、文禄・慶長の役で焼失、さらに韓国戦争でも焼失しました。1981年3月1日当時の住職であるチャン・スンブ僧侶が政府支援と布施で昔の法堂を撤去し、そこに御影石と自然石で石垣を築いて正面5間、側面3間の新しい法堂を新築しました。寺の名前を燕谷寺としたのは緣起祖師が初めてここに来て風水地理を見ている時、現在の法堂席に池がありその池を注意深く眺めていると中央部分から水が渦を巻いて一羽のツバメが飛んでいったのを見て、その池を埋め法堂を作り寺の名を燕谷寺としました。


ソウル(鍾路区)

韓国の伝統的な宮殿の有形、無形遺産を先端技術やアートでアレンジした新しいタイプの試み「宮殿文化祝典」が4大宮殿及び宗廟、漢陽都城で開催されます。暖かい春日和が続く5月、他では味わえない、ここだけの特別なプログラムが忘れられない感動のひと時を届けてくれます。


全羅北道(全州市 )

韓国民俗芸術祭は、西ヨーロッパ文明に押され、急速に失われつつあった各地の郷土芸能を一堂に集め、技芸や特色を競い合うことで伝統民俗芸術の伝統性を確立するため、文化体育観光部、韓国文化芸術委員会、開催市・道の共同主催により、創立されました。1994年からは全国青少年民俗芸術祭と並行して開催されており、現在までこの祭りを通じて130を超える民俗芸術が発掘され、国家無形遺産に登録されました。