全羅北道(高敞郡 )

パンソリの集大成、国文学史に関して優れた功績を残した桐里申在孝(1812~1884)の古宅です。パンソリ博物館のすぐ後ろにあり、裏庭は桐里国楽団(桐里は申在孝の号)と牟陽城(倭寇の侵入に備え、1453年に建てられた自然石の城郭。別名高敞邑城)に当たります。重要民俗資料第39号に指定されている申在孝の古宅は1850年頃に建てられ、現在全面5間、側面2間の規模となっておりサランチェと桐の木、井戸などが残っています。


京畿道(儀旺市)

国立鉄道博物館は、室内展示室と屋外展示室で構成され、室内には約4000の各種貴重な所蔵物と資料室が駅舎室、車両室、電気信号通信室、施設保線室、運輸運転室に各分野別に展示されていて、未来鉄道室、列車運転体験室、鉄道模型パノラマ室、映像室を通じて韓国の鉄道の発展過程や過去・現在・未来の姿が見られるようになっています。また屋外展示には今も跡を残す蒸気機関車や狭軌列車をはじめ、各種客車、マルチプルタイタンパなどの鉄道施設装備が展示されています。こうした展示物はテレビや新聞、映画、ウェディング撮影、CMなどの野外セット場として利用されたりもします。


慶尚南道(金海市 )

烽下村は、進永邑内から東に4.5キロ離れた所にある「烽火山」(海抜140メートル)の麓に位置しており、稲作が行われてきた典型的な農村です。烽火山には烽火寺や泥棒石、ヤシ谷 (烽火山の南側)、そして有名な渓谷があります。※盧武鉉大統領の生家(ノ・ムヒョンデトンリョンセンガ)盧武鉉大統領の生家は、小さい部屋が2つと台所が1列に並んでいるだけのみすぼらしい家ではありますが、訪問客はここにある全ての物が貴重だと言います。ここの土や石、水などは訪問客に最も人気があり、中には石や土をビニール袋に入れて持って帰ったり、大統領を生み出したところの水は特別だという考えから水を汲んで持って帰る人もいたりします。


忠清南道(泰安郡 )

泰安郡南面に位置する磨剣浦海岸は安眠島に続く橋の前にある海水浴場で、まだ多くの人に知られておらず静かな海岸です。周辺には松林があり、キャンプをすることも出来ます。傾斜が穏やかなため、こどもの海水浴にも安全です。


全羅北道(南原市 )

智異山北川の麓にあるペムサコル渓谷は全長が9kmにもおよびます。ペムサコル渓谷という名前は昔松林寺という寺の伝説からペムサコルと呼ばれるようになりました。般若峰とトッキ峰から南原市山内面に流れる渓谷の紅葉が美しいことで有名で、夏の避暑地としても有名です。


全羅北道(金堤市 )

帰信寺は676年に義相大師(新羅時代の僧侶)によって創建された寺で、当時は国信寺と呼ばれましたが、新羅時代末に現在の名前になりました。1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の影響で火事となり廃墟と化しましたが、1873年に再建されています。 現在残っている建物は、宝物第826号として指定されている大寂光殿を始めとして、冥府殿、山神閣、寮舎などがあり、重要文化財として帰信寺の3重石塔(地方有形文化財62号)、舎利塔である帰信寺浮屠(地方有名文化財63号)、西側を見ながら横たわる獅子像などに男根石を奉った帰信寺石獣( 地方有名文化財64号)があります。


ソウル(瑞草区)

"大切な人、大切なご縁、だからこそ笑いいっぱいのご宴会 大統領カルグクスで有名な「安東グクシ ソラム」のグクス作りの秘訣に、若くて洗練した感覚が加わったグクス専門食堂です。"


京畿道(加平郡)

癒しと休息の都市、加平郡にあるインタラクティブアート専用館「インタラクティブアートミュージアム」。韓国の有名アーティストらが参加したインタラクティブアートは、芸術に最先端科学を組み合わせることで少し難しく感じられる美術を不思議で幻想的な体験ができるように制作された新しい概念の美術コンテンツです。文化芸術的コンテンツと立体的相互作用体験を通じた錯視効果のマルチメディアを活用した五感的体験を同時に経験することができる展示空間となっています。


全羅南道(潭陽郡 )

昌平スローシティは1510年頃に形成された村で東の方には月峰山、南側にはクッス峰がそびえています。村の前を流れる川の様子が鳳凰が羽を伸ばして取り囲んでいる形に見えることから三支(内)川と呼ばれてもいます。この村は周辺が自然豊かだったため、昔から農産物が豊富な地域でした。村内には市道民俗資料第5号「潭陽古再生家屋」を中心に数軒の伝統韓屋がそのまま残っているため、伝統村としての価値が高いと言われています。


忠清北道(鎮川郡 )

鎮川の鐘博物館は韓国の鐘の研究、収集、展示、保存はもちろん企画展示、教育など多様な活動を通して世界的にその価値が認定された韓国の鐘の芸術的価値と優秀性を広めようと2005年9月に開館されました。また国内で最も先立って調査された鎮川石帳里の古代鉄生産遺跡地がある鎮川に建立されたのには深い意味があります。鎮川の石帳里では韓国で初めて4世紀代に編年される古代製鉄路の実例が発見されたという点を挙げると、当時金属工芸の製作も可能であったことを意味します。 鎮川の近隣地域である清州雲泉洞で統一新羅時代後期の梵鐘が出土され、高麗時代の龍頭寺址の鉄幢竿も残っています。古代遺跡の中で最大規模の製鉄路を所有していた鎮川に金属芸術の極値を見せてくれる梵鐘の文化を称する鐘博物館の建立は必然的な縁であったと言えます。