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鎮下海水浴場(チナヘスヨッチャン)は、蔚山から24km東南の位置にある長さ1km、幅300mの海水浴場で、水深が浅く、南海の海の特性上、海水の温度が温かく、波も穏やかなため海水浴を楽しむのに適した条件がそろっています。また、松の林に囲まれているため松の香が漂っており、落ち着いた雰囲気のある海水浴場です。釜山の海雲台、日光海水浴場へと繋がる海水浴場で、96,000㎡という広々とした砂浜を誇り、写真作家やサーファー、海釣り愛好家の足が1年を通して途絶えることがありません。松の森ではキャンプと炊事を無料ですることができ、簡易シャワー場や更衣室なども備わっています。釜山からも車で1時間なため、夏の海水浴シーズンになると30万の人々が訪れます。


光州広域市(光山区)

月峰書院(月峯書院/ウォルボンソウォン)は、1578年に金継輝を中心とした地方儒林(儒学者の仲間)が、学問と徳行に優れた性理学者・奇大升を追慕するため、光山郡飛鴉面山月里に「望川祠」を建て、位牌を祭ったのがはじまりです。その後、場所を移し、1654年には朝鮮第17代王・孝宗より「月峰」という名を賜りました。1671年には、宋時烈らの建議で近くの徳山祠に祭られていた朝鮮中期の文臣・朴祥と朴淳を月峰書院に移し、1673年には礼学の大家・金長生と金集が新たに祭られました。先賢を祭るとともに地方教育の一翼を担っていた月峰書院でしたが、1868年に興宣大院君の書院撤廃令により撤廃されます。その後、1938年になってようやく全羅南道の儒林によって「氷月堂」が再建されると、1972年に庫直舍、1978年に外三門と蔵板閣、1980年に祠宇、1981年に内三門が建立され、今の姿となりました。現在、氷月堂は光州広域市記念物第9号に指定されており、蔵板閣には『高峰集』の板木474枚が保管されています。      


済州道(済州市 )

済州オルレウォーキングフェスティバルは、韓国の代表的なリゾートである済州島に作られた世界で最も美しい道である済州オルレで繰り広げられる世界的なウォーキングフェスティバルです。フェスティバル参加者は上り下り、海、石垣が連なる済州オルレをゆっくり歩きながら済州の美しい自然風景を満喫でき、済州オルレが通る各村では済州の新しい食べどころを利用した多彩な料理や済州の伝統文化を再現した各種公演が準備され楽しめます。参加者たちは済州オルレコースを毎日1コースずつ歩き、多様な文化体験をすることができるこのイベントは2010年から始まり毎年11月に開かれています。 外国人は当日申込みのみ可能です。


全羅北道(全州市 )

「大私習(デサスプ)」はもともとパンソリの集まりで、朝鮮の王だった英祖(ヨンジョ)時代前後に全州(チョンジュ)で生まれ、綿々と受け継がれてきたものです。全州大私習ノリの由来は、冬至の日に国内の優秀な芸人を集めて夜通しパンソリを聞き、これが発展してお互い競演をするようになったものです。全州大私習ノリの広場は、全国の名唱(優れた歌い手)が大集合し、お互いの芸を競う場となっています。 全州の4大文化祭りにあたる全州大私習ノリ全国大会(チョンジュデサスプノリ・チョングクデフェ)は、当代最高の名人、名唱たちの発掘の場となってきました。有能な国楽芸術人発掘を通じた韓国民俗文化のグローバル化に寄与してきた行事で、韓国の歌と言えるパンソリを始めとして、伝統音楽の農楽や民謡、舞踊、韓国伝統の詩である時調、伽倻琴、矢を射る弓道などに至るまで、韓国伝統の全ての文化に接することができる、めったに無い機会です。


慶尚北道(高霊郡 )


江原道(太白市)

太白市黃蓮洞クワウ村は、周辺の地形が「9匹の牛が寝そべっているような形」であることがからそう呼ばれています。海抜800~900mにある高原自然植物園は、絶滅危機にある植物を保護する植物園として建てられました。多くくの人たちが韓国の花、植物を身近に感じることのできる場所です。ひまわりが満開になる8月には「太白ヒマワリ祭り」が開催れ、芸術家達も参加し、絵画展や写真展や廃材を活用して創作された環境彫刻展が行われます。


慶尚北道(安東市 )


済州道(済州市 )

牛島の珊瑚海岸(サノヘビョン)(西浜白沙海水浴場)は、エメラルド色の澄んだ海と、珊瑚礁でできた白い砂浜が広がります。水深によって海の色が違って見えるため、南太平洋や地中海にも劣らない美しさを誇ります。


江原道(三陟市) , 三陟

甑山海水浴場(チュンサン・ヘスヨクチャン)は小奇麗で静かな海水浴場で、日の出で有名な東海市にある湫岩(チュアム)海水浴場の「チョッデバウィ」を近くで見ることが出来ます。又、平均水深が1~2mで、夏休みには泳ぎを楽しむ人々で賑わいます。 特に周辺には願い事をすると叶うという「ドラゴンボール」の造形物や「水路婦人公園」があり、冬の海の浪漫と趣を思う存分味わうことができます。 アクセス方法: 三陟ターミナルから市内バス(10-1番)を利用。約20分所要。 お問い合わせ) +82-33-1330(英・中・日)


慶尚北道(奉化郡 )

清涼山道立公園(チョンニャンサン・トリプコンウォン)は昔から高僧と文人が留まった地域。この山は奇岩絶壁が12峰を成し、洛東江が山を囲むように流れています。新羅(57B.C.-A.D.935)の文武王(文武王在位661-681)3年(663年)に元暁大師(元曉大師617-686.3.30)が建てた清涼寺を始めとする寺院や庵、寛倉の滝など数多くの見所があるところです。 清涼山道立公園の岩石の後ろには朝鮮時代の有名な学者・退溪李滉(1501-1570)の「清涼山歌」の詩碑があります。 退溪が儒学を教えた学校である陶山書堂(トサンソダン)を建てる時、この清涼山に建てるか、現在の陶山書堂の位置に建てるか最後まで悩んだとされています。 清涼山は退溪李滉だけではなく新羅時代の僧侶である元暁義湘(625-702)や名筆家・金生(711-791)、学者・崔致遠(857-?)などが訪れ修行した山。そのため彼らにまつわる話が数多く残っており今でも彼らを慕う人々が訪ねてきます。 文化財としては清涼寺と応真殿、また退溪が文人達と講論した場所に弟子が建てたという吾山堂や高麗・恭愍王(在位1351-1374)が紅巾的の乱(農民反乱)の際に作られたという清涼山城などがあります。