ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

「漢江ウォーターファイト祭り(ハンガンムルサウムチュッチェ)」では水風船や水鉄砲を使い、チームを分けて行う「水合戦」が楽しめる他、有名DJやヒップホップミュージシャンも参加するエレクトロニック&ヒップホップフェスティバルも開催され、暑さ・日常に疲れた人々に活力を与えます。


京畿道(抱川市 ) , 抱川

京畿道抱川にある韓佳園は韓菓文化博物館と韓菓文化教育館からなり、博物館見学に加えて韓菓作りを体験することができます。韓菓文化博物館は韓国で初めて韓菓(韓国伝統菓子)をテーマに作られた博物館です。1階の展示室では韓菓の歴史と由来、韓菓の作り方、道具、韓菓の種類など韓菓の基本について学ぶことができ、2階では季節ごとの韓菓、伝統茶と楽しむ韓菓、韓菓と世界のお菓子、抱川韓菓、韓菓の名人、抱川の観光地などが紹介されています。また、韓菓文化教育館では韓菓文化博物館での展示内容と連携した、韓菓にまつわるプログラムを行っていてユグヮ、ヤックァなどの伝統韓菓の手作り体験、茶道及び伝統工芸体験を通して韓国の伝統作法と文化に親しむことができます。


全羅北道(完州郡)

松広寺は全羅北道完州郡所陽面にある千年古寺です。大韓仏教曹渓宗松広寺は新羅景文王7年(867年)に九山禅門の開山祖である普照体澄禅寺が開創しました。元来の寺名は白蓮寺で、現在の一柱門が3km離れたところにありましたが、歴史の変遷により廃寺となったものを順天松広寺の普照国師知訥僧が復元後、現在の寺の殿閣は1600年代に普照国師の弟子達が大々的に仏寺の再建を推進したものです。特に丙子胡乱で昭顕世子と鳳林大君2人の太子を清の国に人質として送った仁祖大王が2人の太子が無事に帰還することと国乱の痛みをお釈迦様の加護で治癒しようと大々的に再建立した仁祖大王の護国寺です。このような歴史の痛みを治癒するための護国寺であることからか、大事があると大雄殿、羅漢殿、地蔵殿の仏像が多くの汗と涙を流すと言われています。特に大雄殿の仏像はKAL機爆破事件、12.12事件、郡山ヘリ沈没事件、江陵潜水艦沈没、そして1997年12月2日から13日まで膨大な量の汗と涙を流し、I.M.F寒波を予見したと言われています。全国でも有名な4つの道場の中で最大規模の地蔵殿に奉安されている地蔵菩薩増と四王像、羅漢殿の釈迦如来と500の羅漢像は、大雄殿と共に多くの人たちの参拝所となっており、また、傾斜の少ない平地に建てられた寺であるためお年寄りの方でも楽に上がることができ、大型バス30台が駐車することができる大型駐車場と食堂があります。春は松広寺の桜並木がとても美しいです。大雄殿、三世仏像、亞字形彫刻、四天王像など4点の宝物文化財と8点の有形文化財など歴史の息吹を感じることのできるお寺です。* 遺物1) 金剛門 全羅北道 有形文化財 第173号2) 木造三殿牌 全羅北道 有形文化財 第170号3)塑像三座像及び腹蔵仏像宝物 第1274 号4) 瞑府殿 塑彫地藏菩薩三尊相及び巻属上一括 全羅北道 有形文化財 第168号* 主要文化財1) 大雄殿(宝物第1243号)2) 塑彫 三世仏像(宝物第1274号)3) 十字閣 (宝物第244号)4) 四天王像 (宝物第1255号)


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

30年の伝統韓定食レストランです。代表的なメニューは韓定食です。ソウル特別市のインサ洞に位置した韓食です。


忠清北道(忠州市 )

韓国最大のコンクリート多目的ダムである忠州ダムは忠州市の宗民洞と東良面の槽東里をつなぐダムで南漢江を防いで水資源確保および洪水被害防止、電力生産を目的としています。忠州ダムには水展示館、記念塔、休息空間が用意され、ヘリコプーター着陸地、忠州湖の遊覧船に乗ることができる忠州船着場などもあります。高さ97.5メートル、長さ447メートル、貯水容量27億5千万平方メートル。


京畿道(平沢市 ) , 平沢


慶尚南道(金海市 )

蔚山のホテル文化に新たに開いたロッテホテル蔚山は、新都心にある地理的便利さと共にバスターミナルと金融圏、映画館そしてロッテデパートが近くにあり、最適のビジネス環境を提供しています。    


ソウル(松坡区)

「OBALTAN(オバルタン)」は堅炭を入れた火鉢でホルモンを焼いて食べるホルモン焼き専門店です。若い世代から中高年層まで誰もが美味しく食べられるように厳選した食材を使用しており、心のこもった味とサービスを味わえるお店です。


江原道(鉄原郡)

鉄の三角地(チョレ サムガクジ)は金化、平康、鉄原を結ぶ地域。この地域は韓国戦争当時の激戦地で多くの死傷者が出たところで、韓国戦争以外にも白馬高地戦闘、五聖山戦闘などがこの三角地帯で起きました。1953年の休戦以後は一般人の出入りが統制されていましたが、韓国戦争の惨状を見せる生きた教育の場として1989年11月から公開されています。北韓(北朝鮮)軍が南侵のための中部戦線の本拠地にしたこの場所は、韓国軍が攻撃するには不利で、敵が防御するには良いという地形的特色を持っています。戦跡地には「鉄馬は走りたい」という看板と汽車の残骸、労働党社、第2トンネルがあります。地域住民の強制募金と労働力動員で作られた地上3階のソ連式建物である労働党社では反共活動をした多くの人々が拷問され虐殺されました。党社裏側に設置された防空壕では現在も遺骨と実弾、針金などが見つかっています。またソウル北方108km地点では北韓(北朝鮮)の南侵用第2トンネルが見つかっています。ここは安保の教育場の役割とともに、渡り鳥の渡来地としても知られています。