ソウル(鍾路区)

鐘路区東崇洞にあるこのお店はリラックスしながら食事を楽しむことができるダイニングカフェです。広いテラスと洗練されたインテリアで女性に人気のお店です、おいしい食事、コーヒーとデザートを一度に楽しむことができ、午後9時以降はライトアップされて昼間とは違う雰囲気でカクテルやワインを楽しむことができます。


光州広域市(東区)

禹済吉美術館は光州の象徴である無等山の純朴で重みのあるイメージを四角く造り、光州市民たちの精神世界を造形化させ、光州の発展を祈願した内容を表現しています。


京畿道(加平郡) , 南楊州

野外庭園で見ることができる素朴な初春の花々の他に、室内展示室で新春を伝える野性の花々約300種類を見ることができます。漢拏山、鬱陵島、白頭山をはじめとした韓半島の野生の花と貴重な特産植物、世界の高山植物など通常見ることが難しい植物を見ることができます。


釜山広域市(中区) , 南浦洞(チャガルチ市場)

チャガルチ市場は、夜明けから開かれる韓国最大の魚市場で釜山の有名な観光地です。沿岸と南海からとれるタラ、ニシン、太刀魚、貝、海藻などを主に販売しています。多くの新鮮な魚介類だけでなく活気に満ちた元気で情け深い釜山商人と触れ合うことができるでしょう。韓国人だけでなく外国人の観光客にも大人気の観光コースで韓国ならではの人情にふれることができます。食品部ではその場で漬けた塩辛や天然調味料などを購入できます。


ソウル(城北区)

崔淳雨家屋は兮谷・崔淳雨(1916~1984)氏が1976年から逝去されるまで居住していた家で、登録文化財第268号に指定されています。本名は熙淳、出生地は開城。美術史学者であり、博物館専門家として、韓国の陶磁器や伝統木工芸、絵画史の分野で力を発揮し、多くの業績を残しました。近隣の地域開発により取り壊しとなる危機に直面しましたが、2002年韓国ナショナルトラストが市民と協同で購入し、2004年から(財)ナショナルトラスト文化遺産基金が管理・運営するようになりました。崔淳雨家屋は2004年に開館し、崔淳雨先生の遺品や作品が展示された「崔淳雨記念館」を運営しています。


ソウル(中区) , 乙支路・忠武路・南山

華僑出身の社長が1989年にお店をオープン以来、親子2代にわたって営業を続けています。会社の飲み会や家族との外食などにぴったりの場所です。1996年、TV(SBSリアルコリア)におこげスープ(ヌルンジタン)が紹介されたことで全国的にも有名になりました。


慶尚北道(慶州市 )

慶州高速ターミナル横の西川橋を渡ると、右手に金庾信将軍のお墓に行く道が現れます。この道は、春になると黄色いレンギョウや桜が満開となり、ドライブコースとして人気を集めます。この場所は、ソンファ山の峰が東に伸びた壮麗な景色を誇る松の森にあり、他の王陵に負けない華やかさを有しています。お墓は、高さ30mにも上る大きな円形をしており、周りには24枚の護石と石の欄干が置かれています。また、護石と欄干の間には石が敷き詰められています。護石は十二支神像が刻まれていますが、王陵を護る守護神は普通、鎧を着ているのに対し、このお墓の十二支神像は平服を着て武器を持った様相をしています。体は正面を向いたまま、顔だけ右を注視した姿が変わっていて、武装をしていないせいか、非常に穏やかに見えるのが特徴です。1963年1月21日史跡第21号に指定されました。


済州道(西帰浦市) , 中文(チュンムン)リゾート

中文観光リゾートにある「如美地(ヨミジ)植物園」は、南国ムードが漂う東洋一の植物園で、敷地面積3万4千坪に達する大きな植物園です。約3千8百坪の温室には花と蝶が調和する花蝶園をはじめ、水生植物園や生態園、熱帯果樹園、多肉植物園などがあり、世界各国の珍しい植物を含む約2千種の植物を見ることができます。他にも温室の外には済州島に自生する植物を集めたエリアと、韓国、日本、イタリア、フランスの庭園を模して造った民俗庭園もあります。温室と庭園の間には60人乗りの観光遊覧列車が走っており、38mの展望台に上ると中文観光リゾート天帝淵瀑布などが見渡せるほか、天気のいい日には韓国最南端の馬羅島(マラド)まで見えることもあります。


ソウル(麻浦区) , 弘大

「サモニムとんかつ」は、路地の奥深い場所にありながらも人気のとんかつ屋です。厚めの肉を使ったとんかつもさることながら、一緒に出される新鮮な野菜やじゃがいものバター焼きもおいしいと評判です。また、ボリュームがあり男性も一皿で満足できるのも魅力です。


仁川(江華郡) , 江華島

高麗宮趾は高麗が39年もの間、蒙古の侵略に粘り強く抗戦した宮闕の跡です。1232年高麗高宗は、江華島に都を移し、その2年後の1234年に宮闕と官衙の建物を完成させました。1270年に蒙古と和解をし開城に都を戻した後、宮闕と城廓は崩壞しました。1637年、江華山城が清軍に陥落したため、高麗宮の跡地には朝鮮宮殿の建物などがあったが、1866年丙寅洋擾の時フランス軍に敗退し建物のほとんどが消失し、今は東軒と吏房庁だけが残っています。ここは1977年に補修が行われ、民族の自主精神と国難克服の歴史的教訓を実現する国民教育の場として活用されています。