ソウル(鍾路区) , 三清洞・ソウル北部

美術文化の多様化のためにオープンした錦湖美術館(クモミスルグァン)は、才能のある芸術家たちの作品を展示する企画展を定期的に開催しています。1989年に寛勲洞にて「錦湖ギャラリー」としてスタートした錦湖美術館は、より広い展示空間を確保するため、1996年に現在の場所に移されました。


ソウル(麻浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

韓国映画マニアの聖地「韓国映画博物館(ハングクヨンファバンムルグァン)」は、文字通り韓国映画のすべてをみることのできる場所です。韓国映画の収集・保存・上映にとどまらず、海外映画や芸術映画の収集・保存もする韓国最大のフィルムアーカイブです。映画観覧はもちろん、映像づくり、映画制作に関連した職業体験、こども映画アカデミーといった体験プログラムも用意されています。


慶尚北道(安東市 )

安東の有名な観光地であり、1999年にイギリスのエリザベス女王が生活した場所としても有名な安東河回民俗村の入口に、1995年9月に開館した仮面の博物館です。重要無形文化財第69号である河回仮面制作芸能保有者である金東表館長が建てたものです。 河回仮面は、韓国唯一の国宝として指定されています。河回村で行われていた「河回別神グッ仮面劇」の時に使用されていた仮面で、もともとは人間の仮面12個と動物の仮面2個がありましたが、人間の仮面3つが紛失してしまい、現在は11個が保存されています。河回仮面の正確な制作年代は明らかになっていませんが、11~12世紀だと推測されています。この河回仮面が長い月日を越えて後世に残すことができた理由は、1年に1度開かれる河回別神グッの時だけ使用され、河回別神グッが終わるとすぐに集められ、1ヶ所に保管されてきたためです。また、普段は河回仮面に近づくことが禁じられていることも、河回仮面の保存に寄与したと推測することができます。河回仮面は、実際の人間の顔のように左右が非対称で、いくつかの仮面はあごが分離されていて、見る角度や動きによって多様な顔の表情が演出されます。 本物の河回仮面は、ソウルにある国立中央博物館にあり、河回洞仮面博物館(ハフェ・タルバンムルグァン)には、この博物館の館長である金東表氏が本物と同じように作った河回仮面を含む韓国の仮面19種300点、35カ国の外国の仮面500点は所蔵、展示されています。 またひょうたんや木、韓紙を利用して仮面を作る過程を順番に展示しているコーナーが備えられており、河回別神グッに登場する人物の蝋人形と様々な小道具も展示されています。一方、約300㎡規模の野外遊技場は、安東市で開催される有名な祝祭「国際仮面踊りフェスティバル」などの仮面踊り公演場として活用されています。


仁川(南洞区)

仁川南西の入江に位置する蘇来浦口総合魚市場(ソレポグ・チョンハプオシジャン)は昔ながらのチョッカル(塩辛)市場です。 規模は小さいながらも自然に発生した市場で、エビの塩辛をはじめとする各種チョッカルと水産物を販売し、平日にも3000人余りが訪れます。 エビの他にはイイダコ、イシモチの内臓、カニなど多種多様。特にキムジャン(越冬キムチの漬け込み)の時期に販売されるキムチ漬け用生エビが最もよく売れる品目となっています。 蘇来市のピーク期は6月、9月、11月。新鮮な水産物を味わうなら、この時期が最適です。 また魚とチョッカル類を販売する魚市場入口には刺身屋が立ち並んでおり、市場内には屋台の刺身屋もあります。塩辛を買った後は刺身を楽しんで帰る行楽客も大勢います。  


済州道(西帰浦市) , 서귀포

中文観光団地内に建つ古風な99間の伝統家屋の済州馬苑では、馬肉料理や郷土料理を提供しています。家屋はパーティーを開くことのできる屋外庭園や別棟、お客様にお食事を提供する母屋があります。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

ソウルの中心地に位置する徳寿宮(トクスグン)は、朝鮮時代・成宗(1469-1494)の兄である月山大君(1454-1488)の住まいだったところです。徳寿宮が宮殿としての顔を持つようになったのは光海君(1575-1641)が即位して1611年に「慶運宮」と名付けてからのことで、その後、高宗が1907年、王位を純宗に継がせた後、ここに住むようになり、高宗の長寿を願うという意味の「徳寿宮」と呼ばれるようになりました。 徳寿宮の入り口である大漢門を通ると禁川があり、王の駕籠が渡れるほどの幅の禁川橋があります。 中和殿 法殿である中和殿は長い歴史を物語るような古風な建物。内部の天井には2匹の龍が描かれていますが、この爪の数は7本となっています。これは龍の爪の数が中国、韓国を問わず大部分が5本で王を表すのに対し、7つは皇帝を象徴するという意味を持っています(※中和殿は土・日9:00~16:00まで開放)。 即祚堂 即祚堂は光海君と仁祖(1595-1649)が即位式を行った場所。即祚堂の扁額は高宗が1905年に皇帝に即位した後、直接書いたものです。 咸寧殿 咸寧殿は高宗の寝殿で「咸寧」という名前は高宗が国の平安を祈願し付けられた名前で、中心を境に東側は皇帝の部屋、西側は皇后の部屋になっています。 静観軒 静観軒は1900年に建てられた最初の西洋式建物で、ここは高宗がコーヒーを飲みながら余暇を楽しんだと言われており、裏側にはロシア公園に通じていた狭く長い秘密地下通路が今も残っています。 石造殿 石造殿は静観軒とともに現在、慶運宮に残っている西洋式建物で、英国人が英国の資材で建設を進める中、1905年に日本に主導権が渡り1910年に完成したという経緯があります。そして高宗が他界した後、石造殿は日本美術品の展示館として一般人に公開され、1946年5月には米ソ共同委員会がここで開かれたりもした意義深い所でもあります。現在、石造殿東館は宮中遺物展示館が、西館は国立現代美術館分館が入っています。 重明殿 重明殿はロシアの建築家Seredin Sabatinの設計によるもので、1897年から1901年にかけて建設された皇室図書館です。2階建ての西洋式の建物で、初めは漱玉軒と呼ばれていました。2009年12月に復元が完成し、2010年8月から展示館として一般公開されています。 重明殿の観覧に関するお問い合わせ +82-2-732-7524 平日:午前中は自由観覧、13:00、14:00、15:00、16:00(午後の観覧は事前にインターネットで要予約) 週末:10:00、11:00、13:00、14:00、15:00、16:00(週末の観覧は事前にインターネットで要予約) 


京畿道(安養市)

安養市の北側には「冠岳山」の山並みが続き、南西側には修理山と秀巖峯が並んでおり、自然に囲まれた街の「安養市」。この山々には渓谷や川岸公園が整備されており、首都圏からの観光客に人気を集めています。安養芸術公園は、安養駅から北東側に2㎞ほど離れた場所にあります。ここには、冠岳山や三聖山にある谷から流れるきれいな水を利用して作ったプールなどがあります。公園の周辺には、その昔、京畿道名物の1つであった安養ブドウ畑が続いていました。しかし、今はなくなってしまいました。 安養公園は、ボート乗り場や子どもの遊び場、バンガローなどの便宜施設やレジャー設備が完備されている他、渓谷に沿ってきれいな水が流れており、首都圏や地元の住民の憩いの場として活用されています。


釜山広域市(東区)

現代百貨店釜山店は、95年の開店以来、高品格で差別化されたサービスで地域の流通文化を先頭しています。地域最高のデパートとして世界的なブランドを始めとしてモダンとクラシックが調和されたファッションの中心地として快適なショッピング環境です。


ソウル(龍山区)

ブルーミングギャラリーは大勢の職人が直接デザインした手づくりのアクセサリーを販売しています。特に商品を販売するだけにとどまらず、展示会の形式で、職人のアクセサリーばかりでなく絵や彫刻など数多くの作品を、人々が多く通り過ぎる所に展示して、行き来する客に紹介しています。やや煩雑な龍山のショッピング街で芸術に出会うことで心が安らぎます。


4.0/1
釜山広域市(水営区)

アクアパレスホテルにはゆっくり休めるスタンダールルームを始め、伝統の趣を生かしたインテリアのオンドルスイートルーム、すばらしい展望と洗練されたインテリアが調和したロイヤルスイートルームなど、70室以上のリゾート風の客室が準備されています。また地下816mの海洋深層水を使った温泉、100mのウォータースライダーや国内初の屋内造波プール、ユニークなチムジルルーム、ゴルフセンターなどの様々な施設があります。