ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

1985年にオープンして以来、ソウルを代表する観光名所に挙げられる63(ユッサム)シティは、漢江のふもとで黄金色に輝くビル。名前の通り地上60階、地下3階の全63階となっており、60階の展望フロアからは晴れた日には仁川沖まで眺めることができます。 展望台の他にもアイマックス映画館や水族館、ショッピング街、11の専門レストランがあり、1日中楽しむことができます。 63シーワールド:1985年7月27日、韓国初の都心大型水族館としてオープンした63シーワールドは、年間100万人以上の観覧客が訪れる所です。地下1階 453坪、地下2階 470坪のフロアに基本展示水槽が54あり、特殊生物飼育用水槽は26あります。 63シーワールドには約400種の海洋生物約2万匹が飼育されており、展示水槽以外にも逝虫類展示館とイベント展示館もあります。また毎日決まった時間にアザラシショー、おっとせいショー、女性ダイバーによるマジックショーなども行われています。 63アイマックス映画館: 63アイマックス映画館は、2006年 2月にリニューアルオープンした映画館。外国人観覧客のために 4ヶ国語音声多重システムを取りいれており、快適に映画を楽しむことができます。臨場感あふれる映像とサウンドが体験できます。 展望台: 海抜264メートルの63ビル展望台。漢江を真下に見下ろす展望とソウルの都心部が調和した様子を楽しむことができます。 その他: 59階から56階には韓国料理、中華、和食、洋食など様々な料理をソウルの景色を楽しみながら味わうことができます。また地下1階はファーストフードやスナックを販売するフードコートがあるほか、およそ400類のメニューが揃ったバイキング「パビリオン」もあります。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

ソウルの中心地に位置する徳寿宮(トクスグン)は、朝鮮時代・成宗(1469-1494)の兄である月山大君(1454-1488)の住まいだったところです。徳寿宮が宮殿としての顔を持つようになったのは光海君(1575-1641)が即位して1611年に「慶運宮」と名付けてからのことで、その後、高宗が1907年、王位を純宗に継がせた後、ここに住むようになり、高宗の長寿を願うという意味の「徳寿宮」と呼ばれるようになりました。 徳寿宮の入り口である大漢門を通ると禁川があり、王の駕籠が渡れるほどの幅の禁川橋があります。 中和殿 法殿である中和殿は長い歴史を物語るような古風な建物。内部の天井には2匹の龍が描かれていますが、この爪の数は7本となっています。これは龍の爪の数が中国、韓国を問わず大部分が5本で王を表すのに対し、7つは皇帝を象徴するという意味を持っています(※中和殿は土・日9:00~16:00まで開放)。 即祚堂 即祚堂は光海君と仁祖(1595-1649)が即位式を行った場所。即祚堂の扁額は高宗が1905年に皇帝に即位した後、直接書いたものです。 咸寧殿 咸寧殿は高宗の寝殿で「咸寧」という名前は高宗が国の平安を祈願し付けられた名前で、中心を境に東側は皇帝の部屋、西側は皇后の部屋になっています。 静観軒 静観軒は1900年に建てられた最初の西洋式建物で、ここは高宗がコーヒーを飲みながら余暇を楽しんだと言われており、裏側にはロシア公園に通じていた狭く長い秘密地下通路が今も残っています。 石造殿 石造殿は静観軒とともに現在、慶運宮に残っている西洋式建物で、英国人が英国の資材で建設を進める中、1905年に日本に主導権が渡り1910年に完成したという経緯があります。そして高宗が他界した後、石造殿は日本美術品の展示館として一般人に公開され、1946年5月には米ソ共同委員会がここで開かれたりもした意義深い所でもあります。現在、石造殿東館は宮中遺物展示館が、西館は国立現代美術館分館が入っています。 重明殿 重明殿はロシアの建築家Seredin Sabatinの設計によるもので、1897年から1901年にかけて建設された皇室図書館です。2階建ての西洋式の建物で、初めは漱玉軒と呼ばれていました。2009年12月に復元が完成し、2010年8月から展示館として一般公開されています。 重明殿の観覧に関するお問い合わせ +82-2-732-7524 平日:午前中は自由観覧、13:00、14:00、15:00、16:00(午後の観覧は事前にインターネットで要予約) 週末:10:00、11:00、13:00、14:00、15:00、16:00(週末の観覧は事前にインターネットで要予約) 


5.0/1
ソウル(鍾路区) , 東大門

広蔵市場(クァンジャン・シジャン)は、市場の名称を東大門市場とし、市場の経営体法人名は広蔵株式会社と命名し、1905年7月5日に開設されました。発足当時の市場は、活動と機能が閑散としており、市場の運営は1日市、隔日市、3日市、5日市、7日市などの方式がとられましたが、常設市場として運営されていたという点では、市場の開拓上で先駆者的な役割を果たしていました。当時の主要な取り扱い商品は、農水産物、薪や炭などでした。 現在の主要な取扱商品は、絹織物、衣装布(韓服)、織物(洋服)、女性衣類製品、カーテン、寝具、手芸品、螺鈿漆器、厨房用品、生鮮、精肉、青果、乾物、祭祀用品などで、相当量の取引が行われる総合市場であると言えます。現在、観光コースとしても指定されており、多くの外国人観光客が訪れています。 市場が休みの日曜日にも露天商通りがあり、食いだおれ通りも営業しています。ここでは、刺身、キンパプ、スンデクッパ、カルグクス、ビビンパ、そしてピンデトクなど日本では食べられない韓国の食べ物を味わえます。    


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

ソウルの盤浦大橋に設置された噴水「ムーンライト・レインボー噴水ショー」は盤浦大橋の570メートル区間の両側に380個のノズルを設置し、水中ポンプで汲み上げた漢江の水を約20メートル下の水面に落とすという新しい概念の噴水です。この噴水ショーは昼と夜で異なる姿を楽しむことができます。噴出する水の量だけで1分当り190トンに達するムーンライト・レインボー噴水ショーは、昼は柳と柳の葉をイメージしたものなど百種類余りの形の噴水が楽しめます。夜は虹の色の噴水で華やかに変身します。設置された200個のライトは美しい虹模様の夜景を披露し、音楽に合わせて踊る噴水が市民にまた一味違った楽しさを披露してくれます。ムーンライト・レインボー噴水ショーは、世界最長橋の噴水としてギネスブックに登録され、世界でも認められています。この噴水は毎年4月から10月まで毎日稼動し、1日4~6回(1回当たり20分)噴水ショーが行われます。公園には野外ステージや生態観察円、ピクニック空間などもあります。 


4.0/1
ソウル(鍾路区) , 東大門

長い歴史と伝統を誇る「東大門総合市場(トンデムンチョンハップシジャン)」は、韓国を代表する市場として1970年12月23日に東洋最大規模の単一市場として始まりました。1985年12月に東大門ショッピングタウンがオープンし、現在はA~D棟とショッピングタウンの5棟でなっています。反物類、アクセサリー、衣料副資材、婚礼用品などを専門として約5,000店の商店が密集し、特に反物類と衣料副資材市場は、国内外で最新のものをリアルタイムで補給し、国内最大の物量があります。国内有数のファッション業者や海外業者も必ず立ち寄り、国際的なファッション市場として国内はもちろん国際的なショッピングの名所のシンボルです。 


ソウル(中区) , 明洞

1979年にオープンしたロッテ百貨店本店は、韓国のショッピング文化をリードする百貨店として、世界のブランドから生活用品に至るまで多様な商品と充実したブランドラインナップを提供しています。また、免税店や食堂街が併設されており、韓国でも大型の百貨店として広く利用されています。交通の便が良く、外国人観光客も多く訪れる百貨店です。


ソウル(中区) , 乙支路・忠武路・南山

1998年4月18日に開館した「南山コル韓屋村(ナムサンゴルハノクマウル)」は、総面積79,934平方メートル(24,180坪)の敷地内に、伝統韓屋5棟、伝統工芸展示館、泉雨閣、伝統庭園、タイムカプセル広場などがあります。1994年にソウル定都600周年記念事業の一環として作られたタイムカプセル広場と南山コルの趣を考慮して作られた伝統庭園、またソウルのあちこちに散っていた伝統家屋5棟を移転、復元した韓屋村から成っており、これは南山コルの本来の姿を蘇らせる事業の一環として作られたものです。 南山コル韓屋村の一番奥に位置するタイムカプセル広場には、ソウル市民の生活の様子を垣間見ることができる600個の品々がタイムカプセルに入れられて、地下15mに埋められています。このタイムカプセルは400年後の2394年に開けらる予定です。タイムカプセル広場に沿って下りてきた所に広がる伝統庭園は、南山の地形を活かし緩やかな丘陵地と渓谷を作り、松などが植えられ、楼閣と遠くに広がるソウル市内の景色を通してソウルの過去と現在の姿を感じることができます。 韓屋村にある韓屋は、民俗資料として指定されたソウル市内にある23の伝統家屋のうち、アレンジなどが加えられていない純粋な韓屋から、鍾路区三清洞の「五衛将・金春栄の旧屋」、鍾路区寛勲洞の「駙馬都尉・朴泳孝旧屋」、鍾路区玉仁洞の「純貞孝皇后尹氏の実家」、東大門区祭基洞の「海豊府院君・尹澤栄の斎室」、中区三角洞の「都辺首・李承業の旧屋」の5棟の韓屋を移転、復元したものです。これらのうち、建物の移転が困難なほど老朽化が進んでいた純貞孝皇后尹氏の実家のみ新しい資材を使用して復元をし、他の4棟は全て建物をひとつずつ分解して移転。また再利用が不可能な木材は雪嶽山の松の木で代替しました。 「純貞孝皇后尹氏の実家」では、韓国式礼儀作法の講習や工芸、「海豊府院君・尹澤栄の斎室」では書道や漢詩、絵画などの伝統文化の講義が行われます。「駙馬都・朴泳孝旧屋」では、韓国の舞踊やパンソリなどの伝統音楽の公演が行われ、「五衛将・金春栄の旧屋」では、伝統工芸や芸能の技術を伝承と普及を目的とした無形文化財の試演や公演が行われます。また、「都辺首・李承業の旧屋」は伝統茶屋として使用されています。また、工芸展示館では、民画、刺繍、螺鈿漆器などの作り方を再現し、各種工芸品も展示、販売されています。 *伝統家屋 1)五衛将・金春栄の旧屋 朝鮮時代末期、五衛将の官職にあった金春栄が1890年代に建てたもので、鍾路区三清洞から移転しました。重の軒に仕上げるなど、全体的に庶民住宅の様式を示していますが、内房(アンパン、母屋の主になる部屋)の外壁と、外の通りに面している部分の壁に煉瓦を積んで防火壁を組んでいるところが特徴です。 2)都辺首・李承業の旧屋 興宣大院君によって景福宮が改築された際、都辺首(大工の頭)を勤めた李承業が1860年代に建てた建物で、中区三角洞にあったものを移転しました。今は母屋(アンチェ)と舍廊房(サランチェ、サランチェ(客間)がある棟)だけが残っています。母屋は「丁」の字の形をしており、舍廊房は「ㄴ」の字の形をしています。前後の面の屋根の形が異なる形で作られているのが特徴的です。 3)海豊府院君・尹澤栄の斎室 朝鮮第27代王の純宗の義父である海豊府院君・尹澤栄が、娘の尹妃が東宮継妃になり、昌徳宮に入る時に建てたものです。東大門区祭基洞にあったものを移転し、全体の雰囲気は住宅用というよりは祭祀用にふさわしい造りになっています。 4)駙馬都尉・朴泳孝旧屋 ソウルの八大家のひとつに挙げられているこの家屋は、 朝鮮第25代王哲宗の後宮・淑儀范氏の娘・永恵翁主の夫である朴泳孝が住んだ家で、鍾路区寛勲洞にあったものを移転しました。開城(ケソン)を中心とする地方独自の作りをしており、ソウルでは珍しい形の住宅です。長台石を使用した基壇(建物の基礎となる壇)に7列の架構、6間の台所などから、当時の大家の面影を感じることができます。 5)純貞孝皇后尹氏の実家 朝鮮第27代王純宗の妃である純貞孝皇后尹氏が13歳で東宮継妃になるまで住んでいた家です。鍾路区玉仁洞にあったものですが、建物の老朽化がひどく移転が困難であったため、建築様式はそのままで復元したものです。長台石を使用した基壇(建物の基礎となる壇)、「井」の字形の窓、防火壁が設置されていることからも当時の上流層邸宅であったことが分かります。


5.0/1
ソウル(中区) , 南大門・ソウル駅

「南大門市場(ナンデムンシジャン)」には、子供服、レディースウェア、メンズウェアをはじめとして、繊維製品、台所用品、贈答品、民芸品、土産物、食品、輸入品、日用雑貨、アクセサリーなど、日常生活に必要な全てのものを買い揃えられる韓国最大の総合市場です。 南大門市場の特徴は何といっても、品質の良さと安さです。その秘密は流通の構造にあります。一つ一つのお店は小さいのですが、それらお店が自分で商品をつくって販売するという独立した業者であるため、消費者と生産者の距離が縮まり安さにつながるのです。 夜11時に開店し、早朝の4時にもなれば全国の小売商が市をたてます。韓国人のこのパワーみなぎる光景は、他のどこの国でも見られないことでしょう。外国人観光客が必ず訪れるという南大門市場は、世界の中のショッピング観光名所とも言えます。  


5.0/3
ソウル(鍾路区) , 三清洞・ソウル北部

昔から両班の村として知られていたこの場所は、全てが朝鮮時代の瓦ぶきの家で、上流階級の造りを大切に保存しています。 北村韓屋村(プクチョン・ハンオクマウル)は景福宮や昌徳宮、宗廟の間にある地域で、600年のソウルの歴史と共に歩んできた伝統居住地域です。巨大な二つの古宮の間に伝統韓屋群が密集しており、昔ながらの通りがそのまま保存されています。現在は伝統文化体験館や韓屋料理店などに活用されており、朝鮮時代の雰囲気を味わえる場所となっています。 苑西洞、斉洞、嘉会洞、仁寺洞から成るこの地域は、昔から清渓川と鐘路の北にあることから「北村」と呼ばれ、当時王室の高位官職や王族が居住していたことから高級住居地として有名です。.  


4.0/1
ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

昌徳宮(チャンドックン/史跡122号)は、1405年景福宮の次に建てられた別宮です。正宮の景福宮の東側にあり「東宮」とも呼ばれていました。錦川橋が造成され(1411年)敦化門が建立され朝鮮第9代の成宗の時代は、さまざまな王が本宮の役割をする宮殿となりました。壬辰倭乱(文祿・慶長の役)の際には火事になってしまいましたが、これは宣祖(朝鮮時代14代王)が義州に避難したことに怒った百姓が宮殿に放火したためです。1611年に光海君により再建された宮は自然と人工の調和がなされ、観光客がよく訪れる場所として仁政殿、大造殿、宣政殿、楽善斉など多くの文化財が各所で目を引きます。昌徳宮は、1997年12月にイタリアのナポリで開かれたユネスコ世界遺産委員会で水原の華城とともにユネスコ世界遺産委員会に登録されました。また2010年11月にソウルで開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議の期間内には各国首脳が訪問し観覧した場所として、韓国の美しさを表現した代表的な観光名所になっています。昌徳宮の後苑は、太宗の時に建てられたもので、王を始めとした王族の憩いの場でした。後苑は、北苑、禁苑など呼ばれ、高宗以降に秘苑と呼ばれるようになりました。昼は野山と谷が本来の自然そのままの姿を保ったまま、必要な場所にだけ人の手が加えられた韓国一番とされる庭園です。芙蓉亭、芙蓉池、宙合楼、魚水門、暎花堂、不老門、愛蓮池、演慶堂などを始めとした多くの亭子や泉が所々にあります。特に秋の紅葉や落ち葉の時が最高に美しいといわれています。