ソウル(龍山区) , 乙支路・忠武路・南山

1959年、李承晩大統領を称えるために南山(ナムサン)頂上に雩南亭(ウナムジョン)という亭子(あずまや)が建てられましたが、1960年の4.19革命のときに撤去され、1968年11月11日に再建されました。南山八角亭(ナムサンパルガクチョン)からはソウルの市街地を望むことができ、毎年ここで日の出イベントも開催されています。


ソウル()

2007年からスタートした<ソウル文化芸術探訪>は、ソウル文化財団が行う市民のための文化イベントです。 ソウル文化芸術探訪プロジェクトは毎年4月から10月まで、毎月2・4週の木曜日から土曜日までソウルの中の多様な文化資源を探す体験プログラムです。 参加者は午前10時30分に市庁前の広場に集まり、ソウル文化財団が提供するバスに乗り、探訪を始めます。美術、演劇、文学、建築、デザインなど多様なテーマのプログラムが行われ、平日午前には主婦たちがレジャーとして利用して参加するよに最適で、週末はファミリーやカップルのデートコースとしても向いています。探訪方法は、ソウル文化財団のホームページまたは電話申請で、参加費は無料です。 ソウル文化芸術探訪プロジェクトを通じてソウルの隅々にある文化芸術名所を回り、ソウルの文化的価値と再発見をする機会を提供しています。


ソウル(東大門区) , 東大門

「清涼里(チョンニャンニ)駅」は、1911年10月15日に普通駅として運営が開始され、1938年5月1日に東京城駅に改称されましたが、1942年6月1日に清涼里駅に再び改称されました。1950年6月26日に韓国戦争(朝鮮戦争)により駅舎が焼失してしまいましたが、1959年11月6日に駅舎が新築され、1977年12月10日には京春線専用の駅舎が建てられました。2006年5月に民資駅舎工事が着工し、2010年3月5日に駅務棟が新駅舎に移転し、2010年8月20日に地下乗り換え通路の開通および商業棟の営業が開始しました。


ソウル(蘆原区) , ソウル東部

香林(ヒャンリム)は、伝統中華料理専門店として、新鮮食材を以って厨房長自ら腕を振るっています。天然調味料を使うことにより油っぽさを抑え、韓国人にはもちろん、外国人の味覚にも合わせたさっぱり味が特徴。 特に、カルビの辛味ソース、海老と野菜の煮付け、フカヒレ料理、カニ料理は香林自慢のメニューとなっています。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

西小門公園は本来西門外殉教地と呼ばれるカトリックの聖地でした。韓国にカトリックが入って来た後、迫害にあう度に多くの信者が処刑された場所でもあります。公園内には1984年12月(1999年5月15日再建)に建てられた殉教者を偲ぶ記念塔があります。記念塔の上は硝子がはめこまれ、迫害と死の象徴である刀と生命の象徴した作りだと言われています。 さらに記念塔前部には殉教の惨状を形象化した青銅の彫刻を施し、三つの塔全ての上部の穴から真ん中まで7本の線が描かれています。この線は神様の勝利とカトリック 7大聖事を意味しています。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

カフェLNは北村にある韓屋を利用したカフェで「ただお茶を飲むところ」以上の価値を提供すべく様々な努力をしています。国内はもちろん世界各国からの旅行客も訪れています。店内は韓国の伝統建築物を利用したスペースと現代が見事に調和し、その魅力に加え五味子、かりん、木苺、菊花茶などお茶一杯にも各名産地の最高品質の材料だけを厳選しています。


ソウル(中区) , 明洞

ソウル中区明洞に位置した明洞ゲストハウスは周りに明洞や南大門市場、ソウルタワー、清渓川などが位置してありショッピングや観光に最適の環境である。 宿舎内でインターネットや洗濯機の利用ができるし、コーヒーとお茶も無料で提供される。 また、運営者は30年余りの銀行での勤務経歴と東京の銀行支店長を務めた経歴で英語と日本語でのコミュニケーションが自由自在にでき、観光客の便宜を図る。 そして常連で訪れるビジネス客や観光客たちがいるのもここだけの特徴といえる。


ソウル(龍山区)

梨泰院の人気店「ソルティノース」のサンティーノ・ソルティノス氏が店の正面にオープンしたワインバーです。金曜と週末はワインと料理が無制限に出るパーティー会場として人気があります。2階にはプライベートスペースがあります。


ソウル(中区)

ソウル市の東大門にある「ジャストステイホテル」は、便利なアクセスが自慢の格安ビジネスホテル。地下鉄を利用する場合は東大門駅舎文化公園駅で降りて11番出口から歩いて3分。りムジンバスを利用する場合は乙支路コアップレジデンスで降りて歩いて1分の所にある。東大門周辺にある数多くのショッピングタウンは楽しいショッピングと多彩な見どころを提供し、東大門の食べ物夜市場は美味しい食べ物と豊かな人情が味わえる。明洞も歩いて行ける。


ソウル(江南区)

炭川(タンチョン)は、京畿道(キョンギド)龍仁市(ヨンインシ)・城南市(ソンナムシ)を流れ、ソウル特別市を経て漢江(ハンガン)に注ぐ漢江の支流のひとつで、流域面積302平方キロメートル、総延長35.6kmに達する準用河川です。 炭川の中流域にある城南市は、市の中心部を流れる25kmの炭川流域とともに開発が進む地域です。炭川を蘇らせる汎市民連帯では、市民の環境保護意識を高め、これを実践に移せるよう、炭川の汚染の実態を調査・分析、それをもとに対策を提案していく活動を行っています。また同時に、炭川を自浄能力がある「自然型河川」にし、子どもたちが心置きなく遊べる河川へと生まれ変わらせることを目標に1999年6月20日、八つの民間環境団体を発足させました。 炭川と呼ばれるようになったのには浄水のため炭を川に入れた、朝鮮時代にこの川の住んでいた南怡(ナミ)将軍の子孫の人物の号に炭の字が入っておりその場所の地名・炭里(タルリ)に由来するなど諸説ありますが、このような言い伝えも残っています。 ある日、閻魔(えんま)様が冥土の使者に十八万年を生きたという東方朔(とうほうさく=中国前漢の文学者。伝説で非常に長寿であったとされている人物)を捕まえてくることを命じました。 しかし東方朔は姿を隠すことにかけては誰にも引けをとらず、冥土の使者も、なすすべがなくなかなか探し出すことができません。 困り果てた冥土の使者は謀をめぐらしこの川の近くで歯が白くなるという理由をつけて炭をしゃぶる奇行に出ました。すると、この使者の不思議な姿を見たある通りがかりの人が 「自分が十八万年も生きているが、こんな風に炭をしゃぶっている人間は初めて見た」と使者に語ったことから、冥土の使者はその人物が十八万年生きたという東方朔であることを見破り捕まえて、閻魔様がいる冥土へと連れて行くことができました。 その時から炭の川という意味の純粋な韓国語「スンネ」あるいは同じ意味の漢字表現・炭川と呼ぶようになったということです。