大邱広域市(中区)

たくさんの見所がある休憩空間、慶尚監営公園慶尚監営公園は1601年、慶尚監営があった場所で大邱の都心中央に位置します。1910年から1965年まで慶尚北道の庁舎として使われていて、庁舎が別の場所に移転した後、大邱市で1970年に中央公園として最初に開場しました。その後1997年、都市の景観を害する塀を壊して公園全体を再建設すると同時に大邱の歴史と関連した文化遺産を教育の場として活用し、これを広く広めて保存するため慶尚監営公園と名称変更をして今日に至ります。慶尚監営公園は大邱の中心部に位置した都市の中の庭園で複雑な都市生活で溜まった疲労とストレスをすっきり解消できるように青々とした木々や美しい花畑、芝生広場がきれいに整備されています。暑さを忘れさせてくれる涼しい噴水、雰囲気の良い街灯と音楽そして穏やかな散歩道とベンチなどがある休憩場所として大邱を訪れる方々にお薦めの名所です。 慶尚監営公園内の見所慶尚道の観察使の執務室である宣化堂(有形文化財第1号)とその居所として使用した澄清閣(有形文化財第2号)、そして観察使の治績が残された善政碑(27基)など大邱の歴史と関連した文化遺産が存在します。宣化堂は現在残っている役所や官庁などの建物がそれほど残っていないことを考えると大きな価値を持っています。正面6間、側面4間の平屋八作蓋瓦家で柱心包様式と翼工式の折衷型(木造建築の様式)になっています。


大邱広域市(達城郡)

達城韓日友好館は金忠善将軍(日本名:沙也可 / 1571-1642)の博愛思想を称え、韓日両国の友好増進のために造られたもので、2012年5月3日にオープンしました。金忠善は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に参戦しましたが、朝鮮の文化に感動して自分の部下とともに朝鮮に帰化し、火縄銃の製作技術を伝えたり、慶州、蔚山の戦闘で大きな功を立てたりしました。 現在、達城韓日友好館には金忠善将軍の精神を称えて大勢の日本人が訪れています。展示館、3D映像館、茶道室、遺物展示、韓日両国伝統ノリ(遊び)、和歌山県資料室、伝統弓体験場など、様々な施設が無料で利用できます。


大邱広域市(中区)

大邱薬令市で3代、約90年にわたって韓薬一筋で祖父の時代から受け継いで使っている秤、鉢、医学書の模本、処方箋などを展示していて、訪問客に中央韓薬房(韓方薬局)で直接製造した健康に良い韓方薬のお茶をプレゼントしています。国内外の訪問客にとって、韓薬の歴史、家系の由来、韓方に対する精神などをのぞくことができる場所です。また、2代目院長に無料で健康相談を受けることができます。 * オープン日 2011年4月25日


大邱広域市(達西区)

2000年9月29日に開館した大邱コーロン野外音楽堂は公演場としては国内最大の規模で頭流公園内に位置しており、立地がよいため市民達に親しまれている名所です。野外音楽堂は10,000坪あまりの広い芝生公園に27,000名を収容することができ、音楽会を始め演劇、ミュージカル、オペラなど様々なジャンルの舞台や公演も可能です。開放感のある野外で休憩しながら公演を鑑賞することができ、多くの人達に様々な文化的経験を提供する大邱コーロン野外音楽堂は地方文化の発展と成長に大きく貢献するものと期待され、市民に一歩近づいた開けた文化空間としての役割を果たしています。 


大邱広域市(東区)

大邱方字鍮器博物館は全国で最初の方字鍮器をテーマにした専門の博物館です。1983年政府によって重要無形文化財第77号に指定された鍮器匠李鳳周先生が普段から収集および製作した方字鍮器の作品を無償で譲り受けて所蔵しています。 建物は地下1階から地上2階までで3つの展示室と資料検索室、文化サラン房(室)、映像教育室、野外公演場および企画展示室などで構成されています。常設展示室である鍮器文化室には韓国の歴史と一緒にその脈を辿って来た鍮器についての各種情報を得ることができ、寄贈室には重要無形文化財である李鳳周先生の鍮器の名作が展示されています。再現室には鍮器を製作した工房や取引をしていたお店をそのままの姿で再現してあります。


大邱広域市(中区)

鳳山文化通りは大邱を代表する文化芸術の通りです。鳳山洞の大邱学院から鳳山ユッコリに渡って広がるこの通りには、大小20余りのギャラリーが並んでいます。ギャラリーが何店舗か集まっている路地が文化芸術の通りとして変貌し始めたのは1991年のことです。日に日に増える大邱市民の文化的欲求を受け入れる空間としてこのギャラリー通りが選定されました。その後、この通りは道路が整備されてアンティーク様式の街路灯と花壇が続いています。鳳山文化会館、青少年文化の家が建てられ、訪れる人も美術の専門家から一般市民へと、その幅を次第に広げていきました。鳳山文化通りは1年中、作品展が開催されていて、鳳山美術祭が開かれる10月になると通りは祭りの雰囲気に包まれます。 


大邱広域市(達西区)

1990年5月に開館した「大邱文化芸術会館」は大邱広域市の文化芸術のメッカで公演館、展示館、野外公演場など大規模な施設があります。公演館は音楽、舞踊、演劇、オペラなどのための大劇場(1,090席)と独奏会、演劇などのための小劇場(320席)で構成されています。展示館には13の展示室と国際会議場などがあり、展示館の後ろの雑木林に位置する野外公演場(観覧席700席)は音楽会、舞踊、民俗歌舞などの公演と野外ウェディングホールとして利用できます。特に、頭流公園内に位置する野外音楽広場は韓国最大規模の2万7千人を収容することができる公演場です。音楽会をはじめてとして演劇、ミュージカル、オペラなどの多様なジャンルの公演が開催されます。この他の施設として、伝統生活工芸品を展示、販売しているアートショップと休憩所としてコーヒーショップなどがあります。大邱文化芸術館は企画公演及び展示だけではなく交響楽団や合唱団、舞踊団、国楽団、劇団、青少年合唱団、オペラ団など6ヶ所の私立芸術団体と地域芸術家達の場所であるとともに、大邱市民達にとっての都心の中の心休まる芸術空間として親しまれている名所です。


大邱広域市(東区)

安全の大切さをおしえてくれる大邱市民安全テーマパーク2月18日に大邱の地下鉄で起こった惨事を教訓にし、事故の再発を防ぎ、リアルな体験教育を通じて市民が安全に対する大切さを実感できるように市民の安全教育ために設立されました。大邱市民安全テーマパークは実質的な安全体験を行うために、地下鉄安全展示館を始め、山岳安全展示館、地震安全展示館、未来安全映像館などを運営しています。安全意識を高めるとともに、日常で起こりうる災難を身をもって体験することができます。


大邱広域市(中区)

過去を通して未来を学ぶ国債報償運動記念公園(旧東仁公園) 1907年、大邱から始まった国債報償運動の市民精神を記念して第2の国債報償運動の展開でIMF経済難の克服と都心地内の緑地空間の確保及び市民の安楽した休憩空間の提供のため名称を「国債報償運動記念公園」と定めて1998年3月から1999年12月まで中区東仁洞に建てられた公園です。 国債報償運動の崇高な精神を称えて多くの市民達に休憩空間を提供するために作られた国債報償運動記念公園は42,509㎡(12,859坪)の面積に達句伐の大鐘、鐘楼などがあります。公園内の達句伐の大鐘は郷土の霊と情緒が込められた清く明るい音が響き、万人の心を呼び起こし、和合と繁栄を念願する大邱市民の志を全世界に広めようと1998年12月22日、東仁洞国債報償運動記念公園内に建造、設置されました。 大韓帝国末期に起きた抗日独立運動のひとつである国債報償運動記念公園の救国精神を継承するために作られたこの公園は中央図書館と東仁駐車場の間に広がっています。この場所は22.5tの達句伐の大鐘を始めとして、郷土書道家達の書いた李陸史・朴木月・趙芝薰・李鎬雨・尹東柱の詩碑と大型映像施設、李彦迪・金宏弼・徐居正・李滉・鄭夢周・徐相日・徐相敦の名言碑がある道、爽やかに噴出す噴水、和合の広場などがあります。 地下3階規模の東仁地下駐車場があって市民達の駐車空間を確保し、中央図書館もあり多くの青少年達が集まります。市内が近くカップル達にもデートコースとしても人気があります。一番最近作られた公園で広い芝生広場と周囲に千余りの樹木が植えられていて、ベンチも多く設置されて休憩するにはとてもよい場所です。また爽やかに噴出している噴水や小亭、田舎の山川や木々を連想させる石造物などが情緒をかもし出しています。青少年広場、音楽会、展示会などが開催され、達句伐の大鐘を打つ儀式を毎週土・日曜日に行われていて、多くの観光客が公園を訪れます。 国債報償運動記念公園の見所255mの高さの大きなクヌギ、静寂な道と松林、噴水と小亭、芝生広場、郷土出身の市民達の詩碑が立てられている道、先賢達の名言碑で飾られている名言巡礼の道などがあります。横9m、縦6m規模の大型電光掲示板を通して各種生活情報とプログラム中継などを見ることができます。公園の至る所に松の木、ヒトツバタゴ、山桜など30種、1万2300種類余りの植物、ワスレグサ・すずらんなど5種3万本余りの花々が植えられています。また重さ22.5tの達句伐の大鐘があり、毎年ここで「除夜の鐘」を打つ行事を挙行しています。大邱市民の都心の中の休憩空間として利用されていて各種展示会や公演場としても活用されています。


大邱広域市(中区)

大邱市民に身近な公園、大邱達城公園大邱のいくつかの公園の中で一番古く市民達に愛されている公園が達城公園です。達城公園内には地方文化財の資料第3号である観風楼があります。観風楼は慶尚監営の正門でした。大邱に監営が設置されて宣化堂の南側に布政門を立ててその下に門楼を作ったのが観風楼です。 大邱達城公園の見所達城公園は三韓時代の部族国家だった達句伐の城址土城でした。この場所は日清戦争(1894年∼1895年)の時に日本軍が駐屯していました。その後1905年に公園として作り変えられ、1965年2月に大邱市で新しい総合公園構成計画を立てて今日のような大公園になりました。芝生広場、総合文化館、動物園、その他に李相和も詩碑などの記念物もあります。