江原道(東海市)

ノンゴルダムキルは江原道の東海市墨湖港にある墨湖灯台へ上がる道のことをいいます。ノンゴルは約30年ほど前までは鱈とイカがたくさん捕れる代表的な港村でした。しかし魚類資源が枯渇し、当時2万人余りいた墨湖港の人々は現在4000人余りだけとなっています。これに対して東海文化院は村に活気を取り戻そうと文化体育観光部に「墨湖港灯」事業を呼びかけました。さらにノンゴルダムに長年住むお年寄りから集めた人生の話を基に、美大出身者で構成された公共美術共同体のメンバーが村の路地と塀のいたるところにスケッチを描き、村の住人である60~70代のお年寄りが色塗りをし現在のノンゴルダムの壁画が出来上がりました。 壁画にはそこで生きてきた人々の歴史と思い出が生き生きと描かれています。


忠清南道(天安市 )

「天安興打令祭り(チョナン・フンタリョンチュッチェ)」は踊りと歌、衣装をテーマにして開催される韓国で唯一の大型ダンス大会です。天安は電車や汽車、バスなどの交通の便が発達しており、初めて祭りに参加する方でも気軽に訪れることが出来ます。世界各国のレベルの高い民族舞踊公演、ストリートパレード、その他イベントが目白押しです。


慶尚南道(統営市 )

統営海底トンネルは統営と弥勒島をつなげるために建設された海底トンネルです。1931年から1932年まで1年4ヶ月にかけて長さ483m、幅5m、高さ3.5mで造られた東洋で最初の海底トンネルです。弥勒島は満ち潮の時には島になり、引き潮の時には歩いて行き来をすることができましたが、日帝強占期に日本の漁民たちが移住してきたことにより、移動に便宜を図るために海底トンネルを造ることになりました。トンネルの両側の入口に書いてある「龍門達陽」という文字は「島と陸地をつなげる海底道路の入口の門」という意味です。統営市内堂洞側のトンネルの入口に観光案内所があり、トンネルの内部には統営の観光名所を紹介するパネルが展示されています。    


京畿道(富川市)

前身であるK-ONEホテルをリモデリングしてローザンヌ・ホテルとして内外的な変化を追求した。 既存の顧客や、今後訪問する予備お客様に最上のサービスを提供しようと努力している。


済州道(済州市 ) , 구 제주

済州パルレスホテルはすぐ近くに海があり、夜には火を灯した漁船の行列が海上ショーのように見えるともあります。地上10階、地下1階規模、105の客室を保有する済州島パレスホテルは常に部屋が清潔に保たれ宿泊客を迎え入れます。客室は広々と余裕があり、また各種施設も充実しています。


江原道(春川市)

「森の中で出会う小さなヨーロッパ」をテーマにしたジェイドガーデンは、ジェイドパレスゴルフ場付近の約16万㎡の規模に24のテーマ庭園が造成されています。ジェイドガーデンは、自然に流れる渓谷と地形をそのまま活かし、花や樹木、建築様式や建物の配置などがヨーロッパ風に統一されています。約3,000種の植物を保有しており、また24のテーマ庭園に分かれています。ジェイドガーデンでは、美しい庭園だけでなく様々なプログラムと体験活動を楽しむこともできます。また、訪問客センターにはレストランやギフトショップがあります。ジェイドガーデンを見て回る3つのコースが用意されており、所要時間はそれぞれ約2時間です。


全羅南道(霊岩郡 )

王仁博士遺跡地(ワンインパクサユジョクチ)は鳩林村(クリムマウル)の東、ムンピル峰の麓にあり、王仁(ワンイン:百済の学者)が脚光を浴びたことにより彼に関連する遺跡物を復元した場所で、王仁墓(祠堂)、内三門、外三門、文山斎、養士斎、展示館、王仁像などから成っています。この中でも王仁墓(約82.5㎡)には、肖像画と位牌が安置されており、毎年祭祀が執り行われます。王仁博士の誕生した地である聖基洞や博士が飲んだと伝えられている聖泉もあり、誕生した地の横には遺虚碑が建っています。また、月出山の中腹には博士が勉強をしたと伝えられている冊堀や文山齋、養士齋があります。文山齋や養士齋には博士が勉強をしながら故郷の人材を育てた場所で、毎年3月3日には王仁博士の追慕祭を行ったといいます。冊堀の前にある王仁博士の石人像は博士の厚徳を称えるために建てたものといわれています。聖基洞の西にあるトルジョン峠は博士が日本を発つときに同僚や門下生たちとの別れを惜しみ、故郷を振り返って見たことからその名前が付けられました。上台浦は博士が日本から船に乗った場所で、当時の国際貿易港でした。王仁博士は百済人として日本の応神天皇の招待により、論語10冊、千字文1冊を持って日本に渡り、その経書の知識により応神天皇の信任を受け皇太子の師匠になったといわれています。これが日本文化を開く重要な契機となりました。日本の古事記には和邇吉師、日本書紀には王仁という彼の名前が登場します。王仁博士は論語や千字文を伝えただけでなく、技術工芸の伝授、日本歌謡の創始などに貢献し、政治顧問となり百済文化の伝授を通し、日本の飛鳥文化に影響を与えました。この遺跡地は1985年から1987年の祠堂を始めとする遺跡地浄化事業を始め、王仁公園など聖基洞文化観光事業を継続して行っています。


ソウル(道峰区)

水刺床(王の食膳)に負けないが大門(デムン)定食。 大門定食には、きれいに千切りにしてトッピングを乗せた香ばしい蕩平菜、フルーツソースで味付けした野菜サラダ、 天然色素で色をつけた鴨五色のジョン、くらげ冷菜が食欲をかきたてます。メインを食べると、プルコギと干し菜の味噌和えなど、土俗的で美味しそうなおかずに、味噌チゲと釜飯がついてきます。 *ここはソウル市より「ソウルが誇る韓国レストラン」に指定されているレストランです    


忠清北道(提川市 )

義林池は韓国の代表的な水利施設の1つで、いつ出来たのかは不明ですが三国時代からあったと言われています。新羅真興王の時代に楽聖于勒が小川の水を防ぐため堤防を築いたと言われるが、それから700年後にこの土地を訪れた朴義林(パク・ウィリム)が新しく築いたとも言われています。朝鮮時代に鄭麟趾(チョン・インジ)が体察使としてこの地に来て1500人を動員して工事を行ったという記録が残っています。堤林は義林池の堤防の上に造成された松と柳の林です。樹齢が数百年の松や柳、モミ、イチョウ、桜の木などがあり美しい景観を演出しています。現在は堤川地方の景勝地であり、湖の周辺には1807年に建てられた暎湖亭と、1948年に建てられた鏡湖楼、そして樹齢数百年の松としだれ柳や30mの滝などがあり趣が感じられます。特に特産物として、産卵時期にはワカサギを味わうことができ、観光客に人気があります。


慶尚北道(安東市 )

先人の知恵と文化を受け継ぐ「安東韓紙体験(アンドンハンジチェホム)」。韓国の伝統的な生活様式と文化が最もよく保存された河回村の入口に位置する「安東韓紙」は、韓国固有の趣と精神が息づく伝統韓紙の生産をしています。学生たちの学習の場としてだけでなく、多彩な見どころを提供し、安東観光の人気スポットとなっています。