慶尚北道(慶州市 )

※2019~20 韓国観光100選※ * 慶州 路東里古墳群 * 慶州(キョンジュ)中心部・路東里(ノドンリ)一帯にある古新羅時代の古墳群で、 鳳凰台(ポンファンデ)/飾履塚(シンニチョン)/金鈴塚(クムニョンチョン)などがあります。鳳凰台は高さ22m、直径82mで、皇南大塚(ファンナムテチョン)に次いで大規模な墓です。 鳳凰台の南にある飾履塚は、盛り土をした封墳の高さが6.5m、直径30mで、1924年の調査では、棺を置く槨(クァク・トッノル)を設けた積石木槨墳であることが明らかになりました。内部からは耳飾り、硝子製の玉で出来た胸飾り、銀製の帯、銀製の腕輪、環頭大刀、双龍環頭大刀、馬具、漆塗りの器などが出土しました。特に金冠や金銅冠の代わりに金銅製の履物が出土し、模様も独特で大変すばらしいものであったことから、この墓の名称も飾履塚と名付けられました。 鳳凰台の南側にある金鈴塚もやはり1924年に調査した墓で、長方形のくぼみを掘った後、底に河原の石や砂利を敷き詰めた高さ4mから5m、直径およそ18mから20mの積石木槨墳です。金冠、金製の耳飾り、金の腕輪、金製の帯、銅製の履物、鉄製の釜、漆塗りの器、硝子製の器、土器など数多くの遺物が出土しました。土器の中で、船の形をした土器や騎馬人物像の土器が異彩を放っています。この墓は規模が小さく、金冠や装身具の大きさが小さく、 殉葬された形跡があることから、新羅時代の王子の墓とみられています。飾履塚と金鈴塚は同じような規模・構造で、鳳凰台とともに深い関係がある墓とみられます。 (面積 - 16,902平方メートル) * 慶州 路西里古墳群* 慶州市の北西・路西洞(ノソドン)一帯にある新羅の古墳群で、現在およそ10基の大小さまざまな墓が残っています。 その中でも北側にある第130号墳は路東里古墳群の鳳凰台と対をなし、西鳳凰台と呼ばれています。路西里古墳群の内部構造は積石木槨墳と横穴式石室墳の二つに大きく分かれます。金冠塚(クムグァンチョン)/瑞鳳塚(ソボンチョン)/壺杅塚(ホウチョン)/銀鈴塚/第138号墳は新羅時代のもので、長方形のくぼみを掘った後、棺を置く槨を設け、河原の石や砂利を敷き詰めた積石木槨墳です。双床墳(サンサンフン)・馬塚(マチョン)・牛塚(ウチョン)などは墓の内部に割石で四角形の石室を造り、古墳の入口から石室までの間に羨道(ヨンド/ノルギル)を設ける横穴式石室墳で、新羅時代の様式となっています。 金冠塚は1921年に調査が行われましたが、金冠や金製の帯をはじめとしたさまざまな豪華な金工芸品が数多く出土しました。 西鳳塚は瓢の形をした双円墳の北側の墓で、鳳凰の装飾が付いた金冠が出土しました。また年代が刻まれた銀製の蓋がある器(銀盒=ウナプ)が出土し、5世紀前後に作られたものとみられます。 銀鈴塚と双円墳を形作る壺杅塚は日本の植民地支配から解放された1945年の光復以降初めての遺跡発掘で、高句麗第19代の王・広開土大王(クァンゲトテワン) を記念し、 乙卯(451)年に作られたという文字が書かれている銅製の器・銅盒(トンハプ)が出土しました。双床墳・馬塚・牛塚などは統一新羅時代初期の横穴式石室墳で、大部分盗掘され、詳しいことは分かっていませんが、双床塚からは統一新羅時代の土器の破片、馬塚からは馬の骨や鞍の一部などが出土しました。 路西里古墳群は路東里古墳群と似た性格の積石木槨墳と前期石室墳が混在し、墓の形態が移りゆく過程を示しており、これは慶州地域の墓の変遷を知ることができる、重要な史料と高く評価されています。 (面積 - 44,200平方メートル) * 慶州皇南里古墳群 * 慶州市庁舎南の反対側一帯にある古墳群で、味鄒王陵(ミチュワンヌン)をはじめ、およそ250基の古墳があり、古墳公園となっています。 1973年には天馬塚の発掘調査を実施し、金冠及び天馬が彩色付きで描かれた白樺樹皮障泥(馬の鞍についている泥よけ)が出土、この泥よけに描かれた馬は新羅時代の絵画としては唯一最古のものとして広く知られています。現在は古墳内部に入り見学できるように復元し、一般に公開されています。また古墳のうち、最も規模が大きい皇南大塚98号墳は1973年から75年にかけて発掘され復元されたものですが、この古墳の発掘により統一新羅以前に積石木槨墳や小型石槨墳が混在していたことが明らかになりました。 * 沿革 * 慶州市内の皇南洞一帯に分布している新羅時代初期の墓で、一部はは大陵苑区域の中にあります。日帝強占期(1910~45年)につけられた通し番号90~114、151~151号である円形に土を盛り上げた30基の墓です。大きな墓は積石木槨墳で、周囲には封墳がなくなった小さな墓があります。大陵苑の中には伝・味鄒王陵をはじめ、天馬塚や皇南大塚などがあります。1973年に発掘調査された天馬塚は直径47m、高さ12.7mで、金冠をはじめ多くの遺物が出土しました。 当時天馬塚が描かれた馬の鞍についた泥よけ・障泥(チャンニ)が出土したため、「天馬塚」と呼ばれ、現在ではっその内部が一般に公開されています。また、1973年から75年にかけて発掘調査された皇南大塚は南北の長さが120m、東西の幅が80m、高さ23mの巨大な双円墳で、南側の墓からは金銅冠や男性の骨の一部、そして多くの遺物が出土しました。 北側の墓からも金冠や夫人帯という文字が刻まれた銀製の帯など多くの遺品が出土しました。南側の墓に埋葬された人物は男性、北側の墓に埋葬された人物は女性で、夫婦の墓をくっつける形で造ったものとみられます。


慶尚北道(青松郡 )

松韶(ソンソ)古宅の沈琥澤(シム・ホテク)が分家する弟のために建てた韓屋がこの昌室(チャンシル)古宅です。 およそ100年前の1917年3月に建てられた昌室古宅は母屋、主人の居間として使う舎廊(サラン)チェ、そしてその他建物が中庭を囲むように建てられた27間の大きさを誇る韓屋です。慶尚南道昌寧(チャンニョン)から嫁入りした娘から由来しこの韓屋に「昌室」という名前がつき、今日に至り「昌室古宅」と呼ぶようになりました。 この韓屋は母屋と主人の居間として使う舎廊チェが並行になった配置になっており、その間に書庫と納戸を置きつなげ中庭を囲むような形の韓屋になっています。 古宅に入るとまず最初に見えるのが舎廊チェで、戸をすべて開けるとすっきり中が見通せる室内が広い板の間があり、その左右に主人の居間となる舎廊房(サランバン)や書庫があります。舎廊房は2間あり、比較的広々としています。舎廊チェの建物と屋根続きになりますが、造りがやや低めの切妻屋根の建物・行廊チェはここに住んでいた使用人・作男が住んでいた建物です。この他、藁葺の韓屋は黄土で造られた部屋でここも貸出を行っており宿泊可能です。


慶尚北道(浦項市 )

人と鉄の出会い、都市と新しい芸術との出会い浦項スチールアートフェスティバル 大韓民国を代表する芸術祭・2019浦項スチールアートフェスティバルが2019年9月7日から28日まで「歓待の都市・浦項:70の月、満開の火」をテーマに、延日台(ヨンイルデ)海水浴場など浦項市(ポハンシ)一帯で開催されます。 今年は市昇格70年を迎え、物としての「鉄」中心の展示や公演から一歩踏み出し、「鉄」や鉄と関係する芸術を盛り込んだ多彩かつ感覚的な美的体験、そして今までにない新しいプログラムを準備、訪れるさまざまな方々にご満足いただける文化的ライフスタイルの幅を広げた内容となっています。 特に、公演・展示・統合芸術教育など、これまで経験し得なかった新たな体験中心のコンテンツを数多く企画、文化的再生産を試みます。今回は旧・浦項水協(漁協)冷凍倉庫をお祭り期間中のみ臨時に活用しフェスティバルを盛り上げます。 浦項スチールアートフェスティバルは、浦項の根底に流れる「鉄」、そして文化芸芸術がともに融合し、浦項市民の新しい力や日常の感性を刺激、特別な瞬間を作り上げていくお祭りです。


慶尚北道(醴泉郡 )

慶尚北道醴泉郡の道正書院(慶尚北道文化財資料第142号)がリニュアルを経て韓屋ステイの体験スペースへと生まれ変わった。獄中の李舜臣を救った薬圃・鄭琢(1526~1605)を称えるために建てられた道正書院は、乃城川に囲まれた山の半腹に位置して周辺の景色が美しい。宿泊ができる客室は昔儒学者が授業を受けていた講堂、東屋の挹湖亭、学生寮として使われた東斎と西斎の全4室。石壇の上に建てられた講堂は、水色がきれいな乃城川の風景が丸見えの板の間が魅力的である。澄んだ空気を吸ってじっと座っているだけでも癒しになる。約100㎡(30坪強)規模の一戸建てで、部屋が3室ありワークショップなど団体旅行に適している。道正書院で最も独立的で趣のある客室は切り岸に建てられた挹湖亭。昔儒学者たちが客をもてなし風流を楽しんでいた場所で、乃城川の水音が一番近くから聞ける。東斎と西斎にはバスルームが付いているが、講堂と挹湖亭の宿泊客は外部の共用バスルームを利用しなければならない。書院の大門に当たる入徳楼は30人まで収容できるセミナー室。楼閣2階の板の間に立つと、乃城川がくねくねと流れる風景が目障りなく広がる。他にも東斎と西斎の裏庭には屋外バーベキュー施設が用意されている。 醴泉は名勝地と数多くの文化財を保有している地域である。ドラマ『ミスター・サンシャイン』のロケ地である草澗亭が車で30分距離にあり、醴泉を代表する旅行先の回龍浦、金塘室村、龍門寺も車で30分すれば辿り着ける。


慶尚北道(奉化郡 )

晩悔(マンフェ)古宅がある奉化(ポンファ)の「パレミ村」は、太古の昔、海底にあったところという意味で別名「海底洞(ヘジョドン)」とも呼ばれています。古(いにしえ)から文化や知性が花開く村でした。晩悔古宅の楼閣・名月楼(ミョンウォルル)からは村に軒を連ねる古宅の風情ある屋根が一望できる場所です。小白山(ソベクサン)の山麓の涼しい風が吹き降ろす名月楼は、その昔、学問に磨きをかけ詩吟をしていた場所です。名月楼だけでもおよそ1000編にも及ぶ詩が作られたと言われています。 また、晩悔古宅は独立運動の根拠地となった場所でもあります。名月楼は3・1独立運動(1919年)直後、儒林(儒学者)らが独立運動家・金昌淑(キム・チャンスク)を中心として集結し、パリ万国平和会議に提出した独立請願書を作成した由緒ある場所です。近年、独立運動家の間でやり取りされた書簡数百通が古宅から発見されその意義が見直されています。 晩悔古宅は一部建物がつながっていないものの、外側から見ると中庭を囲むように建てられた「口」の字型の韓屋の構造となっています。「コ」の字型になった母屋と横に長い「一」の字型の舎廊(サラン)チェの建物が合わさる形で全体として「口」の字型の韓屋の構造となっており、舎廊チェの建物の左脇につながる中門間チェの建物を通って前庭から母屋へ入ることが出来ます。 母屋と舎廊チェが建てられた時期はそれぞれ異なり、築およそ320年の母屋は朝鮮後期の文臣・金建銖(キム・ゴンス=1790~1854年)の6代前の祖先が購入し暮らし始めた韓屋で、一方、舎廊チェの建物はおよそ200年前、金建銖が古宅を引き継ぎ増築した韓屋です。古宅は全体的に中が赤く丈夫な春陽木(チュニャンモク/金剛松=アカマツ)を使い建てられ、割れもなく大変よい状態で保存されています。 瓦屋で葺いた入母屋屋根の舎廊チェが南向きにある中庭に向かって建っています。舎廊チェの建物は花壇が作られた竹垣の上から威風堂々とした姿を見下ろすような形で建っており、建物正面の幅が4間あり、西側から順に舎廊房(サランバン)、板の間、向い側にあるコンノン房の部屋があります。建物正面には広々とした縁側があり、この縁側を通れば舎廊チェの建物での移動も大変便利で、また縁側に座って談笑するにもよい場所です。宿泊ご希望のお客様は、舎廊チェや中門間チェの建物にある舎廊房の部屋、ソナン室、パレミ室の各室で宿泊可能で、舎廊房とソナン室にはそれぞれ客室内に専用トイレを完備しています。 母屋は舎廊チェが前に建っていることから外からの風がさえぎられ比較的暖かくなっています。中央の板の間を中心に左手には男主人の居間として利用していた上房(サンバン)、右手には納戸として利用していた庫房(コバン)と奥の間があります。 各部屋とも美術を専攻したオーナーの娘さんが古宅の風景を描いたり、布を染色したり、ミシンで作ったアート作品が飾られています。他にも赤茶けた歴史を刻む韓国伝統の古家具も置いてあり、韓屋の趣を一層醸し出しています。 奥の間には天井の垂木がむき出しになったロフト風の部屋もあり、6月から8月までの夏期には最大8人まで宿泊可能です。奥の間には客室内に専用のトイレがあり、上房と庫房は外にあるトイレをご利用いただけます。 古宅の両脇には7000平方メートルほどの広さの畑が広がっています。シソの葉、ネニラ、ケール、ミツバ、シラヤマギク、野生菊、キキョウ、トマト、サツマイモ、落花生、カキ、トウモロコシなど野生花や葉物野菜をはじめおよそ100種類の農作物を環境にやさしい農法で栽培、自ら採取できるよう宿泊客の皆さんに畑を開放しています。 朝食はありませんが、畑で作物を取ってきて共同キッチンで調理して食べることができます。また敷地外側にある庭にはバーベキュー施設があります。マツタケが有名な奉化にいらしたなら、オーナーイチオシの松茸クッパのお店に行ってみるのもおすすめです。 また様々な韓国の伝統体験プログラムもご用意しています。投矢、陞卿図(スンギョンド=日本の双六に似た遊び)、板跳びなど民俗遊びが楽しめ、お申し出いただければ遊び方の指導も行います。このほか、様々なデザインの木版に墨を塗り刷って版画を完成させる「木版体験」、朝鮮時代の歌辞文学・内房歌辞(ネバンカサ)を嗜むオーナー夫人による高麗時代末から発展した韓国の定型詩・時調(シジョ)を詠み体験する「時調ノリ」、韓国伝統の弦楽器・コムンゴや牙筝(アジェン)、そしてチン(韓国伝統の鉦)などの打楽器で演奏するサムルノリの曲に乗せて演奏する「伝統楽器体験」なども予約なしで無料で体験することができます。


慶尚北道(青松郡 )

すべての人々に開かれている自然の中の安息の場・察訪公宗宅は青松沈氏(チョンソン・シムシ)岳隠公・第9代子孫である察訪公・沈鐺(シム・ダン)の宗家として1933年・癸酉年の年に建てられ長年村の祀堂として使われた由緒ある家屋で、郷土文化遺産13号に指定されています。 建物は中庭を囲むように「コ」の字型の構造となっており、入口の大門は北向きになっているのが特徴です。 99間の広さを誇る松韶古宅(ソンソコテク)と塀を挟んで反対側に建っており、薪による伝統的な方式のオンドル部屋や広々とした中庭、家庭菜園などがあります。 都会では難しい韓屋の素晴らしさを体験したい人々のやすらぎの場を提供する察訪公宗宅。伝統韓紙で仕上げた客室、そして寝具には布団を用意、鳥のさえずり、風の音以外には聴こえない閑静な場所に察訪公宗宅はあります。 敷地内には神位を祀る祀堂(サダン)もあり、風情あふれる実家のような佇まいの宗宅です。


慶尚北道(奉化郡 )

# 慶尚北道奉化郡奉化邑にある奉化(ポンファ)南湖(ナムホ)旧宅は、慶尚北道文化財資料第385号に指定されている朝鮮時代の故宅です。1876年に金蘭永(キム・ナニョン、雅号は聾山)が建て、彼の息子である金賚植(キム・レシク、雅号は南湖)が暮らしました。金賚植は、大韓民国臨時政府に軍資金として全財産を提供し、勲章を受章しました。他人と国を想う先人たちの心は、今も受け継がれています。完成後140年も経つ南湖旧宅は、当時も高級とされていた建材で建てられており、変形した跡がほとんど見られません。代々大事に守られてきたこともあり、伝統的な韓屋の美しさがそのまま残っています。特に、ソスル大門(屋根が一段高く作られた門)からは、思わず頭が下がるような荘厳さが感じられます。四季折々の花で彩られる庭園や垣の下の花壇が、韓屋の美しさをより際立たせます。古木の香りを感じながらくつろげる素敵な宿です。2016年には、伝統韓屋に宿泊されるお客様の利便性を高めるために、現代式の共用トイレを設けました。広々とした庭には投壷、チェギチャギ、板跳びなどが楽しめるスペースがあり、伝統遊びが体験できます。近くの鉄道駅である奉化駅(嶺東線)までは徒歩15分で、町に市内バスの停留所もあるので、移動の際に便利です。


慶尚北道(安東市 )

退渓胎室(テゲテシル)の元々の名称は老松亭(ノソンジョン)。文字通り解釈すれば老松がある建物ということになりますが、同時にこの建物を建てた退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)先生の祖父で朝鮮時代の行政機関で人事等を扱った役所・吏曹(イジョ)の判書(吏曹判書=イジョバンソ)であった李継陽(イ・ゲヤン)の号も同じく老松でした。李継陽は 1453年首陽大君が王位を奪取した事件・癸酉靖難(ケユジョンナン)に遭遇、子孫に対する未練を捨て同じく慶尚北道にある奉化(ポンファ)へ落郷し、後学の養成に力をいれ暮らしていましたが、とある僧侶を助けた縁からここ安東(アンドン)の退渓胎室の場所に家を建てたといいます。 退渓李滉先生が生まれた退渓胎室は韓屋の一番奥まったところにあり、祭事を執り行う母屋の正寝(チョンチム)の部屋の中央に正面1間、側面1間ほどのオンドル部屋、半間ほどの大きさの小さな高殿の板の間の部屋があります。 このような間取りは韓国にここにしかない特異な構造となっています。敷地に入る外側の建物の入口には退渓李滉先生の直系の弟子である鶴峰・金誠一(キム・ソンイル)による筆跡で「聖臨門」と書かれた扁額が懸けられていますが、これは退渓李滉先生の母親・春川朴氏が退渓李滉先生を身篭った時、孔子が弟子を引き連れ大門へ入ってくる夢を見たということに由来してつけられたとのことです。 老松亭には西側に2間ほどのオンドル部屋とその前に突出した形ある高殿の板の間があり、また反対の東側には6間ほどの広さの板の間があります。2、30人が一堂に会し講学できるほど板の間は広々としています。老松亭の懸板は朝鮮時代の名筆家・韓石峰(ハン・ソクポン)が書いたものといわれています。老松亭の架構構造は入母屋屋根を形作る原理を詳しく観察できその価値は大変高いものがあります。 老松亭の東側には正面3間、側面3間の大きさの祀堂(サダン)があり、老松亭と祀堂の間にはその昔樹齢400年を超えるイブキの木があったそうです。その昔にはイブキの木のことを老松と呼んでおり、この木がここにあったことから老松亭となったということです。その影が祀堂と老松亭の間を覆ったといいますから、ただ驚くばかりです。現在はその木があった場所に小さなイブキの木が植えてありますが、その姿は傘を差しているかのような不思議な形をしています。


慶尚北道(慶州市 )

吐含山自然休養林は、針葉樹や広葉樹など、様々な植物が生息しており、動物や植物の生態系がうまく機能する自然の森です。近隣には、石窟庵や仏国寺、名勝などの観光名所があり、家族連れの自然学習場や休養地として最適です。少人数から団体まで幅広く使える森の中の家もあります。インターネットでの予約が必要です。