ソウル(中区)

わたしたちの銀行、その歴史の中へ ウリ銀行銀行史博物館は大韓民国の金融の歴史を垣間見ることができ、韓国経済成長と共に発展してきた韓国の銀行の業績にスポットをあてるため、2004年開館した韓国初の銀行の歴史を扱った博物館です。 銀行史博物館はこれまでの100年間の韓国の銀行の変遷史を振り返ることができる金融関連の品々が展示されています。 またおよそ6,000点におよぶ世界各国の貯金箱を展示している貯金箱ギャラリーもあります。


ソウル(西大門区) , 新村・梨大

延世大学校で最初に建てられた建物で、1919年着工、1920年に竣工した石造2階建ての建物です。 延世大学校の前身である延禧専門学校設立者アンダーウッド(韓国名・元杜尤/ウォン・ドゥウ)牧師が故郷・米国へ帰国し恒久的な学校建築のためアメリカロサンゼルスに居住していたチャールズ・スティムソンの寄付を得ましたがその後逝去、後任の校長エビソンがその意志を引き継ぎ、その寄付金を元に建設しました。 建設開始時には未亡人となったアンダーウッドの妻が礎石を置き、当時の化学科教授・ミラーが工事の監督を行ないました。 設計は未詳とされていますが当時の米国人建築家らが来韓し設計及び基本計画を作成したといわれています。外観は南北に細長い形をした切妻屋根のゴシック様式の建物となっています。


ソウル(龍山区)

梨泰院(イテウォン)市場は、知る人ぞ知る掘り出し物いっぱいの穴場的存在の市場で、南大門市場のように数多くの衣類ファッションを取り扱っています。 特に外国人観光客が多く訪れるエリアであることから、ユニークな商品が多いのも特徴です。 主に外国人向けのビッグサイズの衣類や靴のラインナップが充実しており、韓国の伝統工芸品なども数多く販売されています。


ソウル(麻浦区) , 弘大

「村」で食事するためには、並ぶ覚悟は必須です。 昼食時間を逃した客たちがブレークタイムが終わる前から並んで待っているお店で弘益大学近くに3号店まであるほど有名です。 すでに多くのレビューで口コミが広まった「村」の代表的なメニューは明太子右三段バラ丼、首の回りの肉ステーキ丼、冷ラメンが代表的です。 私はメニューが1万ウォン以下で価格も安く、量も多いです。


ソウル(麻浦区) , 弘大

延南洞に位置したタイ料理店。TUK TUKヌードルタイの2つ目のブランドであり、テイスティーロードに放映された場所。Soi(ソイ)はタイ語で道という意味。タイ式の牛肉ライスヌードルがメインメニューであり、その外にパパイヤのサラダであるソムタム、牛肉のクッパ、ソイポピア、煮物などがあり、セットメニューが用意されています。 牛肉麺は麺の太さを普通の麺、薄い麺選択可能です。 店の内部はタイの街頭食堂に立ち寄ったような印象を与えるところ。3時から5時まではブレークタイム。ラストオーダーは9時半。


ソウル(西大門区)

「サモポクチプ(サムホポクチプ)」は各種野菜と薄く切ったフグの身をあっさりしたスープで軽くゆでて食べるフグのしゃぶしゃぶを味わえるフグ料理専門店です。


ソウル(麻浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

ここは40年以上の伝統を持っている、冷麺専門店です。 韓牛スープで汁を出して、蕎麦で作った麺を使います。 メニューは水冷麺が一番人気です。 平壌冷麺特有の独特な味を楽しめます。 予約はお昼12時予約だけ受けており、4人以上から可能です。


ソウル(麻浦区)

弘大周辺の街は「ストリート美術」で有名です。美術大学として名高い弘益大学の学生らが、大学付近の塀や道に自由に絵画を描きはじめ、その後、数多くの画家がこれに賛同するようになりました。弘大「ストリート美術展」は、1993年以降、毎年弘大美術学生が中心になって開催する代表的な文化芸術イベントです。新しいストリート美術とインスタレーション、参加美術、多彩なパフォーマンスが同時に催されます。ストリート美術展は韓国の若い画家の活力と実験性、チャレンジ精神に接することのできる特別な美術イベントかつ総合芸術祭です。


ソウル(鍾路区) , 大学路・城北洞

ソウル大学校歯医学大学院歯医学博物館は1994年8月31日、ソウル大学校歯科大学附属機関として発足、2001年12月28日に韓国初の歯医学を扱う本格的なスペースを持つ博物館としてオープンしました。 韓国の近代歯医学発達の過程やさまざまな歯科用器具の変化を観覧することができ、ソウル大学校歯科大学の歴史を垣間見ることが出来ます。 また、2008年10月20日には子供たちの口腔衛生増進を目的に将来の歯科医学を担う子供たち向けの施設・子ども歯科博物館をオープンしました。


ソウル(西大門区) , 新村・梨大

延世大学校アンダーウッド館は本校の前身である延禧専門学校でスティムソン館につづき建てられた校舎で、学館と呼ばれてきました。延世大学校が位置する延禧洞(ヨニドン/ヨンヒドン)は朝鮮王朝第2代の王・定宗が太宗に譲位した後、住まいを移したのがいまの大学のある一帯にあった延禧宮(当初の名称は同じ読みで漢字表記が異なる衍禧宮)であったことからついた地名で、延禧宮の位置は現在の延世大学校の場所から延禧立体交差路があった辺りと推定されています。 延世大を建設し始めた当時に建設された建物としてはスティムソン館(1920年)、アッペンツェラー館(1924年)、アンダーウッド館の3つの建物があり、庭園を挟んで東にアッペンツェラー館、西にスティムソン館、そして庭園の奥・北側にアンダーウッド館を配する「コ」の字型をした建物群となっていますが、その中でもアンダーウッド館は真ん中に位置する最も重厚な建物です。大学の正門から入ってくるとキャンパスの中央を貫く白楊路の北端の先、キャンパスのちょうど中央に建物が建っている形になります。アンダーウッド館の建物の5階相当の高さにある中央の塔はこのキャンパスのシンボルとなっています。 アンダーウッド館は延禧専門学校の設立者であるH.G.アンダーウッド(Underwood)を称えるため、兄のジョン・T・アンダーウッドが10万ドルを寄付して建てられたものです。1921年に着工、1924年に竣工し、現場監督は当時の化学科教授であったミラーが引き受けました。 構造は本館の建物であるスチームソン館と同じような石造りの構造で、地下1階地上3階建てで、塔の部分は5階相当の高さになります。建物は上からみると東西に長細い形となっており中央に玄関があり、東西に中央廊下を配置しています。南北の両サイドには教室及び階段があり、建物の左右、東西両端には大講義室を配置しています。 元々、文科大学(学部)の建物として利用されていましたが、現在では大学本部の建物として総長室など主な事務方の部署が入居しています。 ※面積ー2,707平方メートル