ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

文化と自然が調和した伝統の味。 緑い自然の下にある牛眠山(ウミョンサン)ボドゥナムチプ。 周辺景観と芸術の殿堂が調和して、伝統の香りが漂います。ボドゥナムチプ自慢の 真心のこもった料理に出会う瞬間、いつも変わらない匠精神と伝統の味が伝わってきます。*ここはソウル市より「ソウルが誇る韓国レストラン」に指定されているレストランです。


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

「モクチョンチプ」は、芸術の殿堂近くに位置したカルグクス専門店で小豆カルグクス、カプサアオノカルグクスなどさまざまな種類のカルグクスを味わうことができます。    


ソウル(鍾路区) , 新村・梨大

錦湖(クムホ)アートホールは光化門に位置するクラシック専用のホール。315人収容のこのホールは、クラシックのために設計されており、音響はもちろん観客が寛いで音楽を楽しめるよう配慮がなされています。例えばシートの前後が広々と取られていたり、障害のある方のための移動式シートがあったり、楓の木で作られた舞台を始めインテリアも高級感漂う質の高いものを使用しています。このホールでは1年に150回ほどの公演が行われており、レセプションホールでは時々絵画の展示会も行われており、音楽と美術が同時に楽しめる空間となっています。


ソウル(鍾路区) , 大学路・城北洞

駱山は、ソウルの観相を成していた内四山(南山、仁王山、北漢山、駱山)のうちの1つで、風水地理上、主山である北漢山の左青龍に該当する山です。このように、貴重な自然環境と文化遺産を持つ駱山ですが、日帝強占期を経て現在に至るまでにその大部分を破壊・喪失し、特に60年代以降は、近代化の過程で無分別な都市計画によりアパートや住宅が建てられ、歴史的遺物としての諸機能を失ってしまいました。 そこで、ソウル市は公園緑地拡充5ヶ年計画の一環で、駱山を近隣公園として指定し、周辺の緑地との融合を目指し、駱山の本来の姿と歴史性を復元する事業を推進しました。


ソウル(城北区) , 大学路・城北洞

ソウル特別市城北洞に位置する吉祥寺は、元々金英韓という女性が岩山の合間の渓谷で清らかな水が流れる梨畑を買い入れて、青岩荘という韓国料理屋を営んでいた場所でした。そこは後に他の人物によって第三共和国時代の国内3大料亭の一つであった大苑閣になりました。金漢英は年老いて法頂和尚の『無所有』を読み感銘を受け、和尚との親見を得ると生涯の高く美しい回向を想い、当時で時価1000億ウォンを超える大苑閣を布施としてほどこしたいと、敷地を寺にするように願い出ました。その後10年にわたって布施を遠慮し続けた和尚に受け入れを繰り返し求め、1995年にその想いを成し遂げ1997年12月14日、大苑閣は吉祥寺になりました。


ソウル(広津区) , ソウル東部

世宗大学博物館は、本稿の創立者チュ・ヨンハ博士とチェ・オクチャ博士が40年にわたり収集した民俗品、木工芸、衣装、装身具、陶磁器、絵画などを分類、展示している場所です。 この博物館は1959年忠武路校舎に付設されていた「首都画廊」がその始まりで、その後校舎が現在の君子洞に移転し、1965年には世宗館1階に「民俗館」としてオープンしました。1968年8月に「愛智軒」北棟に民俗館「現・世宗画廊」を新築・拡大し、常設展示館として、学術研究に貢献してきました。その後1973年5月5日、韓国固有の百済塔様式の4階建ての鉄筋コンクリート建築物を開館し、1977年5月20日、これを増築しました。 本校が1979年に世宗大学に改編されたことで博物館の名前も「世宗博物館」となり、今日に至っています。韓国の文化・芸術・民俗・考古学などの研究において、国内外の学者らに実物や各種資料を提供し続けています。


ソウル(城東区) , ソウル東部

清渓川の過去、現在、未来を紹介する清渓川博物館は、常設展示館、企画展示館、セミナー、公演などの様々な小ホールとして利用されています。 開館10周年を迎え、10年間蓄積されてきた清渓川の資料を再整備した常設展示館の改装工事を終え、2015年10月1日リニューアルオープンしました。 清渓川の歴史や文化を通じて、ソウルの歴史をより深く理解してもらえる機会となることが期待されています。


ソウル(麻浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

ビジネスにも観光にも最適な高級ビジネスホテル「ロッテシティホテル麻浦(マポ)」は、明洞、ソウル駅、弘大、汝矣島に近く、地下鉄やバス、金浦国際空港や仁川国際空港からのエアポートエキスプレスといった公共交通機関を利用してのアクセスが容易なだけでなく、高級ホテル並の設備をお手頃な価格で提供しています。


ソウル(鍾路区)

景福宮と昌徳宮のちょど真ん中あたりにある地域で、風水地理で昔から北に聳える北岳山(プガクサン)の気を受ける位置に存在する北村(プクチョン)。周囲の古宮や仁寺洞通りをはじめ隣接する北村でもちょっとした路地に入ると趣のある韓屋や隠れた名店が数多くあり、ひっきりなしに人々がやって来ます。次第に北村を訪れる人々が増えてくると北村に数多くある韓屋で一晩を過す体験ができるところが増えてきましたが、楽古斎(ラッコジェ)はその中でも最も古くから韓屋での宿泊体験を始めた施設の一つです。 いまや北村の名所とも言える高級韓屋ホテル・楽古斎。 斎洞(チェドン)初等学校の塀伝いに路地を入ると、旧震壇学会設立址に楽古斎という看板を掲げた古風な韓屋の建物に行き着きます。「古きものを分かち合うところ」という意味を持つ楽古斎は、130年の歴史を誇る両班(ヤンバン)の家屋を人間文化財・チョン・ヨンジン翁が改築しオープンした高級韓屋ホテルです。 さほど大きな規模ではありませんが閑静な雰囲気を醸し出す色とりどりの色彩や建物の質感との調和が格別な場所です。墨色の瓦の間に赤土を塗り込み積み上げた土塀の横には歳月の経過を物語る痕跡がいまも残る背高の門柱作りの大門が威風堂々姿を見せます。その大門をくぐり楽古斎の庭内に入ると、目の前には中庭を取り囲むように建てられた韓屋が目に飛び込んできます。 陽差しが差し込む中庭には池や伝統的な装飾、釜、味噌や醤油などを入れた甕などが並び、また老松の木陰には東屋があり韓屋の趣をいっそう高めています。 楽古斎の素晴らしさは見て楽しむばかりでなく、その雰囲気、風流さを感じるところにあります。 韓屋自体の建物の輪郭線、そして建物から余韻から感じられる憩い、つまり韓屋というモノ=ハードウエアから感じられるすばらしさよりも、真の韓国の趣や素晴らしさは建物というモノ以外の目に見えないサービスなどのソフトウエア的なことから生まれるというのが楽古斎の主人であるアン・ヨンファン代表の哲学。 中でも最も重要視しているひとつが食事。韓国食は基本で、予約した場合には韓定食もチョイスできます。東屋の板の間で伽倻琴の演奏とともに楽しめる歌唱やパンソリの名手あるいはコムンゴや横笛の大芩(テグム)奏者を迎え公演なども行うこともあります。他にも韓国茶道、キムチ作り、宮中韓服体験プログラムなど各種体験プログラムも準備しています。 楽古斎を訪問客に最も人気があるのはチムジルバン。 かまどに薪をくべれば黄土で作られたチムジルバンの床が摂氏60度まで上昇します。それぞれの部屋には浴室があり、かすかな木の香りがするヒノキ風呂もあります。 楽古斎がオープンした契機も興味深いものがあります。アン代表はもともとアメリカのエンジニアリング会社に勤めていました。およそ10年あまりアメリカで勤務した後韓国へ帰国、ソウル麻浦(マポ)でお金持ちが住んでいたという古い韓屋・古宅が壊されるということを聞き、それならばと一念発起しそこで韓定食の店をやってみようとはじめたことが、韓屋と深い関係を持つきっかけとなりました。 韓屋で実際に生活し、外からだけでは感じられなかった韓屋の素晴らしさに魅了、外国の友人に 韓屋のよさを知ってもらいたく1994年から古宅体験旅行を企画・運営し始めました。 そんな最中の2000年、震壇学会の建物が取り壊されそうになっているという話を聞きつけ、すぐにこの建物を買い入れ、現在の楽古斎が誕生しました。 外国の人々に韓国の趣を伝えようという初心を忘れず何よりも最高のものでお迎えしなくてはならないというのが楽古斎のモットー。骨董家具や絵画、優雅さを感じる陶磁器、そして茶器など小さなもの一つ一つに心配りをし配置している楽古斎。高級韓屋ホテルという看板に名を恥じない楽古斎の自負心がいたるところに感じられます。


ソウル(東大門区) , 東大門

ベニキアホテルフラワーはソウルの中心である東大門区に位置し、ショッピングと業務をすることができる最大の長所を持っています。公共交通で20~30分以内に東大門および明洞ショッピングセンターに到着でき、徒歩10分以内にロッテ百貨店、ロッテマート、ソウル薬令市場、京東市場が位置していて、清涼里駅と隣接して近隣地方に移動が便利です。くつろげる快適な施設と優れた外国語の実力と親切なサービスで国内外のお客様に満足と感動を提供いたします。