ソウル(陽川区)

陽川区木洞に位置する木洞総合運動場(モクトン・ジョンハプ・ウンドンジャン)は、日々増加するソウル市の体育人口を収容する目的でつくられ、1989年11月4日にオープンしました。サッカー場や野球場、氷上競技場の施設が整っており、中央広場には伝統遊戯広場もあります。また、建物内にはフィットネス施設も揃っています。メイン競技場はサッカー場と陸上競技場に使われており、敷地面積は13,455㎡、建物の面積は22,124㎡、収容能力は30,000人です。また、野球場は面積16,233㎡で、収容能力は約16,000人です。氷上競技場は面積6,018㎡で、韓国冬季スポーツセンターで運営しており、約7,000人を収容できます。アイスホッケーやフィギュアスケートなど各種の氷上競技をはじめ、アイスバレエ団公演などのイベント会場としても利用されています。様々な競技が開催される一方で、近くの住民には運動場としてもよく活用されています。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

へジャンクク(酔い覚ましスープ)はお酒好きな人のためのメニューで、へジャンクク店は飲み屋街である鐘路周辺に特に多く集まっています。ソウルの中でもへジャンクク店としてよく知られている店のひとつが清進屋(チョンジノク)で、60年以上営業を続けています。へジャンククも人気がありますが、へジャンククに添えて出されるカクテキもおいしいと評判です。店は新しい建物に移転したため、店内はきれいでインテリアもすっきりとしています。      


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

ソウル特別市鍾路区にあるイムズハウスは清潔、リラックス、安全を運営目標に全職員は旅行客達を自分の家に来たお客様として最善を尽くし、差別化されたサービスを提供しています。昌徳宮と宗廟の間にあり、見所がたくさんあります。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

ソウルの中心地に位置する徳寿宮(トクスグン)は、朝鮮時代・成宗(1469-1494)の兄である月山大君(1454-1488)の住まいだったところです。徳寿宮が宮殿としての顔を持つようになったのは光海君(1575-1641)が即位して1611年に「慶運宮」と名付けてからのことで、その後、高宗が1907年、王位を純宗に継がせた後、ここに住むようになり、高宗の長寿を願うという意味の「徳寿宮」と呼ばれるようになりました。 徳寿宮の入り口である大漢門を通ると禁川があり、王の駕籠が渡れるほどの幅の禁川橋があります。 中和殿 法殿である中和殿は長い歴史を物語るような古風な建物。内部の天井には2匹の龍が描かれていますが、この爪の数は7本となっています。これは龍の爪の数が中国、韓国を問わず大部分が5本で王を表すのに対し、7つは皇帝を象徴するという意味を持っています(※中和殿は土・日9:00~16:00まで開放)。 即祚堂 即祚堂は光海君と仁祖(1595-1649)が即位式を行った場所。即祚堂の扁額は高宗が1905年に皇帝に即位した後、直接書いたものです。 咸寧殿 咸寧殿は高宗の寝殿で「咸寧」という名前は高宗が国の平安を祈願し付けられた名前で、中心を境に東側は皇帝の部屋、西側は皇后の部屋になっています。 静観軒 静観軒は1900年に建てられた最初の西洋式建物で、ここは高宗がコーヒーを飲みながら余暇を楽しんだと言われており、裏側にはロシア公園に通じていた狭く長い秘密地下通路が今も残っています。 石造殿 石造殿は静観軒とともに現在、慶運宮に残っている西洋式建物で、英国人が英国の資材で建設を進める中、1905年に日本に主導権が渡り1910年に完成したという経緯があります。そして高宗が他界した後、石造殿は日本美術品の展示館として一般人に公開され、1946年5月には米ソ共同委員会がここで開かれたりもした意義深い所でもあります。現在、石造殿東館は宮中遺物展示館が、西館は国立現代美術館分館が入っています。 重明殿 重明殿はロシアの建築家Seredin Sabatinの設計によるもので、1897年から1901年にかけて建設された皇室図書館です。2階建ての西洋式の建物で、初めは漱玉軒と呼ばれていました。2009年12月に復元が完成し、2010年8月から展示館として一般公開されています。 重明殿の観覧に関するお問い合わせ +82-2-732-7524 平日:午前中は自由観覧、13:00、14:00、15:00、16:00(午後の観覧は事前にインターネットで要予約) 週末:10:00、11:00、13:00、14:00、15:00、16:00(週末の観覧は事前にインターネットで要予約) 


ソウル(江東区) , ソウル東部

emartは㈱新世界が運営する大型ディスカウントストアで、emart明逸店は、地下1階~地上5階のデパート式フロア構造になっているのが特徴です。 明逸店は、製品カテゴリをフロア別に分けて配置しているため、購入したい製品が見つけやすいです。 またカルチャーセンター、プレイルーム、顧客満足センターをはじめとした各種サービス施設やフードコート、メガネ店、薬局、ネイルバー、旅行代理店、美容室、写真館などの便宜施設が整っています。 また、店の前にある明逸近隣公園では、各種公演やイベントが観覧でき、ショッピングだけでなくカルチャーライフも楽しめます。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

1885年アメリカ人宣教師「Henry Gerhart Appenzeller(1858~1902)」が建てた韓国で初めての西洋式近代教育機関です。設立当初から英語の授業や全人敎育を実践し、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)大統領や金素月(キム・ソウォル)や周時経(チュ・シギョン) 羅稻香(ナ・ドヒャン)など、近代を代表する有識者らを輩出した教育の発祥地であり新しい文化の誕生の地でもあります。現在は培材大学校、培材高等学校、培材中学校が培材の伝統と歴史を受け継ぎ、人材の育成と社会奉仕を率先しています。培材学堂歴史博物館1916年に建てられた培材学堂東館を改装し、2008年に公開された培材学堂歴史博物館は、ソウル市の記念物第16号に指定された建築文化財 です。ダイナミックな空間構成と現代的なデザインを加味した常設展示会場と毎年新規で行われる企画展示及び特別講座などで一般人には新しいタイプの体験空間を提供しています。*指定状況:ソウル市記念物第16号(2001年指定)*開館日:2008年7月24日


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

ソウル特別市鍾路区の昌慶宮(チャンギョングン)は、昌徳宮とともに朝鮮王朝(1392-1910)別宮のうちの一つです。 1418年に世宗(1397-1450)が王位に就いた後、退いた太宗(1367-1422)が穏やかに余生を送れるようにと建てた寿康宮がその始まりです。昌慶宮は日帝強占期(1910-1945)に昌慶苑に格下げされ、動物園と植物園のある遊園地になっていましたが、その後動物園が果川に移り復元し1983年に本来の名前を取り戻したという経緯のあるところです。 昌慶宮は正門である弘化門を過ぎるとすぐに玉川橋に出ますが、これは朝鮮の宮闕が全て正門をくぐってすぐにアーチ型の橋があるという特徴が見られる所です。この橋を渡って明政門を通るとある明政殿は朝鮮宮闕正殿としては最も古いものです。朝鮮時代の正殿は南向きですが、明政殿は東向きで、これは先王たちを奉った宗廟が南側にあり、儒教慣習に従って門を開けることができなかったことによるものです。春塘池は元々その半分が王が稲作を行った水田だったところを日帝強占期に池にした場所で、その他にも崇文堂、通明殿など多くの見所があります。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

映画のロケ場所として有名な伝統喫茶で、伝統茶はすべて煮出して作られたものです。夏のメニューであるかき氷(ピンス)の小豆も手作りです。


ソウル(松坡区) , 蚕室(ロッテワールド)

「BICENA(ビチェナ)」はスタイリッシュな空間で、韓国でしか経験できない味と香が生きた韓食を味わうことができます。  


ソウル(江南区)

平壌の郷土料理が味わえるポンファジョンでは、平壌式肉チヂミやオボッチェンバン、各種チヂミ、鶏肉料理などのメニューがあり、マッコリや日本酒など、料理に合う様々な酒も取り揃えられています。